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自治体でできる「気候変動」対策
自治体の気候変動対策 2024年11月17日開催
報告:田浦健朗 特活 気候ネットワーク事務局長
文責:大阪モニ太・どないする大阪の未来ネット
1,気候の危機と脱炭素に向かう世界
気候ネットワークは、京都議定書ができたCOP3を機にできた団体だ。
1850年以降、地球の平均気温は1.09度上がり、2023年は観測史上最も暑い一年だった。気候変動は、単なる環境問題にとどまらない。海面上昇・高潮、洪水・豪雨、インフラ機能停止、熱中症、食料不足、水不足、海洋・陸上の生態系損失などさまざまな影響がでる。
気温上昇で水蒸気が増え、世界中で洪水が起こっている。パキスタンは、2022年の洪水で国土の1/3が水没。毎年のようにドイツ、スペインでも洪水が起き、逆に、年によっては欧州すべての河川が渇水することもある。干ばつと高温が続くと山火事が起こる。台風も大型化する。
“気候変動によって、台風の被害額は40億ドル増えた”など、海外ニュースでは「気候変動の影響」として伝えているが日本ではほとんど伝えられていない。異常な豪雨、干ばつ、砂漠化、環境劣化、海面上昇などで、毎年2000万人が故郷を追われている。気候難民が増えたり、時には戦争のきっかけになるなど、気候変動は世界の平和を脅かしている。
今後の地球がどうなるか。かすかな望みだが、可能性は残されている。
CO2排出量を可能な限り早く削減をして、2050年以降ゼロにすれば、2度程度の気温上昇に抑えられる確率が高くなる。
2,世界の動き
COP28(2023年)で、化石燃料からの脱却が合意された。つまり、石油、天然ガス、石炭を使わないという合意だ。火力発電は、まずは“脱石炭”だった。天然ガスもカーボンゼロではない。再エネが増えるまでは天然ガスでつなぐ計画で、すでに石炭はイギリスもゼロだ。日本の対策はかなり遅れている現状がある。
日本国内の一次エネルギー供給は化石燃料が7割占めており、あと30年でほとんどなくす必要がある。システムの大きな変化は必要だが、今ある技術で実現が可能であるという調査結果もある。
世界の電気の約3割は再エネで、毎年増えている。つまり電気の再エネ100%はさほど難しくなく、やったほうが得という流れになっている。ただし、エネルギーは電気だけではない。熱や移動のための燃料も多く、そこがまだまだ再エネが少ないのが現状だ。
再エネ100%でないと、企業もビジネスができない時代が来ようとしている。再エネは雇用、特に女性の雇用を生む。日本は特に化石資源の輸入に年間20~30兆円が流出しているが、再エネであればお金が残る。
3,自治体でできる対策
・脱炭素先行地域
環境省が予算を付けて、2025年度までに100か所「脱炭素先行地域」を選定し、脱炭素に向かう取り組みを実施している。近畿では大阪市、堺市、京都市、神戸市、尼崎市など11提案が選ばれている。何をどのようなスケジュールで実施するのかしっかり計画し、採択されれば補助金が付くため、いろいろなことがやりやすくなる。
京都市は伏見エリアを中心に、100か所のお寺や商店街、大学などで太陽光などの再エネ設備や蓄電池の導入、既存住宅のZEHレベル化改修の促進、タクシーのEV化などが進められている。
日本は、「我慢して省エネ」の意識が根強い。気候変動対策は“我慢や不便、経済に悪影響”と刷り込まれている。大手ハウスメーカーではZEH(ゼッチ)(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)基準の建築も多くなっているが、地域の工務店はそこまで到達していない。光熱費実質ゼロとなり、ヒートショックのリスクも減り、健康にも良い。
脱炭素は環境部局の担当、となると限界がある。将来元が取れるのに、初期投資が不十分なために実施されず、地域のお金が外に流出する悪循環が続いている。まずは自治体から考え方を変え、政策で対応すべきだ。
▼とっとり健康省エネ住宅条例
住宅政策は、国の省エネ基準ZEHでは不十分だ。欧米では今の日本の2倍以上の断熱性能が義務化されている。そんな中、鳥取県では欧米並みの“とっとり基準”が始まっている。
国のZEH基準は世界基準より低いが、鳥取県はヨーロッパ並みの基準で独自に作った。鳥取県が工事費、冷暖房費を数値で表し、地域の工務店へ支援、購入者に補助金を出している。価格は高いが、15年ほどで元がとれる。工事費だけではなく冷暖房費を累計し、トータルコストで考えると、得になる。ヒートショックやアレルギー疾患リスクが減り、健康にも効果がある。他府県も、すぐ導入できる仕組みだ。
