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【共生本能がある】人は潜在意識で災害・事件を伝えたい、知りたい、ハビングで支援したい

 災害や事件の映像を思わず見てしまうことありますか?

 こんにちは、ダンス❌ビジネス❌SDG'sの起業を目指すフクシンCEOです。今日も見ていただき、ありがとうございます。
 成熟した大人の価値観を持っている人だけがわかる、潜在意識で人生を拓き、見た瞬間から人生が変わるお話を発信しています。
 見逃したくない方は、チャンネル登録といいねお願いします。

 災害の現場の動画

 先日、近所で火事がありました。
 家まで煙が上がってたので、思わず、煙のある方に吸い寄せられるように

 すると、たくさんの消防車の集まってるところに、一度は買ったことのあるお店に火の手が上がってました
 周りにはたくさんの人だかり
 その中に僕も紛れてました
 いわゆる野次馬。
 ふと見ると、たくさんの人がスマホを向けている
 撮影してる。中にはSNSにあげる人も
 あまりに沢山のカメラが向けられてる
 店主はこれをどう見てるんだろう

 僕も火事の現場で、カメラは向けてませんでしたが吸い寄せられるように現場にきました
 カメラが向けられている現場を目の当たりにして、人間ってこんなに恐ろしい生き物だったんだろうか。その時僕は思いました。
 僕はそっとその場を立ち去りました。
 でも、どうして僕もそうですが、人は危険な場面を見ようとするのか、自分で確認したくなるのか。また、それをカメラで撮って配信しようとするのか。
 また、その一方で、事件に行って支援される方、災害などでボランティアで支援される方、また、現場に行かなくても寄付などで支援される方もいらっしゃいます。

 ハビング。お金を払うときにお金が減るというよりも、払うお金があること。誰かが幸せになることを意識する、感謝すると、結果的に自分に環ってくる
 支援では、別に自分に環ってくることを期待することなんかではなく、支援することで誰かが救われる、感謝される。動く人がおられます。

 事件や事故・災害の現場で、潜在意識はどう働くのかを今日は皆さんと共有します。
 なお、今日お伝えするのは、あくまでもどうして人はそうなのかという僕の分析をお伝えするだけであって、例えば動画を見るとか撮るとかいうことに肯定もしてませんし、僕は、火事が起こっている時にカメラを向けること自体、恐ろしさや憤りも感じているところもありました。

 今日は、僕と同じように
 どうしてもこうした動画を見てしまう人、また、
 こうした動画を撮影しているのを見て憤りを覚えた人
 支援について考えている方

 10分ほど見ていただくと、人の持つ共生本能が理解できると思います。
 最後までご覧ください。

アニーマーフィー・ポール 著書 脳の外で考える
フロイト 著書 人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス 

の内容にも触れながら
 今日お伝えしたいのは、
今こそ誰もが持ってる人の美しさが試される時
 そのことを4つのポイントでお伝えします。



どうしても見てしまう動画

 歌舞伎町でも男女の揉め事で映像が流れている一方で、通りがかりの救助した人のエックスのポストが話題になっていました。
 救急車の要請に周りの人が反応せず、スマホで撮影している。
 この光景を見るだけで少しゾッとしました。

 AbemaTVで放映されていましたが、救助した人を責めて、炎上させる人さえいる。人の良心ってどこに行ってしまったんだろう。と思いました。

 周りの人は、助けたい、でも、自信がない。
 そんな思いも正直あるんだと思います。

 助けを求められてもカメラを向け続ける?
 そんなに大事なこと?
 いま、すべきこと?
 映されている人の気持ちは想像できない?
 最初は憤りを覚えました。

 台風、地震、いろんな災害が起こっています。
 今年1月の能登半島地震でも、ショッキングな映像が流れてくる。これは、現場にいるご自身で撮影している映像が流れてきます。撮影するよりも、早く避難してくださいと叫ぶほど心配になるときがあります。
 でも、こうした映像も、つい見てしまいます。
 映像でなくても、例えば台風の時、川が増水している現場なんかも、自分で見に行こうとする人がいます。

 人はそこまでして、なぜ撮影してしまうのでしょうか。

 最近、こうした動画はマスコミから買取のオファーが来ることなどをよく聞きます。一見すると、災害の映像などを販売するなんてって思いますが、撮影する人の中で売るために録画ボタンを押した人は極めて少ないのではないでしょうか。
 たまたま、本能的に撮影した動画が、結果的にマスコミに買われていった。そんなパターンの方が多いような気がします。だって、本当に命の危険が迫っている時でもカメラを回すときにそんなこと考えないですよね。

