幸せを手に入れる最後の方法 ~2年間のカウンセリング実録~ 18.生き残るために①
「咲笑ちゃん、こんにちは。
お母さんと友達になりました。
SNS承認後にメッセージをくれて、『咲笑に寄りそいたい、明るい未来を信じてる。』って言ってました。
咲笑ちゃんにとってはマイナスに引っ張る存在かもしれないけれど、お母さんはお母さんで咲笑ちゃんのことを考えているんだと思わされました。
まあ、挨拶文だけでは何も分からないし、『咲笑ちゃんのため』と思っていることが実は気付いていないだけで自分のためだったりするのかも知れないけれど。
周囲からの声が届かなくなってるっていう感覚、つらいよね。
年末年始の気持ち、思い出せなくなってる?
過去に起こったつらい思いが大きすぎて、つらさの象徴に勝てなくなってるんだね。
色々考えたんだけど、咲笑ちゃんには将来の夢としての明確な映像があるから、そのビジョンに向けて歩き出すのがいいのかもしれない。
となると、着地点となる場所に向けて本格的に移動する計画を立てるか、着地点に一緒にいる相手を見つけるか、とにかくまずは動くのがいいかもしれないと思いました。」
「まーくん、こんばんは。どうしたら生き残れるのか、毎日考えています。
母が、どんな気持ちでまーくんの投稿にイイネをつけているのか、見当もつきません。
別れた彼のことは勿論つらいのですが、母が実家で飼っている犬の体調不良を私のせいだと信じ込んでいます。
犬が不調を起こす(吐く、食べない、元気がない、程度)4、5日前以内に私が心の内を吐露した時は必ず、犬の体調不良は私のせいです。
犬が赤ちゃんの頃からそうでした。
母は、オーラの泉や、志村動物園の動物と話せる外国人女性の話を真正面から信じています。
新興宗教を信仰しています。(悪い感じではありませんが)
なんでもかんでもスピリチュアルな方向にもっていきます。
『咲笑のせいで犬が吐いた。』と言うのを聞くのがつらくて、犬に会いに行くのも躊躇われるようになりました。
いちいち体調不良の報告があって、私は謝るのみです。
犬が恋しくて、保健所やブリーダーから保護された犬を譲渡している機関に出入りしています。
『いま実家にいる犬に気軽に会いに行けないから動物を飼おうかと思う。』と母にいうと『いいんちゃう?』との回答でした。
『今もし実家で飼っている犬が死んだら咲笑のせいだね。』と嫌味のつもりで言っても、『そんなことないよ。』と言っては貰えなかった。
守るものをつくることしか、生き残る方法が浮かびません。
日々動いて、料理をして、洗濯もして、たくさんの友達に会って、本当に頑張っています。
つらいです。
海外移住計画を実行に移すにも、エネルギーがありません。
東京もカナダも夢でした。
もう、今のままでは、頑張れません。
支え合える命が必要です。
東京のことが、遠い昔、または別世界のことのように思います。
あの時一緒にいた友達とは、たまにメッセージのやりとりをしますが電話はしません。
あまり距離をつめて、嫌われたら困るからです。
友達を失うのは本当に嫌です。
本当は一緒に暮らせると嬉しいんだけど、それもできません。
友達が結婚して妊娠して出産して旦那様と仲良くしています。
お金をたくさん稼ぐ子もいます。
私は、本気で手に入れられると何も信じたことがありませんでした。
『死にぞこないである』という感覚は中学生の頃からありました。
死がどんどん自分の中で現実味を帯びてきました。
逆に、いま生きていることの方が不思議です。
私が愛した人達(母、義父、彼)はみんな、私よりも大切なものを守るために私の扱いを疎かにしました。
私を、愛して欲しかった人達です。
『この人生、もういい。』というのが正直な感想です。
優しくしてくれる友人に会うのは自分の中で感謝を伝えるためです。
また会えるかどうか分からない、その自信はもうない、と思いながら会っています。
母を新興宗教に誘った医師の男性に、電話で『人の思いが動物を病気にさせるという教えがあるのか?』と聞きました。
『ない。』との回答でした。
その人には私が中学生の頃から家族ぐるみでお世話になっています。
私が中学生のころ、一時期ほぼ毎日うちに来て昼食を食べていました。
うちで母が点滴をしてもらっていたこともありました。
二人がどんな関係だったのかは知りませんが、前世からの魂の縁だから今生でもお互いに関わってしまうそうです。
その医師が、母のことを『発達障害があるのではないか?』と私に言いました。
専門医ではない、テストもしていない、疑いだけで、困っている娘の私にそう言いました。
『障害だから諦めろ。』ということでしょうか。
私は誰に支えを求めたらいいの?
誰に甘えたらいいの?
義父には一切話していません。
会話にならないことが分かっているからです。
今までは、何とか私の苦しみに気付いて欲しい、という思いで母と接してきたり、距離を置いたりしてきたりしました。
でも、抵抗することに疲れました。
その気力もなくしました。
私は、無駄に発生した命だったと思います。この31年間で、友人として、年長者として、少しでも誰かの人生に華を添えられたとしたら光栄です。
エネルギーをなくし、先が短いと実感したら、愛してる人には見返りを求めず、ただ時間を共有したい、と思うようになりました。
実家にプリンを持って伺いました。
母と話しました。
他愛のないことを話題に気を使いながら。
愛犬と昼寝をしました。
それが、普通な時期があったことが不思議です。
母は、本当に何も気付いていないと思います。
たくさんのメッセージを一方的に送り付けてごめんなさい。
カウンセラーとして活躍されるうえで、ひとつの事例として参考になれば幸いです。
まーくん、ありがとう。支えてもらえて、嬉しかった。」
まるで遺書のような大量のメッセージ。僕は彼女の思いを受け止めつつも、何気ない日常会話をした後の様に答えるのがやっとだった。
「咲笑ちゃん、つらい思いを教えてくれてありがとう。
お母さん、本当になんにも気付いていないのかもしれないね。
咲笑ちゃんにとっては、お義父さんの事も、別れた彼の事も、そしてお母さんの事も、何もかもが、つらい記憶になってしまってるんだね。
周りには優しい友達がたくさんいるのに、恵まれてると思えないし、前に進めない気持ちだから、余計につらいんだね。
無理だと思うかもしれないけれど、今度会ったときにはプラスの事実を一緒に探してみたいと思ってます。」
幸せを手に入れる最後の方法
~2年間のカウンセリング実録~
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
咲笑ちゃんは、もう会えないかもしれないと思うから、感謝を伝えるために友達と会っていると言いました。
そして僕は、カウンセラーとして何ができるのか、常にそれが最後の言葉になるかも、と思いながら伝えていました。
続きは明日更新します。
よろしければ是非おつきあいください。