Spring Horse
今朝、中々の悪夢を見て目覚めた。理不尽なことを見ず知らずの人間に浴びせられ、獣のように咆哮したことは憶えている。微睡の中、スマホの灯りをつけて、ネットニュースを見る。あぁ、夢じゃなかったのか。昨日のことがすべて夢であればと期待したが、どうやら紛れもない現実だった。
人生、生きることと、死ぬこと。ずっと、この話題について書こうとしていたが、中々どうして筆が進まずにいた。やらなければならないけど、どうしても後回しにしてしまう夏休みの宿題のような。朝イチに豚カツを食べてしまう程になんともカロリーの重い作業で、あまり気が進まない。勿論、今も。本当はグリーンスムージーくらい軽やかな気持ちで書きたいのに。では何故、その重い腰を上げる気になったのか。今、この気持ちを書かないと前に進めないと気付いたからだ。
先週の月曜日、とあるアイドルがこの世を去った。その方は数年前にライブを見に行ったことあるメンバーの1人で、最近ではYouTubeでも人気があった。原因は定かではないが、ネット上の誹謗中傷に耐えられなくなった………と書かれている。そして、昨日。あの大人気俳優が突如この世を去り、激震が走った。勿論俺も昼寝しようとしていた最中、ニュース速報の文字を見て混乱した。何故、彼が!?
あんなにハンサムで、人気者で、仕事も順調なのに、何に絶望したのだろう。何が彼を絶望の淵へと追いやったのだろう。一般人なんかは誰からも必要とされる訳でもないから、誰が何処でどうなろうが世間には全く影響を及ばさないけど、彼は茨城の、いや…日本の宝であり、演劇界に必要とされていた存在だ。これまで数々の名作に出演していたし、これからもっと活躍していただろう。精神面に影を落とす理由など、何処にも見当たらない。
逆にそれこそが重圧となり、一生取れることのない枷となり、逃げ道がなかったのだろうか。本当はもう俳優をするのが辛くて仕方なくて、それすらも演技で周囲に振る舞っていて、一人になると深く落ち込んでいたのだろうか。俺なんかはもう一度道に迷っても、引き返して再び何叉路もある道の中での選択肢があるけど、超有名人だと引き返せない一方通行のボロボロの橋を渡ってる感覚なのだろう。
一度渡ってしまったら引き返せない、足を少しでも滑らせたら谷底に落ちる。別の選択なんて何もない。小さい頃からずっとその道しか無いから、自尊心が邪魔をして出来るはずがない。どうにかして別の選択ができても、一般人は「あいつは終わった」と心なく揶揄するだろうし。いや、荷物まとめて田舎に帰るという選択も許される筈がない。仮に、俺がマネージャーだとして、何としてでも説得して絶対に辞めさせなかっただろう。もしくは彼の親友か恋人だったとしたら、きっと「辞めるなよ。君なら出来るよ」と引き留めただろう。「そんなにきついなら、もう何もかもを捨てて田舎に帰れよ」なんて、言えるはずがない。それが彼にとって「俺なんてこの世界で必要ないんだ」と落ち込ませてしまうトリガーになってしまうかも知れないから。だから引き止めることも、辞めさせることも難しいんだ。
すべてのことを憶測でしか言えないのがほんと辛い。これはあくまで自分の経験に基づいて言えることだから。悩みの大きさは当人しか分からない。他の人にとっての取るに足らない、別段気にすることもない些細なことが、彼にとっては心身の機能を停止させるほどの問題でもあるかも知れない。だから彼の近しい人達、どうか自分を責めないで欲しい。仲が良いからこそ迷惑をかけまいとした彼なりの優しさなのだから。
僕自身、何度もこの世界に絶望したことがある。何度かあるが、特に21歳の頃だな。何をするにも上手くいかなくて、この世界に自分の居場所は無いんだって落ち込んで、生きることから逃げ出したかった。勿論この時悩んでいたことは誰にも話せていない。それがカッコ悪く、とても恥ずかしいことと思っていたから。立ち直れたのは、叱ってくれた家族とか、どうにか入れた会社だとか、誤魔化し続けてやってきた先に出会えたアイドルだとかのおかげかもしれない。そういう出会いが幾重に折り重なって歩いてきたら、生きるのも悪く無いと思えた。
それでも、「生きてみるか」と思えているだけで、明確な強い「生きたい」みたいな意志は、正直なところあまり沸いてない気もする。だから、社会人になってこの14年の間にも何度か、大きなショックが起きると心が折れて何もできないほどになっていた。未だにフラフラと水面を漂うボウフラのような存在なんだ。いったいいつ「生きたい」という強い目的を持った「大人」になれるんだろうな。
未だに彼らが亡くなったという報道が信じられない。これが全国民を巻き込んだ壮大なドッキリであれ!と意味のない祈りをしてしまうほどに。少しでもその前兆だったりSOSのサインはあったのだろうか。近しい人たちにとっては気づけていたら、相談に乗っていたらの後悔しか残らないよ。何でだ。何で俺じゃなく君なんだよ。国の宝だろ。もっと国民から必要とされる存在だろ、間違いなく。こんな汚れた世界のまま、絶望に塗れたまま死んでいくのかよ。ダメだろうが。ここで灰になって、何れ忘れ去られてしまって………そんな奴じゃないだろ。いつまでもこの世界で輝き続けろや。命を粗末にすんな。自分の終わりを自分で決めんな。もう、なにも届かないんだね。
だから、今この世界で生きている人すべてに伝えたい。死んだら、終わりだ。どんな理由があっても、死んだら負けなんだよ。いいんだよ、辛いなら何もかも投げ捨てて逃げて。死にたいほど辛いのに、留まることなんて無いよ。ちゃんと周りの人に助けを求めていいんだよ。逃げ出すことは、負けじゃ無いよ。ただ次の道へ切り替えるだけなんだよ。自分の人生の終わりを自分で決めちゃダメなんだよ。
そう伝えたかったのは勿論昨日亡くなった彼であり、そして、13年前に亡くなった同い年の従兄弟である。従兄弟もまた、人生に絶望を感じて自らこの世を離れることを選んだ。まだ20歳そこそこだろ。まだ何も経験してないだろ。人生に絶望するのは早すぎるだろ。と、当時は怒りの感情しかなくて、ある意味それが原動力となってこれまで自分が生きてこれた気もする。自ら死を選ぶことは絶対に悪い。みんなが悲しむ。悲しみしか残らない。大切な人を悲しませるな。生きよう。生きていれば、きっと光は見えるから。彼らの死を無駄に、とは容易くは言えないが、この世界がもっと住みやすくなればと、今はただ願うだけだ。もう2度と、こんな悲しいニュースが流れないように。
今日はとても晴れている。彼の心変わりがあと1日でもズレていれば、この空を見て「生きてみよう」と思えていただろうか。それは、誰にも知る由もない。