同調圧力の蚊帳の外
「同調圧力を感じる」という話を、20代半ばくらいからよく聞くようになったと感じる。
正しくは自分がそれを感じるようになったから、よく目についたり記憶に残っているのかもしれないけど。なんとなく増えた気がするのだ。
ジャンルは大抵はライフステージやプランに関すること、具体的には結婚や貯金、転職や出産など。
詰まるところ、ライフイベントをいつしようか?みたいな話が、年齢と紐づいてしまうのだと思う。
ちなみに私個人は、同調圧力を”勝手に”感じやすい方かもと思う。
「気にしなさそう!」という声が聞こえてきそうだけど、そういう圧力が苦手だからこそ、人並みに入ってくるそれに対して敏感になるのだ。
そんな人間が、一般的に「自由奔放」「他人の目を気にしない」と言われるような国で、暮らし始めた。
ここ最近までは「同調圧力が限りなく少なくて、生きやすい!楽!」と思っていた。
よく話すのは今日、今この瞬間の話で、年齢と紐づいたライフステージのお手本や「こうすべき」みたいな通説を感じない。
月並みにやっぱり日本は狭っ苦しいよな、「こうあるべき」が強すぎるんだよなと思っていたのだけど。
最近気づいたのは、この国に同調圧力が少ないのではなくて、私はこの国で外国人=明らかなマイノリティとして扱われるから、同調圧力の対象になっていないだけかも。
フィリピンで一番強いなと思う圧力は、「なんで結婚しないの?」なのだが、私にそれを当てられたとて、「日本では30歳前くらいに結婚することが多いよ」で終了だ。
圧倒的に前提が違う相手は、文字通り「同調」できる相手ではないので、きっとその圧力が向けられることが少ない。
これはフィリピンのお国柄から圧力が少ないとかではなく、私が外国人であることが、結局のところなのだと思う。
だから他の国でも「日本より自由、他人の目を気にしない!」みたいな話は、半分はお国柄や文化としても、もう半分は「その国では外国人だから、しがらみの対象外になっている」みたいな話なんじゃないかしら。
ただ圧力の起こる源として、日本の集団行動力と規律の正しさは尋常じゃないと思う。
これがハイレベルすぎるが故に、「列を乱してはいけない」という、色んな場面に適用できてしまう雰囲気に繋がっていくのだと思う。
集団行動ができることも、規律を守れることも本当に素晴らしいことなのだから、「なぜ今その行動をするのか」が周りがやっているからではなく、自分の意見を原動力に動けたら良いのだけどなぁ。
話を戻すと、いつか私が、フィリピンで同調圧力をかけられることはあるんだろうか。
その時はやっとこの国の一員になれた、くらいの気持ちで楽しみたいと思う。