 近所の火事もそうですし、事件、災害、こうした動画を撮影するのはなぜでしょうか。また動画がSNSに上がって見たくなるのはなぜでしょうか。また実際に自分の目で確かめにいきたくなるのはなぜでしょうか。 

種を残すための本能

 人には種を残す本能が備わっています。
 狩猟時代には生きるか死ぬか、状況を確認し共有することで種を残し生き延びてきました。
 災害の前には、鳥が大群で移動してるっていうのもあります。人にもそんな本能があるのではと思います。

 だから災害が起こった時、実際に自分の目で見にいきたい。状況を確認したいというのは、本能的なものかもしれません。SNSでアップされる動画の視聴者数が伸びるのも、こうした理由ではないかと思います。

 よく災害の現場で、救助を求めるときに、「あなた救急車呼んでください」と名指しで伝えることが大事と言われています。それは、周りにいると傍観者になりがちで、名指しで伝えることにより、当事者として脳の切り替えを促すことが必要だからです。

 つまり、撮影することも、動画を見ることも、人の持つ社会性という本能がそうさせるのではないかと思います。

 これは理性やモラルは別です。

 カリギュラ効果は、人は何かを禁止されたり制限されたりしたときに、逆に気になってしまう心理 です。

 理性の中に、撮影しちゃいけないとか、見てはいけないとかいう社会的通念がどこかにあるとしたら、映したくなる、どうしても見たくなる、というのは、こうした効果も手伝っているのかもしれません。
 SNSはこうした伝えたいと、知りたいをつなぐアイテム。

 人も含めて生き物はすべて、種を残す本能と、死への恐怖を抱えています。マズローの5段階要求説では、生理的要求、安全の要求が満たされると、どこかに所属したい親和の要求が生まれてきます。その上で、その所属、社会の中で認められたいという自己承認要求、自己実現要求が生まれます。親和の要求というのは、種を残すため、どこかの共同体に入りたいという要求。
 心理学者フロイトは、人を含めて生物は全て生きる力と同時に、他のものの命の奪って種を残していくという欲動も持っていて、これらの力がバランスを取りながら、人は様々な感情や行動を経験していると唱えました。

 ニューヨーク大学スターン経営大学院の心理学者 ジョナサン・ハイトによると、人間は90%がチンパンジー 10%がミツバチだそうです。
 競争好きで自己本位、自分の目標を追いかけることしか頭にないチンバンジー
 グループの利益を考えて行動できる超社交的な生き物がミツバチ
 ミツバチになると、人間の心のフォーカスが私モードから私たちモードへと移るということです。

 これ面白くないですか?

 フロイトによると、人間も含めて動物は、利害が対立したときに決着をつけるのは原則として暴力。でも人間が道具を使うようになってから武器が登場し、才覚が高いものが力を持つようになった。
 さらに、強い一人の暴力に対抗するには、弱い人が団結すれば対抗できるとして、共同体が生まれたということです。
 共同体としての人類が種を残すため、情報を発信し、伝えていく。

善悪に100%はない

 SNSは、こうした人が命に関わる情報を発信し、伝えるのにはうってつけのツールです。
 天災だけじゃなくても、たとえば渋滞情報とかもリアルに伝わってきます。人の本能に沿った使い方ができます。
 自分の考え方も発信し、それに対する受信することもできる。他の国では選挙結果がこれ一つで変わることもありました。

 意見を持っている人は発信します。
 その意見を批判したり、また炎上させたり、さらに炎上させる人を批判したりもします。
 中庸な人は、あまり発信しない、それは問題を感じないからです。
 大多数は中庸な人。でも発信しないから、発信する極端な意見が目立ち、それが全ての世論や意見というふうに見られがちです。

 ネット社会は極端な人を生み出します。それは、非対面だと相手が傷つくのが見えないから、オンラインなら配慮するところを、遠慮なく攻撃できてしまう
 誰にも邪魔されずに言い切れる。
 すると脳にはドーパミンが分泌され、気持ちよくなる。

 オンラインなら、身振り手振りや表情など非言語の情報のフィードバックもありません。
 情報量が少なく、結果として主観の入った過度な解釈が行われやすいです。
 匿名性の高さが責任感を希薄にし、相手への配慮が薄くなり、自己中心的な考え方に偏る傾向になります。

