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自分の性格

「曲がったことが嫌い」というセリフがある。

自分は、そうでは無いと思う。
曲がるというのが何を示すのかは分からないけど、「曲がっている=正論じゃない」とかそういう類なら、そのセリフに共感はしない。人間正論だけじゃ無いから、おもしろいのだ。

ただ、おかしいことに対して「おかしい」と意思表示できない環境は本当に無理だと、最近よく感じる。

それは起こっている事象の異常性ではなくて、明らかに異常な状況を良しとしてしまっている環境に対して、無理だと思う。

日本の会社員をしていた時に、何度「私は、おかしいと思います」と言葉にしただろう。
サービスの価値ではなく数字だけを見たような判断、コンセプトから逸脱した戦略、どう見てもおかしいのは明らかなのにロジカル風の根拠やグラフで必死に正当性を証明しているプレゼンが嫌いだった。

年数を重ねるごとに、世の中グレーゾーンと付き合わなくちゃいけないよと、身をもって学んだけれど。仕方ないよなと受け入れる器は広がっても、「おかしい」と感じる頻度は特に変わらない。

ただ自分の意思でハッキリ物申せる自分が好き、という側面もあるよなとも思う。幸か不幸か弁が立ち、思ったことは言わないと気が済まない性格を良く思ってくれる人もいた。本当は言語化できる人じゃなくて、それを解決できる人だけがすごいんだけど。

そういえば中学生の頃は真反対の性格だったことを思い出した。
あまりに八方美人、空気しか読まない私を見た友人が「あなたは誰にでも染まるから、イメージカラーは白」と言い放ったことを、丸10年経った今も鮮明に覚えている。

その時は落ち込んだが、今になると八方美人の何が悪いのかと思う。個人的な性格の好みが、友人を傷つけていい理由になるわけがない。

大人気もなく「今私は八方美人と、自分の意思の両方を使い分けてるけど、あなたはどんな感じ?」と聞いてみたい。冗談です。

そんなことを考えながら、帰国しても日本企業の一員として働くことはしばらく無いんだろうな、と自分の意思とは別の場所で感じている。
そうしたく無いとかではなく、そんな自分が想像できない。

納得できない会社の判断に文句をつけている所だけが想像できてしまったので、そうはなりたく無いなぁと思った。

この性格は年齢とともに上手く適応していくのだろうか。
もしくはこの年齢からは、変わりやしないのだろうか。

どっちでもいいけど、セブのような刺激の多い場所にいると、この性格がより激化してしまう。少し扱いに困っているので、適応してくれると嬉しい。


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