パニック障害から7年。当時の僕と今の僕
こんにちは。
早いものでもう10月になりましたね。
いかがお過ごしですか?
先日Facebookからこんな通知が来ました。
「過去の投稿をシェアしよう!」
なんとなく開いたその投稿はパニック障害を発症し、初めて人に公表した時でした。
そこに書いてあった事と、患者さんとの会話から今の思いをnoteにしてみようと思いました。
またタイミング良く?某アイドルグループの会社の記者会見関連で少し話題になったようなので、自分の思いと共に書いていきたいと思います。
7年前初めてパニック障害と診断された時の投稿
自分で言うのは何ですが、小中高校の各団体で、委員長や生徒会、チームのキャプテンを任されるような存在として学生時代を過ごしていました。
まさか自分が‥そんな思いがあったからこそ何かに残しておきたいのと自分や周りの人への宣言として初めて告白した事を覚えています。
パニック障害と診断された事が全ての始まりだった
20歳の僕にとってこのような診断がつく事は安心する反面と、重くのしかかる反面とがありました。
なぜパニック障害という診断が安心したか?
安心した理由は、当時の僕の身体に起きている事が理解できなかったからです。
何でこんな症状があるんだろうと考えても理解が追いつかず、あれかな?これかな?と考えていたものが病院で『パニック障害』と診断が付く事で少し安心した事を覚えています。
反対になぜ重くのしかかったのか?
理由はそこから僕のパニック障害と向き合う人生が始まったからです。
考え方は色々だと思いますが、そこから僕にはパニック障害という物がつきまとうようになっています。
自分ではそうは思っていなかった事、自分ではそこまで気にしていなかった事全てが「もしかしてこれのせい‥?」という風にも捉える事ができてしまう事に気がつきました。
それは正直言えば今でも続き、言ってみれば僕の人生にレッテルを貼られたと言い換えてもいいくらい付き纏っています。
経験したからこそ思うパニック障害という言葉の破壊力
僕が経験したからこそ思うパニック障害という言葉の破壊力についてです。
僕は鍼灸師という仕事柄、このパニック障害については意外と同業者の方とも話をすることもあれば、その症状についても聞かれる事があります。
僕は自分の発信が誰かのためになれればと思い診断された過去を公開していますので聞かれる事については全然寛容ですし、今患者さんでパニック障害の人が来ていて参考にしたいからと聞いてくる人もいます。
ですが悲しい事に多くの方との認識と自分が感じる事のギャップを感じてしまいます。
言葉ではうまく表現できませんが
どこかで
・メンタルの病みやすい人
・小さい事を気にしている人
・人間的に弱い人
こんなようなイメージを持たれている事が手にとるようにわかります。
ですが、自分が経験をし、今となればパニック障害をはじめとした自律神経系の不調を持つ人たちを診させていただくようになり、より思いますが先程あげたような人たちと一括りにする事はただの偏見です。
むしろ人間的には強く、生きようと戦っています。
メンタルを病みやすいのは結果であり、別に病みたくて病んでいるわけではありません。
人間という生き物、生まれた環境があり、育って来た背景があり、そしてそこから生まれる感情があり、その中での毎日を過ごしています。
誰しもがそうなりたいと思ってパニック障害にたどり着いているわけではないと思います。
ですが、昨日の記者会見後にネット上ではパニック障害に関する様々な意見が飛び交っていました。
経験のある人、身近に悩んでいる人がいる人の意見をとしては気持ちをさっするような意見が
認識がさっき上げたような一括りの人には理解しがたい意見が寄せられていました。
(そもそも今回の会社の件は詳しくは知らないのでなんとも言えませんが‥)
ですが現実的は、定義も曖昧で人によって様々で、程度も異なるものに対して一括りにする事は間違っていると思います。
そもそもパニック障害は存在するのか
これは単なる私個人の思いですので医学的な根拠や科学的にという話ではありません。
個人的にはパニック障害というものは、科学的に見ていけば現象に名前をつける事はできると思います。
元にパニック障害は”頭の中でこんな事が起きているだろう” ”症状からこんな状態である事が予測されます”そんな事は調べると出て来ます。
今ではパニック障害など、そんな病名があったのか‥というものまで数多くの自律神経系の不調や、精神的なお悩みに名前が付くようになりました。
そこで思うのは病名自体には意味はないと感じています。
現象に名前がついても、なぜ起きてしまうのか。という所は未だ不明な事が多いのが現実です。
僕に「パニック障害」と診断したお医者様は、たった5分で問診票をみながら自分がパニック障害だと診断をしました。
僕の妻が過去に生魚にあたってアレルギー反応と過呼吸を起こした時、
救急で病院に連れていきましたが、その時「アレルギーもあるかもしれないけどこれはパニック障害だね」と診断をしました。
