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日本人は助けてほしいと伝えろ!、叫べ! するとみんながアガル

 助けてほしい。そう思ったら、口にしていいんだよ。

 フクシンです。
 今日も人のこと、みなさんと一緒に学んでいきましょう。

 さて、皆さんは、誰かに最近助けを求めたことありますか?

 ○○してもらえません?
 ✖✖を助けてもらえませんか?

 一人でなんでもする。
 僕もそういうタイプでしたし、今でもそう。
 一人で頑張る。

 よく最近は自己責任が問われるとかいいます。助けを求めると、相手に迷惑がかかるとか、助けてもらったことで自尊心が低下したり、人間関係で一段低い位置に置かれるような気がしたり。
 忍耐が美徳と思われ、我慢できないのは恥と思われ、自分で守備範囲を守れないのは失格と思い込んでいる。

 また、現代では、インターネットなどではなんでも情報が転がっていて、人に頼らなくても機械やツールである程度代用出来るので、人間関係による助け合いの価値を低く評価するようになり、そのために人に頼るという原始的なスキルが低下しています。

・前に踏み出す力
・考え抜く力
・チームで働く力

この3つは、職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な社会人基礎力として国が示しています。

 メンバーシップ制の仕事のスタイルが多い日本の社会では、チームで仕事することが多いと思います。
 でも、これから仕事はメンバーシップ型からジョブ型へ、価値観は多様化し、これまでみたいに会社に入って年功序列で給料が上がってくるというステレオタイプの仕事だけじゃなくて、2つ、3つ仕事をしながらキャリアを積んでいく。

 間違いなくそういう時代になることが見える中で、自分がピンチになった時、誰かに頼ることができますか?

 プライベートなことなので、自分の責任なので、自分が何とかしなきゃいけない。「自己責任」とかいう言葉がマスコミで流行しているように、そう思わされていることも多いかと思います。
 また自己肯定感も低いと、頼るエネルギーも生まれません。

 でも人に「頼る」ことは「つながる」ことであり、自分一人では到達できないところまで連れて行ってくれるということにもなります。

 個人の幸福や健康を向上させたり、社会的な結びつきが出来たりします。

 頼ることを通して「他者から学ぶ」。会話のきっかけにもなるし、

 また、頼ることは、同じように困っている人の存在にも気づき、手を貸せるようになる。
 自立とは、ひとりでできないラインの見極めをすることです。

 私たちのDNAに埋め込まれている利己的な遺伝子には利他的行為をするようプログラミングされているそうで、利己的な行動だけでは種が存続しないといわれています。

 なので頼りあえる社会が必要です。
 僕たちが、人に頼るお手本を見せる必要があるのではないでしょうか。

 吉田穂波さんの著書「社会人に最も必要な頼るスキルの磨き方」を読みました。今日は、そんな誰かに頼る、助けてもらうということについて、この本の内容も基にしながら、お伝えしていきたいと思います。

 今日、お伝えしたいのは、
誰かに頼ることで、みんなの幸福度がアガル
このことを3つのポイントでお伝えしたいと思います。


本音では察してほしい

 一般論ですが、日本はこれまでチームで成長してきた国であり、そんな経過で今の教育スタイルが構築されてきたのだと思っています。

 小中学校では、全教科の成績をまんべんなく伸ばし、教室が決められていて、給食があって、生徒たちが教室や施設の掃除をする
 制服、体操着があって、校内校外で履物が変わり、連帯感・協調性が育まれる。

 こうして培われた連帯感は、ビジネスでも日本の良さの根本を創り、海外では業者に任せることが主流の掃除などは、海外からも評価されることも聞こえてきます。

 これに対して、海外の教育は“教える”というよりも、“生徒一人ひとりの可能性を導き出す・個々の力を伸ばす”という意味合いが強く、生徒それぞれの能力に合わせた教育を行ない、できることを伸ばすことに着目します。

 学校から課される宿題も、自分で調べたり考えたりしなければならないものが多く、決まった解答があるものよりも、いくつもの答えがあるような問題が出されます。

 日本でも、新しい学習指導要領では、アクティブラーニングといって、与えられる学習から、自ら学ぶ学習へとスタンスが変わりつつありますが、自分の当時を振り返ると、暗記が苦手で、何より面白くないんですよね。答えを導き出すことで、学習に興味を持つことはいいのではと今では思いますが、当の子どもたちはどんな感じなんでしょうか。

 自己主張を軸に対人関係を結ぶ欧米人とは違い、ぼくたち日本人は相手の期待に応えたい、期待を裏切りたくないという思いを軸に対人関係を結びます。
 相手に迷惑をかけてはいけない、みんな同じように頑張ってるんだからと、どうしても自己主張や助けてほしいということを伝えることがネガティブにとらえられているのが日本の社会にはあるのではないでしょうか。

 その反面、外国人観光客が、日本人は親切だという声も聴きます。目の前の人が助けてほしいと言えば、助けるという相互扶助の考え、これもこうした教育やコミュニケーションが基になっていると思います。

 助けてほしいと伝える。
 受け入れる包容力は、外国人観光客に対するように日本人のマインドに備わっていると思います。

 先日、こんなことがありました。
 プログラミングのオンラインサロンで、共同開発をしていますが、最近、聞こうと思ってもスラックからメッセージを消すケースが結構あります。
「こんな初歩的なことを聞いたら悪いんじゃないか。」
「もっと調べてから聞いた方が迷惑が掛からないのでは。」

 コンテクストって言葉、みなさんは効いたことありますか?
 井口嘉則さんの著書 リーダーのための人を動かす語り方で僕はこの言葉をはじめて知ったのですが、コンテクストとは、文脈という意味。いわゆる空気を読むとか、察するとか、感じ取るとかいうこと。

