「ただ祈る」とは潜在意識レベルで信じるということ
初めての帰省GWが終わる。
京都駅に朝早く到着し、記録を残す。
そりゃもちろん寂しいけどもありがたいことに
「戻りたくない」とはならず
「ほどほどに明日からも仕事(バイト)頑張ろ」ぐらいの
テンション。
「周囲に愛されている」
「4月頑張ってたんやな」
と実感したGWだった。
(あっ、新幹線が来た。)
そうそう、そんなGWだった。
(新幹線内は外国人だらけ。
日本人はみんなUターン後のようだ。)
たくさんの人と出会い
たくさんの人と笑い
悩みを吐露でき
思いを共有し
理想を現実にするために考え話し
すてきな空間、場を一緒に見た
気を抜くことができて
自分をうまく調整し直して
さぁ、再出発。
(あっ、新幹線も出発した。なんかかっこええな!エモエモやん)
こうなんというか
4月は自分の
寂しい
とか
不安
とか
そういった感情にひたすら抵抗していた
と思った。
だからひたすら動きに動いていたのかなと。
もちろん動いて良いことがたくさんたくさんあったんだけども。
そんな負の感情は当たり前で
それらを受け入れて
やりたいことをする
ただ、それだけなのに
言葉ではわかっているのに
(雨で外全然見えない大雨やん)
なかなか上手くできなかった。
抵抗していた。
そりゃ負の感情からは逃げたくなるよな。
とも思う。
これからはそういった自分の負の感情も受け入れていきたい。ちょっとずつ。
そして、記録に残しておきたい言葉を書く。
ある人に言われた言葉
「工具を大切にしていた方がいいよ」
とアドバイスをくれた人から言われた言葉。
「あなたは(周囲を手で示しながら)これだけのものを持っている。みんなあなたのことを助けてくれる。それをちゃんと忘れたらいけない
不安な感情なんか当たり前。あなたには稀に見る良い神様がちゃんと付いているから他人と比較するのではなくて自分がやりたいことをしていれば絶対に大丈夫。
そのためにも、ただ「こうなる」と祈りや。「こうなりますように」じゃなくて「こうなる」って祈る。」
他人と比較していた自分に気づいた。
(眠い、寝る。)
(起きた。)
(いつのまにか、名古屋が通り過ぎて
もうすぐ浜松。
浜松も通り過ぎた。書く。)
周りに感謝して、たくさんの愛を受け
ただ、祈り、自分がやりたいことをする。
これが信じるってことなのかなぁ。
と書きながらふと思った。確固たる自信ってこういうことかと。
本当に半自給自足型のムラをつくれると思っているし
良い大工さんになれると思っているし
結婚して自然あふれる場所で子育てをして
周りにはたくさんの頼れる人がいて頼ってもらえる。
そうなるとわかる。そんな感覚。
この世に「絶対」という言葉はないと思う。
この先何が起こるのかわからない。
予測不能なことが起こるのも人生。
それでも、僕は祈って自分を信じたい と思う。
完璧主義的に考えすぎるとしんどくなる。
そうじゃなくて、そうなると祈る、信じる。
信じることができると無駄なことを考える時間が減って
ただ、やりたいことに集中できる。
祈りノートだったかな。願いノートだったかな。
名前は忘れたけども
ノートにひたすら自分の願いを書くノート
を作ってみたら?とおすすめされた。
なんだかちょっと面白そうなのでやってみよう。
自分は普通の人間だけど
何か持っている
その感覚はたしかに昔からあったことを思い出した。
(どうやら価値観が変らしいと最近自分で気づき始めたこともあって自覚した。)
本当に感覚的なもので、考えてそう思っているというよりも、こう、頭の中にただその感覚があるというイメージ。
なかなか上手くいかなかった8年間は
自分の能力がうまく機能せず
その持っている「何か」がうまく機能しなかった。
その、「何か」をまだ言語化は出来ていないけども自覚はし始めていて
どうやら本当にありがたいことに
神様が付いてくれているみたいだし
最近信じることができて始めた。
自分のその「何か」が発揮出来ていなかったのは
自分の心の持ち方、信じる心が足りていなかったからで、「.やりたいこと」に素直になれず、見つけることができいなかったから。
ありがたいことにその8年間で
自分で動いたからということもあるけども
「心の底からやりたいこと」を見つけることができた。
こうだから自分はやりたいとかじゃなくて
それをするために自分は生まれてきたと思うぐらい。
一生の中でも生まれ変われる。
そう信じてる。
楽しそうだからノート書いてみて生まれ変わる努力もして
とりあえず帰ったら畑を見に行こう。
枯れてないかな、育ってるかな?
楽しみだ。
今日は何食べよっかな。
こんなことを考えるのも最高に楽しい。
さぁ、祈ろう。
信じよう。
あと少しで三島に着く。
新幹線時間も終わり。
たくさんの人に感謝。
今とても心があったかい。
仏教の輪廻のお話のメモ
「100万回死んだネコ」という絵本を例に説明があった。
人は輪廻転生する。
それが良いと捉える映画や物語が多いけども
自分の人生に満足して
「もうええわぁ」
と輪廻から自分を解放する。
仏教の中ではそれが本当の幸せだという説明。
(めーっちゃ大雑把に言うと。)
すてきだと思った。
満足して死にたい。
もうええわって悪い意味かと思うけども
そうじゃなくて
それまでのことに満足できた証拠。
遠い未来、死ぬ時に
「もうええわぁ」言いながら死を迎えられたら
幸せだなぁ。
と思った次第。