幸せを手に入れる最後の方法 ~2年間のカウンセリング実録~ 31.彩りに満ちた世界
清々しい青い空。爽やかな風。いい天気の日だった。
本当に最後に、僕は咲笑ちゃんと会うことが出来た。
昨日の夜、大阪を去る前日の夜、咲笑ちゃんから連絡があった。
「明日、まだお会いできますか?」
きっと咲笑ちゃんも、もう大丈夫。
会えなくても、それは不幸なことではない。
そう思うことに決めた矢先のことだった。
引っ越しの荷物を送り、雑多な手続きを済ませて、僕は約束の場所に向かった。
本当に久しぶりに、僕は咲笑ちゃんに会った。
「咲笑ちゃん、久しぶり。
ありがとう。最後にこうやって会えて嬉しい。」
「今ね、まーくんの投稿読んでた。
まーくんも、いろいろあったんだね。」
「うん。でも、おかげで僕も幸せになれた。
今日はたくさん話を聴かせてね。」
「うん。まーくんにはきちんと聴いて欲しかったの。
直接お礼を言いたかった。
私に今があるのは、まーくんのおかげだから。」
「ありがとう。
そこはほんとに咲笑ちゃん自身の力だと思うんだけど、そう言ってもらえると、やっぱり嬉しい。」
「ううん。私一人ではここまで来られなかった。
まーくんが居てくれたからバロンに会うまで生きられて、バロンが居てくれたから彼に会うまで生きていられた。
まーくんに会えたから私の今があるの。」
カウンセラーは解決する人ではない。
答えはクライアントさんの中にある。
でも誰もがすぐに答えが出てくる訳ではない。
だから、その答えがゆっくりと浮かんでくるまでの時間を共に過ごし、寄り添うこともカウンセラーの役割なんだと、僕はまた咲笑ちゃんから教えられた。
僕はまず、咲笑ちゃんに報告することがあった。
「プロコースの卒業レポートは、カウンセリング実施のレポートを出すことになってるんだけど、僕は咲笑ちゃんとのことを書いて出させてもらいました。
それで、そのレポートが336人の中から選ばれた2人のうちの片方になって、そこから僕は幸せを手に入れる道に進んで行けたんです。
さっき読んでくれたって言ってた投稿、全部咲笑ちゃんのおかげです。
そして咲笑ちゃんのおかげで、日本メンタルヘルス協会の公認心理カウンセラーにも無事になることが出来ました。
ありがとうございました。
で、これがその卒業レポートです。良かったら読んでください。」
「ううん。こちらこそありがとう。
レポート、読みたい。
後でゆっくり読ませてもらうね。」
僕は卒業レポートと感謝の手紙を咲笑ちゃんに手渡すことが出来た。
咲笑ちゃんは喜んで受け取ってくれた。
これで僕は本当に、やり残したことがなくなった。
「ところで、差し支えなければ教えてくれる?
彼とはどこで知り合ったの?」
僕はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「実は婚活パーティーなの。」
「え?それは想像してない答えだった。」
驚いた僕に、咲笑ちゃんは悪戯っぽく笑いながら笑顔で話し出した。
「でしょ。
実は友達から人数集めで誘われて、断れなくて。
そんなつもりもなかったし、大人しくして、すぐに帰ろうと思ってたんだけど…。
実は彼も同じように人数集めで誘われたって。
じゃあ2人でカップルが成立したことにして出ていったら、この苦しい場所から抜け出せるねっていうことになって。
それで、『一応ご飯くらいは食べて帰ろう。』って食事に行って、ご馳走して貰ったからそのお礼だけしようと思ってもう一度会ったの。
彼はすごくいい大学を出てて、一流企業に就職してて、私なんかを相手にする訳ないと思ってたから私も気兼ねなく話してたら…。」
聞けば聞くほど目が点になる僕に、咲笑ちゃんは笑いながら、楽しそうに話し続けた。
「…って色々あったんだけど、彼との結婚が決まって、明日が引越なの。
SNSとか風の便りで伝わるのは嫌だったから、直接会って伝えたかった。ありがとう。」
最後の展開は全く予想してなかったので更に面食らいながら、でも僕は心からお祝いの言葉を伝えた。
「おめでとう。最後の報告はびっくりしたけど、ほんとに良かった。
で、状況を知らなくてごめん。
二人で会っても問題なかった?」
「うん。きちんと話してきたから大丈夫。
私ね、自分の遺伝子を残すべきじゃないと思ってたでしょ?