 この本には、日本人のコミュニケーションには3つの特徴があると書いています。
❶文脈依存型。ハイコンクスト社会で、多くを語らなくても文脈などで察する文化がある。
❷同調圧力が強く、個人としての意見を持ちにくい。会社などのリーダーも調整型が多く、自分の意見を持たずに他人の意見の調整を行うケース。筋道を立てて部下を説得できないので最後は、指示通り仕事することとなってしまう。
❸理屈ではなく人間関係や感情の論理優先であることが多い

 助けてほしい場合でも、素直に助けてほしいということを口にすることをためらう、迷う。カウンセリングも海外ほど習慣化されていません。

 本音では、「察っしてほしい」

 困った時の日本人がおもうこと。これが心の奥底にある思いではないでしょうか。
 でも一方、平気な顔をして過ごすのも日本では美徳。ぼくもこれに捕らわれることがあります。だから察するにも周りからはわからない、理解できないケースも多いかと思います。

 なんか助けてほしいってのもなあ。
 気づいてくれよ。
 それが本音。

頼られる・助けるってどういうこと

 でも、頼られる方としては迷惑なものなんでしょうか。
 助けるというのは、相手にとって迷惑がかかるものでしょうか

 時と場合にはよると思いますが、吉田穂波さんの著書 「頼る」スキルの磨き方では、こんなことが書かれています

 頼ることはつながること。

 例えば、赤ちゃんは自分では何もできないので助けてもらうしかありません。でも、決して申し訳ないと思っておらず、周りは手助けして当たり前。また助けたおかげで力を引き出してもらえます。

 人に認めてもらいたいという承認要求や自尊感情は誰にもあります。ぼくなんか特に強い。承認要求や自尊感情が満たさせる瞬間は、人に役立ったときに実感できるときです。つまり、助けを求めるということは相手にとっても、承認要求、自尊感情が満たされるチャンスにもなり得ます。

 実は、自分のピンチは、誰かのチャンスにもなり得る。こう考えると、助けを求めてもいいんだって思えませんか。

受援力をつけるテクニック

 「受援力」とは、助けを求めたり助けを受けたりする心構えやスキルのこと。内閣府が、災害後に防災ボランティアの支援を生かすため、被災地側がボランティアの支援を受け入れ、上手に寄り添うことができるように、と2010年につくったパンフレットに用いられた言葉で、東日本大震災をきっかけに少しずつ知られるようになりました。

 でも助けを求めるといっても、相手はどう思うんだろう?求める方は気になりますよね。

 吉田穂波さんの本では、受援スキルには3つの基本があり、敬意、存在承認、感謝とご紹介されています。

 まず「あなただから相談したい」という相手への信頼や敬意を示す。「○○さん、今いいですか?」と相手の名を呼びながら、その都合にも配慮すること。これはわかるな。

 次に「お時間を取っていただいて助かります」
 「話を聞いていただけて心強いです」とか、
 ただ向き合ってくれる存在であることを感謝し、「役に立たねばならない」といった心のハードルを下げることも大事。すると、相手にも心理的安全性が確保され、相手が依頼や相談の言葉を受け取りやすくなる。相手にもプレッシャーがあるからね。

 最後に「相談できただけでほっとしました」とか具体的な自分の気持ちや変化を挙げつつ、「ありがとうございます」
 相手が力になってくれるか否かにかかわらず、聞いてもらったことに対して可能な限りの感謝を伝える。
 これは、相手も、力になれたと認識できるし、承認要求も満たされる。
さらに、あなたに好感を持つこともあり得ます。

 人はだれしも認知的不協和の解消といって、「自分の行動が、自分の考えていることと矛盾した時に、それを解消しようと自分の考えや行動を変えてしまう」性質があり、「あなたからお願いされて助けた」と言う事実が、「助けたのはあなたに好意があるから」と相手の脳内で勝手に解釈するのです。

 これをベンジャミン・フランクリン効果とも言います

 あなたが助けを求めたことで、相手とつながり、相手も幸福度がアガル。あなたも当然幸福度がアガル。

 だから助けてほしいと求めていい。いや求めなきゃいけない。

 まとめです。

 悩みを誰かに相談することは恥ずかしくないと考えている人が多い地域では自殺が少ないといわれてます
 令和3年版自殺対策白書では、自殺者数が前年より671人少ない2万169人で、全世代的に減少する中、10代が唯一、前年より増加しました。  
 15~39歳の各年代の死因は自殺が最も多く、先進国では日本だけにみられる事態として、厚生労働省は「国際的にも深刻な状況」と危機感を抱いていて、コロナ禍の今夏には中高生の自殺が増えており、心理的な孤立化を防ぐ取り組みが求められています。

 赤ちゃんは素直でわかりやすい。でも大人やこどもが同じようにSOSを出せるには、「何を言っても非難されない、ダメだしされない」「勇気を出してリスクをとっても嘲笑されたり悪口を言われたりしない」と思える心理的安全性の担保が大事といわれています。
 だれかを応援する立場の人こそ、受援力を肯定し、鍛えさせる姿勢が必要で、一人で孤独に立ち向かわなくていい、必ず誰かが手を貸してくれる。何ならいつでも連絡しておいでといった言葉が大事です。

 人は、実は実態なんてなくて、エネルギーにすぎない。以前の動画でお伝えしましたが、だから違うエネルギーが関わりあって、改めて強いエネルギーが得られる。人なんて一人では弱いエネルギー。それがいろんなかかわりで強くなっていく。そんな風に思います。
 風の時代にこそ、受援スキルを磨くこと、そして自分自身も察することができる広い目と、受け止めるココロを持つことで、素敵な大人になれると思いませんか。

今日も最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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フクシンでした。
またお会いしましょう。

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