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暗くて長い道の先に〜誰かの一言は、ともしびになる〜
精神疾患患者の私は、人生がとても暗く、長いトンネルを通っている様に感じることが有ります。
時に、そのトンネルに街灯の様な灯り、電灯すら設置されていない様に感じ、ただただ、暗闇の中にいる様に感じたことも有りました。
いじめられていた頃が1番辛かったですが、その次に、大学二年生の時、勝手に治療を中断し、入院治療まで受け、なんとなく、周りから呆れられているのを痛いほどに感じていた時、絶望しながら、しんどいテストテストテストの日々を乗り越え、ただただ、勉強に全部の思考を集中させていたのに、再試験まみれ、追試まみれだった時は、辛かったです。
まさに、灯が一切ないトンネルを歩いている様な感じでした。怖いし、体力は無くなっていくし、、、という状況でした。
しかし、いじめられていた頃と確実に異なったことが有りました。
母校の分子解剖学講座が、精神疾患患者であり、周りから嫌われ、腫れ物となっていたであろう私の居場所となり、守ってくれるようになったのです。
恐らく、私が通っていたせいで、母校の分子解剖学講座は、変な講座という扱いを受けていたかもしれません。とても申し訳なく思います。
それでも、6年間、通うことに文句も言わず、未だに、挨拶しに行くことも許して下さいます。
そんな素敵な、母校の分子解剖学講座のとある技術職員さんが、大学2年の暗黒期真盛りの私に、
『いつか、必ず楽になる時が来るから』
と仰って下さいました。
その瞬間、二十歳を超えた大人なのに、ブワッと涙が流れて、流れてとめどなく流れて、肩の荷がすっと軽くなったのを感じました。
そして、必死に勉強をして、治療薬の影響で、回らない頭を必死に使っていました。
無我夢中で、必死に勉強していたら、なんとかギリギリ進級出来ました。
恐らく、学年の大半からは、留年確実と思われていたので、私なんかが学年に残ったのは、最初は、非常に遺憾の意を表明したかったと思われるのですが、それでも、残りの4年間、居場所と友人を与えてくれた卒業同期に心の底から感謝しております。