 攻撃的で極端な意見ほど拡散される
 現実社会では、止める人がいるが、ネットでは止める人がいない。

 同じ意見の人ばかりで議論すると、各個人の意見よりも、とがった意見で合意されやすい。これを集団極性化といいます。

 リアルな社会では、言いたいことも言えなくて、って人がたくさんいる中で、結局人は、自分の見たいものだけを見て、言いたいことだけを言う方が幸せ。それがネットで実現できる。

 デジタルは全て0か1かで全て判断されます。でも本来の人と人の関係は、もっと複雑で、100%どっちと言うのはありません。
 ものの角度、見え方一つで立場や正義の概念なども180度変わります。

 僕も最初、火事の現場でカメラを向けていた人たちに憤りを覚えていましたが、落ち着いてよく考えてみると、いろんな側面があるんだなと気付かされました。人は、多様で、いろんな考え方をそれぞれ持っていて、その多くを理解することで、人の美しさに触れることができる。
 皆さんも、カメラを向けていた人たちに怒りを覚えていたかもしれませんが、違った見方をすれば、全く違うように見えませんか。

 人の思考は、0−1で判断されるものではなく、もっと複雑な色合いです。ネット社会の今の時代、むしろそのことをアイデンティティとして持っておくことは、自分を豊かにしてくれると思います。

 量子は、人が観察している間は実体化していて粒の状態、でも観察していなければそこには情報があるだけで波の状態にあります。量子コンピュータがこれから実用化されていく中、人間の複雑な心理も伝えられるツールが出てくるかもしれません。

人としての美しさが問われる

 脳科学者ジルボルト・テイラーは、自らが脳溢血になり、左脳の機能を失った時の経験から、人の脳には右脳、左脳に4つのキャラクターを持っていると伝えています。

 そのキャラクターとは、右脳・左脳各々に感じる・考えるキャラを持っていて、
・考える左脳は、言語で考え、順序立てて考える。過去や未来に基づき、意識的、分析的に考える
・感じる左脳は、用心深く、恐怖心、正義を求める、利己的で批判的
・考える右脳は、言葉によらず、絵で考える。現在の瞬間に基づき、Weで無意識に考える
・感じる右脳は、おおらかでオープン。感謝し、創造的で集団で分かち合う
 右脳は宇宙と繋がっています。

 左脳では、自分と他人の境目があって、でも左脳の機能を失い、右脳だけとなった時、自分と他人、また物との境目がなく、全ては一体で、エネルギーにしか過ぎないということです。

 彼女がTEDで述べたことばです。
 「私たちは右脳の意識を通して互いにつながったエネルギー対であり、人類という一つの家族。今、この瞬間、私たちは地球上の兄弟姉妹であり、世界をより良い場所にするためにここにいる。そしてこの瞬間、私たちは完璧でありのままで美しい」

 この、ありのままで美しい と言うのは、互いにつながったエネルギー対っていう人の本能という部分に併せて、理性という人だけが持つもう一つの美しさが調和するから、ありのままの美しさなんだと思います。

 人の自然は、共存できる社会性を誰もが持っているはず。
 人が困っていることを面白がって、動画を回すパターン。これは、人として美しくない。人間らしくない。

 今、被災地にいない人が求められるのは、理性や自制心。人だけが持つ思いやりではないでしょうか。

 個人や企業からも寄付が集まるのは、人間的で自然で美しい。
 ボランティアで一刻も早く駆けつけたい。それも人間の自然的で美しい。

 ハビング。お金を払うときにお金が減るというよりも、払うお金があること。誰かが幸せになることを意識する、感謝すると、自分に返ってくる

 支援もボランティアも、自分がどう活かせるのか、
 僕も、今回の地震の支援を通して、人として自然で美しくあれるよう、理性的にできることをやっていきたいと思います。

 被災地のみなさん、寒い地方で大変なほんとに辛い状況ですが、いっしょに乗り越えていきましょう
 被災地に今いなくて支援をしたい、現地に一歩でも早く駆けつけたい、支援したいと思っている方がいらっしゃると思います。すごく美しいことです。でも本当に被災地で求められていることは何か、理性と自制心を働かせながら、今一番求められていることで、できることを一緒にやっていきましょう。

今日も最後まで見ていただきありがとうございました。
 成熟した大人の価値観を持っている人だけがわかる、潜在意識で人生を拓き、見た瞬間から人生が変わるお話を発信しています。見逃したくない方は、チャンネル登録といいねお願いします。 
 フクシンCEOでした。

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