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短編をいっぱい書いている作家の全集を手に入れて、まったく有名じゃない短編を次々に読むのが楽しい

スンシンです。
今日言いたいことはタイトルで全部言ったので、本文はこれにておしまい。

   ※   ※   ※

というわけにもいかないので、もうちょっとだけ続けます。

具体的には、家にもワンセットあるし倉庫にもワンセットある「チェーホフ全集」のなかの短編をですね、おりにふれて読んでいるんです。

これが楽しい。

――これってどういう楽しさかな? って、ちょっと考えてみました。たんに「面白いお話が読めて楽しい」というのとは違うんです。

チェーホフの傑作短編集みたいなのは、文庫で何冊か出ていると思うんです。そういうので読むより、全集に入っている傑作短編集に選ばれなかった短編を読むのが、もう一段楽しいって気がするんです。

その理由を、二つだけ言います。

一つは、傑作短編集に選ばれるような作品よりもっと短い短編が、全集にはいっぱい入っているということ。つまり、短くって読みやすいのがたくさん読めるということが一つ。

もう一つは、あんまり傑作でも良作でもないであろう短編も読める、ということ。あえて言えば、失敗作みたいなものも読める、ということ。

ある人の個性って、その人の長所によってよりも、短所によってよく分かるっていうことが、あると思うんです。

失敗作を読むっていうのは、そういう感じです。

つまり、チェーホフのチェーホフらしさが、失敗作を読むことでより分かる、っていうことがあるような気がするんです。

僕が文学作品を読むのって、「面白いお話を読んで面白がったり感動したりしたい」っていうより、「この作家はどうしてこういう作品を作ったのかな?」ということを洞察したい、という欲求のためみたいなところがあるので、こういう読み方が合っているみたいなんです。

誰にでもおすすめできる愉しみではないかもしれないけど、もしかしたら僕以外にもこういうアプローチが合っている人がいるかもしれないので、僕の愉しみ方を紹介しました。

チェーホフの次は誰でやろうかな……。


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