それも彼に話したの。
そしたらね、彼が『遺伝子って環境で変わるんだよ。』って。
実験で証明されてるって言ってくれたの。
私、ずっと生きていたくないと思ってきたけど、彼に出会って死ぬのが勿体ないと思えたの。
そしたらね…
その時、目の前の世界が突然鮮やかに、彩りに満ちて見えたの。」
まさか彼女の口からそんな言葉が出るなんて、彼女からそんな言葉が聴けるなんて、その時の僕は考えてもいなかった。
でもその言葉を伝えてくれた彼女の顔は晴れやかで、無理をしている様子は少しもなく、とても幸せそうだった。
良かった。僕は心からそう思いながら、彼女に伝える最後の言葉を選んでいた。
なぜなら彼女から伝えられた言葉は、カウンセラーである僕とクライアントである彼女との繋がりが切れる、別れの言葉でもあったから。
「そうか。そんなに世界が違って見えたんだね。
おめでとう。ほんとに良かった。
じゃあ 僕から伝えるのは、きっとこれが最後の言葉になるね…。
幸せってね、自分で選んでいくものだと思う。
逆に言うと、どんな出来事も自分を不幸にすることは出来ない。
単なるプラス思考じゃなくて、納得できる根拠を持って自分の『受け止め方』を選んでいけば、そこには幸せがある。
そしてね、ここからが大事。
幸せに『慣れる』努力。
慣れるって、習慣の慣の字ね。
その状態を当たり前のものと捉えて、受け入れていくってこと。
幸せを自分のものにするためには、幸せに慣れる努力を続けていかなきゃいけない。
『幸せに慣れる努力』を続けることこそが、幸せを手に入れる最後の方法なんだ。」
「幸せって、慣れる必要があるのか…。」
「うん。恒常性の話は何回もしたよね。
幸せに慣れるためには努力が必要。
不幸が自分のスタンダードになっていると、不幸な自分に対処する方法は分かってる。
でも幸せな状況になった時には、逆に戸惑っちゃう。
新しい場所で、どう進んだらいいのか分からなくなっちゃうから。
人は、自分の気持ちに対処しやすい状況にいる方が楽なんだ。
そこで敢えて不幸になる道を選択して、『そうそう。どうせ私なんかが幸せになれる筈なかったのよ。私にはこれがお似合いだわ。』なんて納得してしまったりする。
幸せを手に入れるためには、幸せに慣れること、歯を食いしばって幸せに慣れる努力をすることが大切なんだ。
だからね、これからは今までと違う努力になる。つらいかもしれないけど、頑張ってね。」
「あぁ、なんか分かる。
幸せな状況を壊したくなるような気持ちになること、確かにある。
すごく分かる。」
「うん。結構たいへんかもしれない。
苦しいかもしれない。
でも時間はかかるけど必ず乗り越えられる。
僕のプロコースの同期にね、僕よりちょっとだけ年上のお姉さんみたいな女の人がいるんだけど、その人『子供が独立したら絶対離婚してやる』って、20年以上思い続けて子育てしてきたんだって。
でもね、プロコースでいろんな気づきがあったみたいで、講座中もよく泣いてた。
いろんな課題に取り組んだり、自分を見つめたりするなかで、自分の幸せに気づいたみたい。
プロコースの途中、恋愛心理学の講座の後で『目の前に一目惚れして結婚した相手がいます。でも惚気ている訳ではありません。』とか、『今、歯を食いしばって幸せに慣れる途中です。』とか言ってたのを覚えてる。
あれ、ほんとに惚気てた訳じゃなくて、幸せに焦点をあてられるようになっていく自分と、同時に変化を見せている旦那さんとの間で戸惑ってたんだと思う。
離れることしか考えられなかった相手が素敵に見える、『そんな筈はない』って思ってしまう自分を抑えて、一生懸命耐えてたんだ。きっと。
で、その人が今どうなってるかっていうと、ご主人とラブラブ。
しょっちょうSNSに夫婦二人の写真をアップしてるし、『今、新婚生活中です。』って言ってる。
僕はその努力と変化を間近で見せてもらったから、努力の先で手に入れたものの大きさを教えてもらったから、幸せを目指す価値を知ることができたし、努力するに足るものだと他の誰かに伝えられるようになれた。
大丈夫。20年の苦しみも、ちゃんと乗り越えられるから。
咲笑ちゃんも頑張ってね。」
僕は最後にやっと本心で「頑張って」という言葉を使った。
頑張ってる人に頑張れなんて言えないと思いつつ、頑張らないと生きていけないという咲笑ちゃんに「頑張れ」と伝えるのは苦しかった。
今こそ、この「頑張れ」という言葉を使う時だと思った。
そしてこの言葉を心から言える時が来たことが本当に嬉しかった。
転勤場所に移動する乗り物の中で、僕は咲笑ちゃんにメッセージを送った。
「咲笑ちゃん、今日はありがとう。
最後に会えて、幸せな未来を語る咲笑ちゃんを見ることができて、ほんとに幸せでした。」
「こちらこそ、ありがとうございました。
いま、レポートを読んでいます。
いろいろ思い出します。
あの後、彼と一緒に暮らし始める日を祝うワインを買いました。」
「素敵な毎日が始まるね。
幸せに慣れるように頑張る咲笑ちゃんを応援しています。」
「ありがとうございます。全部読みました。
私が出来る唯一の恩返しは、私が思いっきり幸せになることだと思います。」
「うん。幸せになってね。ありがとう。」
幸せを手に入れる最後の方法
~2年間のカウンセリング実録~
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
長くなりましたが、咲笑ちゃんとの最後の会話の一部始終をお伝えしました。
とても幸せな時間でした。
次回はまた明日更新します。
残り3回、カウンセリングから始まった咲笑ちゃんの物語にもう少しだけおつきあいください。
よろしくお願いします。