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ALSになっても視線入力だけで絵を描き続け、人類の可能性を更新し続けた仲間の物語

私達には尊敬する大好きな仲間がいた。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、呼吸器を装着して寝たきりになる中でOriHimeを知り、導入してから3年間、365日毎日自分の身体として使い続けた榊浩行氏だ。

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ALSが進行し、筆を持てなくなり、話せなくなり、ついには眼球しか動かせなくなっても、視線入力だけで数々の絵を描き続け、更にはOriHimeで出社して仕事を続け、「共に生きて行こう」とSNSでメッセージを発信し多くの方を励まし、チームOriHimeとしてかけがえのない仲間だった。

少し長くなるかもしれないが、数多くの道を切り拓き、半年前に旅立った我々の仲間、榊浩行さんの事を多くの人に知って頂きたく、彼が遺した多くの作品、挑戦と共に思い出を書かせていただきたいと思う。

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榊さんと出会ったのはちょうど意思伝達装置「OriHime eye+switch」を製品化できた2016年だった。
(最新のOriHime eye+switchの詳細はこちら)

「農林水産省の課長でALSになった方がいて、OriHimeで仕事を続けられないだろうか?」と相談を持ち掛けられ、視線入力でPCをスムーズに操作できるようにカスタマイズさせて頂いた事がきっかけだった。(当時は視線でのWindows操作モードはまだ開発段階だった。)

今ではOriHimeを使って重度身体障害があっても企業や自治体で働くという事例も複数生まれているし、2019年に国会議員になったALSの舩後議員や前内閣府副大臣の平議員もテレワークでOriHimeを使われているが、実は最も先に実践的に導入されたのが榊さんで、農水省だった。

病院のベッドの上から視線入力でOriHimeを操作して会議に出席。ネット上ではFacebookを使い、友達や仲間と交流し、私とも普通にメッセンジャーで頻繁にやりとりしていた。

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OriHimeの操作と写真撮影、それをFacebookへの投稿も、全てOriHime-eyeによる視線入力のみで行われている。

榊さんのところにOriHimeとOriHime eyeが導入されてしばらくした夏、オリィ研究所のメンバーが突然研究室のドアを開け、「榊さんが凄いものをFacebookにアップされています!」と驚いた顔で私にスマホ画面を見せにきた。
それは視線入力によって書かれた赤い花と、竜の絵だった。

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私は本気で驚いた。
というのも、私がOriHime eyeシステムを開発した2015年、同じ要領で絵も描けるんじゃないかとプロトタイプを作った事があったが結構難く、実用的ではないと判断して開発を中断した経緯があったからだ。
それと同じ仕組みで描かれていると知り、にわかには信じられなかった。

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Windowsに初めから入っている「ペイント」で、ドットひとつひとつ目だけで描いていくので時間はかかる。1作品を作るのに2週間~1ヵ月かかったが、「いままでは寝たきりで何もできずテレビを見ているしかできなかったが、絵を描き始めてからは毎日があっという間に過ぎていく。」と言っていた。

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さらにもっとこうしてほしいという改良点をもらい、それに応えて機能を改善し、さらに細かな絵を描かれるようになっていった。
TVの取材も受け、リポーターに「美人の方の訪問を歓迎します」と言っていた。

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榊さんはALS患者としては進行がかなり早い方で、2015年に診断されてから呼吸器を装着し、話せず表情も作れない寝たきり状態になるまで1年半しかなかった。
しかし、話せなくなり表情を作れなくなっても人を笑わせ愛される明るいキャラクターはそのままで、3年間毎日OriHimeを使い部屋を訪れる人達を歓迎し続けた

2018年 榊さんのビデオレター

病院から出れない榊さんだったが、OriHimeで農水省の仕事をされながら、2018年オリィフェス、ALS啓蒙イベント「ゴロン」など、OriHimeでいつも私達とも一緒にいた。
同じALSのホーキング博士の本のイベントにもOriHimeで遠隔で出席された。PC操作やFacebook投稿も、全て視線入力だけでこなした。

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鎌倉旅行にもOriHimeで参加し、その時に観た景色を描いた細かな風景絵は一瞬写真かと脳が判断してしまうほど、視線でここまでやれるのかと多くの人達を驚かせた。