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▼京都市
1997年COP3で、京都議定書が誕生、日本初の「京都市地球温暖化対策条例」が2005年に施行された。本当に京都市は2050年にゼロにできるのか。私たちは京都市と意見交換しながら、脱炭素へのシナリオを研究した。今ある技術だけで試算したところ、ちゃんとやれば、2050年ほぼゼロは可能という計算結果になり、条例策定時に参照された。あとは、政策でどのように実現していくかだ。
一定規模以上のエネルギーを使用している事業所は、経産省への毎年の報告が省エネ法で定められている。しかし、省エネ法は削減義務がなく、自主性に任せている。中小企業、公共施設、家庭をうまく切り分けて制度設計し、削減する仕組みにすべきだ。
京都市の工夫は、報告だけではなく、削減計画と毎年の成果の報告を義務付け、評価していくという制度にしたことだ。
京都市ではこの条例に伴い、温暖化対策の計画が立てられている。
条例の策定時に、①数値目標がある、②重点施策で各分野をカバー、③特定建築物、特定事業者、特定機器に義務付けしたことがこの条例の特徴だ。
2050年にカーボンゼロの達成を目指す、脱炭素を目指す条例と計画が2021年施行された。
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・他自治体
東京都はキャップをつけ「守れなければお金を出す、余分に守れたらお金が入る」という、ヨーロッパがやっているキャップトレード型排出量取引という制度を東京都独自で導入した。
また、太陽光パネル設置の義務化条例が、東京都で2025年からスタートする。戸建てを新築する際、太陽光発電の設置を義務化する内容だが、私たちは“標準化”と呼んでいる。すべての建築物に設置するのではく、日照条件が悪いなど「付けられない時はつけなくてよい、つけれる場所はつける、支援もする」という効果がある良い制度だ。
都道府県で進んでいるのは長野県。再エネを増やすため、長野県全体でそのためのコンソーシアムを作ったり、とても良い仕組みができている。飯田市には“地域環境権という地域の資源は地域のもの、地域外の事業者のみにより、地域にメリットがない再エネ設置はできない”といった制度がある。
・電力小売り会社
福知山市と意見交換しながら、市民団体らで地域新電力会社「たんたんエナジー」を設立した。2020年から市内小学校や庁舎への供給を開始し、50施設以上に実質再エネ由来のCO2ゼロ電力を供給している。事業所・家庭への電力供給も開始している。
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オンサイトPPA方式で、市民が出資し自治体の初期投資はゼロ、設置はたんたんエナジー、発電した電気は、たんたんエナジーを通じて福知山市が購入する、という方式だ。出た利益は地域の活動に寄付をしている。地域の小さな電力会社をうまく活用すれば、CO2ゼロにできる。
・ソーラーシェアリング
農地の上に太陽光発電を付けるソーラーシェアリングも可能性があり、さまざまな工夫がされている。作物の生育に支障がない範囲で農業をやりながら、太陽光発電の追加的な収入を得ることができる。課題はあるが、規制緩和や支援の仕組みなどの制度設計が必要になる。
・太陽光発電はエネルギー的にも元が取れる
太陽光パネルの製造・設置・廃棄に投入したエネルギーは2-3年で元が取れる。リサイクルやリユースの仕組みも実験的に行われており、技術的にはすべてできる。車や家電製品と同じように、ルールが今作られているところだ。太陽光発電は2013年以降に急速に普及し、パネル自体の寿命が30-40年以上。これからルールさえできれば、パネルの多くははシリコンとガラスと鉄枠がほとんどなので、ほぼリサイクルできる。
再エネは、住宅、交通、まちづくりで考える必要がある。対策の初期投資が不足しており、結果、地域の資金が流出している。域外に流出するエネルギー費用の域内循環は重要だ。私たちはドイツの、地域のための電力会社シュタットベルケの仕組みをモデルにしている。自治体・企業や家庭等をつなぐ中間支援の組織が必要と考え、調査・提案をしているところだ。やはり、地域の人たちが主体となって設置することが重要で、そのためのルール作りや条例も必要だろうと考える。