マンガ沼に嵌っていく
昔からマンガは好きだったと思う。
毎週ジャンプは買っていたし、なんとか村っていうweb上の漫喫で無数の作品を読んでいたような気もする。
気に入ったマンガは大人買い、小さな本棚が埋まるくらいにはコレクションがあった。
しかし、自分は"マンガ好き"では無かった。
そんな私が"マンガ好き"の沼に片足を突っ込みだした。もう止められないのかもしれない。今日はそんな話。
奈良へ
『奈良へ』という漫画をTwitter上で絶賛されているのを見かけた。別に世間的に騒がれているわけでもなかったが、たまたま私のフォローしている映画評論家や音楽評論家等のサブカル野郎達の中で話題だった。
そんなことも忘れかけた頃、ふと書店でその本を見つけた。「何か見覚えあるな」と何となく手に取り、何となく購入した。家に帰って読んでみると、訳がわからなかった。しかし何か心にくるものが微かながらあった。社会不適合者の、落伍者の、クズの心に刺さる何かがあった。
それが何なのか、正体が掴めなかった。
巻末にINUのボーカル町田康の解説が載っていた。「あ、この人小説家になったんだ」と驚きつつも、その解説を読んだ私は分かりそうで分からないというモヤモヤに包まれた。
つげ義春
そんな漫画家がいることも知らなかった。しかし、『奈良へ』の作者である大山海も、その解説を書いた町田康も、彼の名前を出していた。
もしかしたらハイコンテクストな作品だったのか?
つげ義春という"文脈"を知れば、このモヤモヤを解決出来るのかも。
と考えた私は書店へ走った。
とりあえず名作であるらしい『ねじ式』を買って読んでみる。
意味が分からなかった。
余計に分からくなった。
『奈良へ』なんか目じゃないくらいに『ねじ式』はぶっ壊れていた。
考えるな、感じろ
昔、芸術に造詣が深い人に言われた事を思い出した。
「芸術を知りたかったら、とにかく体感しろ。目で観て、耳で聞いて、五感をフル活用して体感し続ければ、そのうち分かるようになる」
その当時は「ふーん」と聞き流していたが、多分それは真だ。
今まで触れた創作物の量がまるで足りていないのだ。
万人受けする所謂"売れるマンガ"しか読んでこなかった私にとって、メインストリームから外れた漫画を処理するための情報が一切欠けているのだろう。
勿論、マンガと芸術を一緒にしているわけではない。
ただそういったよく分からない創作物に出会った時、それを消化するためには、自分の肌感を持つことが大事なんだろう。
そしてそれは、説明不可で感覚的なものなんだろう。
正に考えるな、感じろってことなんだろう。
いい作品かどうか
別に『奈良へ』も『ねじ式』も面白い作品ではないと思う。
捻くれた視点で見れば、万人受けしない時点で漫画としては失敗作であろう。それを好きな人も、そう言っておけば玄人ぶれるし、大半が中身のないサブカル野郎だろう。
しかしどちらの作品も、少なからず私に影響は与えた。
理解できない、面白くない。でも何か心に残る。
そんな作品達を、果たして言語化できるほど理解できる時が訪れるのだろうか?少なくとも私だけに分かる独自の"肌感'みたいなものが出来上がればいいなと思う。
とりあえず好き嫌いなく色々読んでみよーっと、、
そんな事を思いながら、少しずつマンガ沼にハマっていっている今日この頃です。