体調不良きっかけに考えたこと
さぁ、吐き出すか。
自身の特性を受け入れたつもりだ。
自分の能力、体力、感情にも
目を向けてきたつもりだ。
疲れが溜まっていたのだろう。
出先で体調不良。高熱。
楽しみに楽しみにしていたことが
出来ない日々は
過酷だった。
したくもない修行の日々だった。
睡眠時間を削ったことが
原因の1つとはいえ
それほどのことで3日も体調を崩すなど
前代未聞だ。
自分のペースも考え、休憩時間も確保していたにも関わらずだった。
何故にか。
悔しさ
体調不良の原因
自分の苦手なこと
慢心
特性との付き合い方
理想と現実
思うことがありすぎて書ききれなさそうだが
数日にわたってでもこの1つのnoteに吐き出して
次に繋げようと思う。
意外と気分は落ちていない。
特性を理解していなかった時より幾分かマシである。
ただ、これを書くことから逃げてはいけない気がする。成長のチャンスだ。
そんなこんなだが
そら、気分も落ち込む。
その感情も自分に素直に正確に
しっかり記録として残す。
だから、前向きな気持ちの前に
まずは、暗い本音を。
①悔しさ
吐き出さないとやってられない。
と思う。
たぶん、誰だってこの状況になれば
そうじゃないかと思う。
楽しみに楽しみにしていた現場作業。
自分も調子に乗っていたとはいえ体調不良で
行けない日が続いた。
いつでも泣いていいよと言われれば
泣けるほど
ただただ悔しくて仕方がない。
極めたい
こだわり続けたい
何としてもすてきな空間に仕上げたい
ただ、そう思うのに
体が追いつかない。
同期で同じようなことをしている人と
どうしても比較してしまい
あいつは出来ていたのに
なんで自分はこんなにセーブしているのに
体調を崩すのか
とか、
何も悪いことしてないのに
なんでこんなことなるん?
とか。
他人との比較なんて超無駄な思考だということもわかっているのに考えてしまう。
そして、その行き場のない
怒り
腹立ち
の感情は自分に向く。
なんで?
なんで極めたいと思うだけやのに
それすらも出来ない?体なんでついてこない?
体弱すぎん?なんでこんなへなちょこなん?
あーもう、自分めんどくせ
フル回転しかせんこの脳取り替えたい
と考えては自分を責めた。
(自分の感性の幅、人よりもいろんなことに気づく特性故の疲れが出ていたと気づいていただけ、つまり、怒りの矛先がわかっていただけマシだったと思う。)
というより、悔しいけど
なんだか、悲しかった。
これだけセーブしても無理かぁと。
なんとなく今は気持ちも整理できて
原因もわかりつつあるので落ち着いて書いていられるが
熱がある時には相当落ち込んだ。
純粋に楽しみたいだけやのに
なんで?
自分だって普通に喋りまくってたいし
自分のテンション上げたままでいたい
どっかで体調崩すかもとか考えながら
鳥の目で自分見て調整しなあかんのだるい
多少寝なくても体調悪くならない体欲しいし
無限の体力が欲しいし
休憩なんか必要としない人でありたい
気づかないでいいところは気づかずいたいし
気づくべきところだけ気づいていたい
何にもかもに反応したり
頭がっと回転させれたりせんでいいから
平にもうちょっと高止まりしてたい
↑ここ本音よねぇ
願望だけで言えば腐るほど出てくる。
それだけやりたいことがあるとも捉えることができる。
が、その分
すてきなものをすてきだと
認知できて、生み出すことができる。
し、理想高いわ。とも思う。
全部が全部は無理なことは知ってる。
そこはだいぶ割り切れている。
大きな体調不良者は自分だけだったことも大きかったと思う。
周りと比べてはもちろん落ち込んだ。
これはもう誰でもそうなると思う。
その沼に浸かったままにならないことが大切だと思う。
シンプルに現場に行きたい。
行って作業がしたい。
やりたいことが山ほどあって
現場にいればいるほど、アイデアが浮かんでくるのだから。
あー、悔しい。
時間がもったいない。
が、それは早々に割り切った。
言っていても何も変わらない。
この経験は必ず次につながる
ではなく、次に繋げてみせる。
②体調不良の原因
睡眠不足が1番だなと思う。
これは昔からずっとだから仕方ない。
睡眠を削ると体に異常が出やすい。
が、それだけではない気がしていた。
この3年ほど(ちょうど本当に3年ぐらい)
苦しいぐらい自分と向き合った。
誰に何かを言ってもらうわけでもなく
ただ、本を読んだり、ネットで情報を集めたりしては
自分の考え方を改めて生きやすくするための工夫を凝らしてきた。
好きなもので生きていくということ
否定はしない
自分の特性との付き合い方、寄り添い方
