【無料】#1 起業したい想いが生まれるまで
この記事を、将来、起業して成功を収めた時に読み返し、今この瞬間の思いを胸に初心に戻れるように書いています。
僕は今年31歳になる、健康食品の販売とOEM営業をしているサラリーマンです。
野球と苦手な勉強に明け暮れる少年時代
少年時代、兄の影響で毎日野球に打ち込んでいました。地元の小学校では足が速く、野球も上手く、少し天狗になっていました。
しかし、小学5年生の頃、両親の勧めで私立中学を目指して勉強を始めることに。野球の時間が減り、勉強に多くの時間を費やすことになりました。当時、友達が学校終わりに遊びに行く中で、「なんで自分だけ、好きでもない勉強をしなきゃならないんだろう」と思うこともありました。結局、第一志望の中学には落ちましたが、第二志望の学校には合格しました。
早朝テストと8時間授業をこなす日々に悪戦苦闘
中学に入学して、時間割を見た時は衝撃でした。毎朝の早朝テスト、朝9時から夕方6時までの授業、そして放課後は野球のクラブ活動。この生活についていくのに必死で、大好きな野球もできず補講に追われる日々でした。しかし、この環境のおかげで、次第に「勉強をする」という習慣が身につきました。その結果、今でも仕事終わりに英語を勉強することに抵抗がありません。
負けず嫌いの性格もあり、早朝テストをほぼ毎回合格し、大好きな野球の練習にも参加できました。同級生が夏の大会メンバーに入れない中、僕だけが背番号をもらい、その後もレギュラーとして活躍することができました。最終的には、大阪大会で学校史上初のベスト64まで進みました。
海外への憧れが生まれた修学旅行
中学3年生の夏、修学旅行でニュージーランドへ行きました。それまでは、海外に特に興味がありませんでしたが、ホームステイやファームステイでの経験を通じて、英語が話せたらかっこいいなと思うようになりました。とはいえ、その後英語を特に熱心に勉強することもなく、中学を卒業しました。
濃厚濃密な高校野球に捧げた青春
中学で野球に打ち込めなかった分、高校では甲子園を目指す強豪校で野球をしたいという思いから、大阪の私立高校に入学しました。野球の実力には自信があり、すぐにレギュラーになれるだろうと高をくくっていましたが、その自信はすぐに打ち砕かれました。全国大会経験者や推薦入学の選手たちが周りにいて、「これはヤバいぞ」と焦りました。
さらに、1年生の僕たちは、先輩の練習を手伝うだけで、自分たちがボールを触れるのはティーバッティングの時くらい。先輩方が大会で敗退し、新チームになった時、監督に「どうすればレギュラーになれるか」を相談し、運命が変わりました。監督からのアドバイスで、手足の長さを活かし、アンダースローに挑戦することになったのです。
その結果、強打者を次々と抑えることができ、1軍の試合に呼ばれるまでになりました。しかし、投げ込みと慣れないフォームの負荷で腰を痛め、ヘルニアになってしまい、チームの練習から離脱することに。リハビリをしながらチームのサポートをする中で、チームのために貢献する喜びを見つけました。
最後の夏の大会では、怪我の影響で背番号を得られず引退しましたが、チームは大阪でベスト8まで進みました。この経験を通じて学んだことは一生忘れられません。高校野球の仲間たちとは今でも忘年会で集まり、当時の辛かった練習も今では笑い話です。また、チームメイトの一人とは仕事でも繋がり、貴重なビジネスパートナーになっています。
まとめ
小学校時代、毎日野球に夢中だったが、突然の受験勉強で苦手な勉強に向き合うことに。
中学時代、野球の時間が減る一方、勉強の耐性が鍛えられ、初めての海外経験で外国への憧れが生まれる。
高校時代、野球で自信を打ち砕かれるも、怪我を通じてチームに貢献する喜びを見つける。
次回
大学に入学し、大学でお金を稼ぐ大変さや、時間を作って海外に行き、人生を変える留学について書きたいと思います。