最近のこと
厚生書店です。
長らく途絶えていたノートを再開するに当たり、原稿の取りまとめとアップの作業を一手に担当してくださっている寸心堂書店さんに「うまい文章は誰でも書けるし面白くない。あまり考えずにササッと書きましょう」(厚生超訳)とのお達しがありましたので、いつも以上に何も考えず徒然と、、、。
最近のことその①
一年近く前の研究会例会で梁山泊の唯我さん(古書研最年少)から初めて参加した京都ポルタ(やったかな?)での即売会の報告で「木箱を二段も三段も積み上げても売れない。陳列する本は少いほどよく売れる」(厚生超訳)との衝撃の発言が。
それ以来、私がほぼ毎月参加している「たにまち月いち古書即売会」で参考にさせていただき、本を減らして並べています。
もちろん「減らせば減らすほど」というわけにはいきませんが、目に見えて売上げが下がるわけでもなく、むしろ小店としてはそこそこ堅調です。今後もこの路線で続けてみようかと。
最近のことその②
ご存じの方はご存知でしょうし、ご存知でない方はご存知でないでしょうが、小店は昨年、店舗の上階で火災が発生、消火活動の影響で浸水、店舗移転を余儀なくされました。
新店舗を探す条件として「旧店舗から歩いて行けること」「独立した建物で同一物件内に他人がいないこと」「落ち着いた環境であること」を主眼に置きました。少ないながら定期的にのぞいてくださるお客さんにも来ていただいて、とにかく、静かに商売をしたかったのです。
現店舗は全ての条件を満たしており、大阪市立中央小学校の「真裏」。以前から置いている絵本や児童書もそれなりに売れるだろう(ホンネは〈むしろ、もっと売れるだろう〉ヒッヒッヒッ)と淡い目論見を持っていました。
旧店舗は空堀通商店街の中だったため人通りは比べるべくもありませんが、良く言えば「閑静」。思いきって定休日を増やして出費を減らし、ネット販売に力を入れて、、、。
しかし「静かで落ち着いた」環境が商売に向くはずもなく、現代の小学生は本を読む時間などないのか、それらしき来店は皆無。それらしくない来店も数名。
せっせとパソコンに向かう日々です。
最近のことその③
時間だけは増えたので、以前はチラッとのぞくだけだった「大阪古典会」「日南会」という市に行くようにしました。
「これから俺は古典籍と漫画のエキスパートになる!」などという殊勝な思いはまるでなく、とにかく商材の幅を広げようと。
よく「耳学問」と言いますが、古本屋はこれに加えていわば「目学問」に「手学問」。門前の小僧は聞くだけですが、こちらは見て、触ることができます。一見気難しそうに見える古本屋、案外話し好きな向きが多く、こちらの無知は棚の上、不躾に尋ねても親切に教えて下さります。
古典会では一般の方はガラスケース越しに見るような江戸期、場合によってはそれ以前の本や浮世絵、肉筆ものに自由に触って頁を繰ることができます。
日南会はある意味で正反対の市で文庫や漫画、近年の風俗資料(つまりはエロ本)が瞬時にさばかれていきます。
性格の全く違う市ですが共通点もあります。いずれも「振り」で落札者が決まっていきます。よくテレビで目にする魚市場のセリのようなものです。振り手の「発句」に続いて買い手が声を出してセリ合います。
大量の出品物を手際よく、しかもより高値になるようにさばいていく振り手の手腕が重要になります。また、買い手の方でも振りが始まると毎度「ちょっとよく見せて」と進行を妨げることはできませんのでテーブルをはさんだ距離で判断する必要があります。
また落札金額を書いた「買い札」を集計していわば一発勝負で決まる「置き入札」と違い競争相手が見えるため色々と違うテクニックがいり、なかなかに深いものがあります。
最近のことその④
これは非常に書きにくいことでフワッとしか書けないのですが、大阪古書研究会に十年以上関わってくださった方が亡くなられました。
私よりも若い方で古本屋ではなかったのですが、本を通じて年に一回お会いしていました。元気ハツラツというタイプではないにせよ、独特の間取と空気で難しい職場を取りまとめておられました。
祭壇にはつげ忠男の漫画と黒霧島が供えられていました。
一度だけ二人で飲みに行き、帰り道で彼は飲み足りなかったのか自販機で氷結を買い、駅前の公園で一緒に飲みました。私も弱い方ではないのですが、強かったなぁ。合掌。
以上、「最近のこと」でした。これならなんぼでも書けそうです。お目汚し、失礼しました。