何か気にしてしまう時の気持ちの整理の付け方
自分時間の使い方
毎日楽しく過ごすための自分なりの方法
そんなことを確立していくためにも
自分の行動、言動1つ1つ
他人の言葉1つ1つ
に細心の注意を常に払っていた。
この言葉の本当の意味とは何か
なぜ、自分は今こう言ったのか
なぜ、自分は今こう感じたのか
なぜ、今自分はこの感情なのか
なぜ、こう思ったのか
なぜ、苦しいのか
なぜ、楽しいのか
それと同時に
人にどう思われるのかも意識するようになっていた。
自分が何者なのかを正しく理解するために
理由を突き詰め
常に頭を回転させながら考えていた。
いろんなことで忙しくしつつも
それをしなければ
この先しんどくなる
この先大変なことが起こる
この先1人で生きていかなくてはならないのに。
張り詰めていたなと今となっては思う。
もちろん、最初は楽しかった。
自分の正体を知ることができたのはものすごく嬉しかったし、安心もした。
でも、それに固執して。
考えすぎてしまっていた。
考えすぎて
今まで苦手じゃなかったものまで苦手になったり
自分の特性はこうだから、こうなるかもしれない
とかあらぬ心配までしていた。
そんな自分に疲れていた。
昔から父に言われている言葉
「考えすぎ。気楽にいこう。」
を頭の中で唱えることができず、常に肩に力が入ったまま生活をしていた。アンテナ張りっぱなし。
今日、この言葉を久々に思い出し、頭の中で唱えた時に
肩の力を抜くことができ
久々の感覚を味わった。
そっか、自分はこんなにも力入れっぱなしで生活していたのか。
そら、疲れる。頑張りすぎていた。
自分の体力に比べて、それほど体力を使うことはしていないのに、なんでこんなにも疲れるのか。と思っていたが
この、何か起こった時の
考えすぎやなぁ
ほっとこ
と、受け流せていた物事を
全て受け止めて、自分で噛み砕き、濾過(解釈)して自分の中に取り入れていく
そんな作業を無意識下で常時行なっていた。
それはたぶん、子どもたちの言葉1つとってもだ。
この言葉の意味は何だろう
なぜ、こう思ったのだろう。
出来ていたこと?が出来なくなっていたという表現ではなく
自分と向き合うために
自己防衛でしていた受け流すという能力に制限をかけていた。
んだと思う。
それに気づけてよかった。
命拾いした。
これもバランスだなぁ。
常に考えるではなくて
考えるべきタイミングで考えられる人になりたい。
スイッチのオンオフ。
シングルタスク化していきたいものだ。
まぁ、やりながらぼちぼち掴んでいこう。
③苦手なこと
3つ発覚したことがある。
1つ目は「頼ること」
人に頼るのが猛烈に苦手。
苦手なことはわかっていたけども
猛烈に苦手。
何に対してでもだと思う。
これはプライドが邪魔しているんだろうなぁ。
人に任せることを覚えたい。
全部自分でしたくなる
のは、昔からずっとだが
それが現場では顕著に出るから
任せよう。決めた。
任せていいのだ。
よく考えたら、なんで任せてはいけない?
謎すぎる。
まぁ、えっか、気づけた。
2つ目は「こだわりに対してのこだわり」
「こだわる」ことに対してこだわっている。と思う。
このこだわりが空回りする時がある。
空回りしている時に頼れなくなる。
自分でした方が早いなとか
自分でしたらもっとこう出来るのになとか
自分でしたらこうするなとか
自分でしたらもっとここは綺麗にするのになとか。
それだと面白くない。
特に今の現場は。
いろんな人の意思がそこに働いている
そんな場の方がすてきだと感じているのに
バランスむずいなぁ
勉強になるわ。
自分を出す度合いが難しい。
これも、もっと任せてみよう。
そして、自分がこだわりたいポイントはとことんこだわったらいいのだ。
ある意味自分勝手に。
あー、自分勝手に。
自分にはもう少し、この言葉を投げかけてもいいのかもしれへんな。
自分勝手に。
3つ目は「もてなしてもらうこと」
自分のことは自分でする
を叩き込まれた超庶民派の自分は
自分のことは自分でしないと気が済まない。
というか、体が動いてしまう。
だから、王族?位の高い人のように
全部してもらう環境が苦手。
してもらうと逆にストレスに感じることがわかった。
面白い。
こりゃ、お偉いさんにはなれんわ笑
なりたいとも思わんが。
これは超父に似てる。と今思った。
血流れてるなー。
ただ、頼れるようにならないとな。と反面教師で思う。
もちろん、自分で自分のことするのは大切やけど、何かしてもらったことに対して
素直にありがとうって言うの大事やなと思った。
やっとくで〜とか
やっとこか?って言ってもらった時に
大丈夫
って返しちゃうより
ありがとうお願い!
