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こわくなる

時々こわくなる
こんなに幸せが続いて良いのだろうか
って

実はもっと改善すべきことや
もっと出来ることがあるのに
浸ってただボケーっとするだけが精一杯の日がある

そしてハッとした時
どんな不幸が来るのかとそれで頭が一杯になって
なんというか
不幸や災難な事が起きて欲しいような不適な笑みを浮かべる自分をみてゾッとする

自分にはトリガーがある事も理解してる
改善する為に本を読んでみたりする
それでも尚、今まで積み上げてきたもの全部ぶっ壊して這い上がるあの瞬間を待っている

私なんかが幸せになって良いのだろうかというのは当たり前に思う事だが
これは他の人から見れば幸せな事だしとか
根本的に幸せな話をする経験が少ないから他人に何を話したら良いのかわからない。

聞く分にはどうだって良いんだけど
上手く話せない(別に話す必要ないけど)
誰も私の幸せなんか興味ないと思っている
根本的な私の思考はガキの頃と変わっちゃいない

そんなこんなで
今の私は写真を自分から無意識に離そうとしてる
唯一、他を捨ててそれに費やしてきたものを失おうと

そんな第二の私が居るんだね

これは事実なんだよね…

素敵な花を見て撮ろうとしても
他人の言葉や写真が頭を過ぎった
私の存在価値もモノの価値も写真そのものも
全部風に乗って誰も知らないあの場所へ行けたら良いのになって
側から見たら逃げの姿勢だ

毎日一定の気持ちで撮り続けられる人や、ただ好きで空っぽでも評価される人
お金(仕事)で割り切れる人

いいなぁって思うよ
私はこんなにも幸せな肩書きを持ってるのに人を幸せにする技量や気持ちが足りないね

次に自分がする事は目の前にはっきりとわかる
幸せが怖いなら人を幸せにする事を考えたら良いって思考の変換もうまく機能できない
綺麗な陽や花を見ても人より長く見つめただ匂って通り過ぎる

私は一体何処を歩いているんだろうね

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