全てのお医者さんがそうではありませんし、もちろんお医者さんを否定するつもりはありません。
ですがこれらの原因がはっきりわからない不調に対する(特に自律神経や心の関係のあるもの)認識なんてこんなものなのかと感じました。
そういった意味で診断名に意味がないと感じています。
僕はパニック障害という名前がついた事で安心したと言いましたが、それはその時の起きている現象が名づけられたという安心感でしかなく、長い目で見るとそこからが本当の闘いが始まったように思います。
本当の闘いというのは「自分と向き合う」事の始まりです。
諦めかけていた自分を救った自分の行動
20歳の自分にはどうすることもできない。
ネットに載っている「パニック障害に良いこと」をできる範囲で全てやりましたが、改善の見込みがなく少し諦めかけていた僕を救ったのは自分自身の行動です。
諦めかけていた自分に対して自分を救った自分の行動というと、矛盾を感じるかもしれませんが、これをやってもダメだ。あれをやってもダメだ。と新しい何かを取り組むことに注目していましたが、日々もがく中で何とかしてやろうという自分の諦めない行動に気がつきました。
・車、電車などを使えば1時間の専門学校に2時間半かけて原付で通った事
・自分以外の考え方を入れるために読書をした事
・食事を変えてみた事
・周りの人に話してみた事
など。これらの全ては自分を何とかしたい。何とかこの辛い日々から抜け出したい。そう思って行動をとっていた事に気がつきます。
自分は諦めてない。そんな強い思いを感じたりもしながら毎日を過ごしていましたね。(嫌になる時ももちろんありましたが!😄)
長田(オサダ)の生きて来た証
僕がこの世に生まれたのは1996年。
初めて自分がその診断がついたと告白したのは2016年。
そしてこの記事を書いている2023年。
あえて自分との闘いという少し強くて嫌な言葉を使いましたが、これは今まで生きて来た27年間の生きて来た証であり、これが今のオサダ何だと感じています。
鍼灸師としての仕事柄、日々体の勉強をする事で自分のパニック障害がより複雑にそしてより手の届かない所にいってしまいそうと感じる事もありました。
でも今は僕の人生に与えられた課題であると感じています。
それは鍼灸師として生きていくオサダとして。
1人の人間として生きていくオサダとして。
野球をやっていた時、キャプテンをやれたのは野球がうまいからではありません。
チームが円滑に進むように自分を隠していたからです。
家族の中で末っ子だから‥。と言われていたのは末っ子だから権力が弱いのではなく末っ子ぶる方が都合が良かったのです。決して自分の考えがないわけではありません。
生まれてから今に至るまで1人1人が色々な経験をしている中で、物事の考え方、捉え方、感情など全て違う中で、自分と向き合う事を避けていたのはきっと自分自身でした。
そんな事にやっと気がついたのはパニック障害と診断されてから5年経った時でした。
だからあえて今まで生きてきたもんな〜なんて思うわけです。
君たちはどう生きるか
とこんなタイトルの映画がありましたよね。
この映画を面白いと感じた点は、自由に感じ取れる作品という点です。
公開後しばらくして映画に関する考察がバーッと上がりましたが、きっとどれも正解であり、言ってみればどれも不正解だと思います。
そもそも哲学的なタイトルに一つの答えを求める事が間違っていて、それをみた自分がどう感じるかの部分に面白みがあるように感じます。
僕自身のパニック障害に対する今の所の思いは、人間には1人1人に与えられたストーリーがありどう生きていくかは自由。その中で僕の場合は「パニック障害」と呼ばれるものが存在していると考えています。
まさに「オサダはどう生きるか」そんな所ですね。
まとめ
まとめもなにも取り止めのない文章になってしまったなと反省しています(笑)
きっと昔の僕ならそう思った時点でこの記事を表に出す事はしないでしょう。
ですが自分が感じた事、思っている事を書いたこの記事に嘘もなければ偽りもありませんので後悔してみました!
最後にはなりますが、僕は当時パニック障害でした!という事を前面に出して仕事をしていた時もありましたが、何だかそれは自分が息苦しくなって辞めました。
僕が施術を通してできる事は魔法みたいな事ではなく、その人の後押し程度です。
大切な事は、◯◯できない→◯◯してみようかな?→◯◯できた!
そんな風に実際の行動であったり、考え方が前向きになったりと患者さんの人生が少しでも、一歩でも豊かになれるように鍼灸師を続けていけたらと思っています。
7年前にFacebookに投稿した「この経験が将来の自分のため、患者さんのためなるように」というのは少しづつ形になっていると感じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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