って言った方が気持ちいいってこともよくわかった。
客観的に自分を見るいい機会やった。
やってもらうの申し訳なくなる時もあるけど
思いすぎず
人に頼って
その分どこかで返しながら
社会のそういう信頼の輪廻に
身を委ねられるようになりたい。
その方が楽しそう。
そう、楽しそう!
④慢心
ちょっと体調不良の話とは違うけども
自分が施工をはじめてそんなに経っていないのに慢心していたということ。
まず、初めてのことは調べる。
もう一つは空間づくりは基本
周りに迷惑をかけないとできないことということを自覚するということ。
この自覚が足りていなかった。
初めて研究室のプロジェクトで現場作業を手伝った時に、
新世界で解体業してるおっちゃんに道の掃除しながらこてこての大阪弁で教えてもらったことを思い出した。
「建築ってやってるだけでうるさいやん。せやから、現場の周りにいる人を敵に回しちゃあいかん。あいさつはしっかりして、掃除もしっかりしてたら自ずとみんな味方になってくれる。」
本当にそのおっちゃんは周辺の人と笑顔で挨拶してた。作業中はめっちゃ怖かったけど。
大事やなぁ。現場での態度って。
痛感した。
プロになってからそれは絶対意識してたい。
そこは欠如した人になりたくない。
だって、気持ちよく仕事したいから。
周囲を気にしすぎるということではなく
気持ちよく仕事するために
ちゃんとそういうマナーは守っていきたい。
⑤好きなことと理想と現実
理想が高い。
と、自分でも思う。
人と比べてしまう自分がいる。
だいぶマシにはなったが。
なかなか思うようにはいかないし
寝不足で体調くずす。
ちょっとぐらい無理したいけども
なかなか加減をしなければいけない身体だと思う。
仕方ないが。
でも、逆に、ちゃんと食べて、寝て、動いていれば、結構丈夫。
ありがたい話。
人と比べてしまいそうになった時に
あー、比べてんなぁ
って気づけるようになって
無駄やな、やめよって思えるようになった。
熱が出てる時もだったから
進歩を感じた。
過去の自分と比べると確実に成長しておる。
人間力増しておる。
やりおる。
この調子で。
⑥自分の座右の銘
座右の銘って何かなって大学生活中思っていた気がする。事あるごとに。
今日降ってきた。
「七転び八起き」
だと思う。
それが自分の強み。
負けても、悔しくても
いやいやいや、と。
もちろん休みはしても
またまた這いあがっていく。
転んだ傷も傷ではなく、宝にして
ぜーんぶ味方につけて
這い上がれる。
その時に誰かに手を差し伸べてもらうこともあれば
自分でそれを成し遂げることもできる。
それが自分の座右の銘。かと思った。
楽しくなければ楽しくすればいい
面白くなければ面白くすればいい
就活で言った自分の考え方にも通ずるものがある。
転んでも、別の方法試せばいいし
相談すりゃいいし
場合によっては状況変えればいい。
ほんじゃ楽しくなる。
起きれる。
幼い頃からたくさん失敗してきてよかった。
失敗させてもらえてよかった。
大学、強烈にしんどかったけど
幾度となく起き上がってきてよかった。
もう、人間と関わりたくないと思っていたけど
人と関わりはじめてよかった。
自分は起き上がれる。
そう信じとこ。
それだけは揺るがない。
だって今回も自分のものに出来た。
見方を変えれば
苦しいことも
つらいことも
自分の糧にできる。
そう信じてた方が
絶対楽しい。
胸張って言える。
1つの側面しか見ずに
ずぶずぶとその沼に浸かり続けてても
何も楽しくない。
その沼から1刻も早く脱して
美しい景色を見る。
旅してて
何気ない道で
後振り返った時の景色がすごく好き。
まーったく違うように見えるんよね。
その感覚。
よし、
今回の
失敗談?
つらい経験?
苦い経験?
も、消化した。
学んだことまとめ
・もっと自分勝手に生きていい
・自分と寄り添う術は身につけた
・考えすぎ、気楽にいこうで大概は受け流した方がストレスなく生活できそう
十分自分が何者かは説明できるようになった。
好奇心旺盛な色々気づける人。
その2面性の意味を考え続けてきたけど
もう十分以上に理解した。
理解できた。
だから、次に進んでいい。
その特性のことは気にしすぎず
活かして
自分を愛して
好きなことに全力で自分のペースで向き合う。
ただ、それだけ。
ペースは掴んだ。
掴むことができた。
来年度からの予習できてよかった。
修行頑張れそうや。
切り替えてぼちぼち頑張りますか。
引越しの日も決まったことやし。
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?