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ちなみに使っているソフトはwindowsに初めから入っている「ペイント」だった事も、分身ロボットカフェ2019スポンサーだったMicrosoftの人達を驚愕させた。
「新・理系の人々2」(著よしたにさん)の漫画の中でも紹介された

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榊さんは元々趣味で絵を描いていた。
しかしALSを発症し、利き手の右手が使えなくなり、左手に筆を持ち替えたが左手も使えなくなり、口に筆を咥えて描き続けるもそれも出来なくなってしまった。製品化したばかりのOriHime-eyeを彼が知ったのはまさにそんな時期で、「まだ描ける」と気付いてからは毎日書き続けたと言っていた。

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口で書道をしていた私の亡き親友、番田のカレンダーも病室に絵と一緒に飾ってくれていて、講演でも「同じような人達も、ぜひ希望をもって共に生きていこう」と伝え続けた。

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2019年には代官山のTSUTAYAで作品コーナーが実現。

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「榊さんが活躍できるOriHime-eyeの開発凄いですね!」と言ってもらえるが、むしろ逆で、365日ユーザーである榊さんに我々の製品のポテンシャルを最大まで引き出してもらったというのが正しい。

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OriHimeもOriHime-eyeも改良を重ね、榊さんの絵の腕も上達し、更に細かな表現ができるようになっていった。

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第2回分身ロボットカフェDAWNでは、榊さんも店員パイロットとなり、視線入力で操作し、同僚や友人へコーヒーを届ける事に成功した。

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毎日、朝目覚めてから眠るまで利用し続け、OriHime やOriHime-eyeは新しい私の手足だと言ってくれて、使いつくして意見を貰い、ALSの可能性を拡げ、一緒に講演にも行く。ユーザーであり、開発者の仲間だった。
一緒に改良を続けたOriHime-eyeは年間 百数十人以上のALS患者の人達に利用されていく製品へと成長していった。


2019年の冬に入ってから、榊さんは体調を崩される事が多くなった。

よくお見舞いにいっている友人からもだいぶ辛い状況だと聞かされ、「春に会いに行きます」とチャットしていたが、新型コロナの影響で病院に入れなくなり先延ばしになり、2020年5月末、ついに会えないままの別れになってしまった。

毎年6月にOriHimeで参加してもらっていた名古屋のALSゴロンのイベントに今年も登壇してもらいたかったし、分身ロボットカフェで榊さんがもっとお客さんとスムーズにコミュニケーションが取れるシステムも構想していて、一緒にやりたい事が沢山あったのに。
訃報の電話で「榊さんも吉藤さんに会いたいとおっしゃっていた」と。
最期に何を伝えようとしてくださっていたのか
心残りで、本当に、悔しい


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亡くなる1ヵ月前、最後の作品となった春夢


榊さんはずっと入院し、生身の身体はほとんど外へ出る事はできず絵は昔外にいた想像やOriHimeで見た景色で描かれ、外や自然の絵ばかりだった。
しかし滅多に弱音を吐かず、主治医の先生、ナース、友人、私を含め多くの人に感謝を絶やさず、私達をも励まし、多くの人達に愛された官僚で、アーティストだった。
これからも私達の仲間、誇りとして伝え続けていきたいし、彼の挑戦、作品を多くの人に知ってもらいたいと思っている。

また、榊さんを見て、目で絵を描き始める特別支援学校の学生達も登場し始めた。

我々はツールを作るが、人に希望を与えられるのはそれを使う人達だ。

誰かの”できた”が、他の誰かの”できるかもしれない”に変わる。そしてその人がまた次の挑戦を始め、そうやって人類は進歩していく
そんなバトンの連鎖を日々見ながら、これからも我々も研究を続ける

我々は榊さんの雄姿を絶対に忘れない

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夜明け(DAWN)


吉藤オリィ


OriHime eye+switch:
2013年からALS患者会と共に開発し、全国数百名の方にご利用いただいている視線や指先などのわずかな動きで意思の疎通およびPCの操作などが可能なシステム
購入補助制度適応で、ALSなど当事者の方は45万円(免税)のところ、4.5万円の自己負担で導入できる(詳細は以下のリンク)

追伸:
我々の活動をサポートしたいと言ってくださる方はこちら。当事者らとの新たな挑戦の発信や交流の場を提供し、資金は全て次の研究開発に全額投資していきます。


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