無能な人の社会的役割
占いをしていると、その人その人の役割について考えることが多くなります。ある程度の成功が約束されている人はともかく、ずっと社会の底辺で埋もれてしまうような運命の人の存在意義はなんなのでしょうか。
8050問題とかで、親の年金頼りで生活している人々が見受けられます。彼らの総人口数は61万人と言われています。おそらく少なくない人が発達障害者や精神障害者なのだと思われます。
私自身も企業が求める基準をクリアすることができず会社から追い出されたのですが、自分自身を顧みても無能でした。うっかりミスが多く、コミュニケーションが取れず(無口とかそういう話ではなく日本語が通じてないことが多かった)、会場設営的な仕事では何をしていいのかわからず棒立ち、おまけに耳もよく聞こえないので指示を聞き逃すような社員でした。ただ知的には問題がなく、雑学王的な面もあったため、余計に仕事のできなさがマイナスに映るタイプでした。
近年は「知的に問題がないのに無能」な人が増えているような気がします。俗にいう「お勉強はできるが仕事ができないタイプ」です。また、仕事だけでなく恋愛や結婚も不得手だと思われます。非モテ男子が問題視されつつありますが、彼らは非モテも兼ね備えていると思われます。
人類共通の認識として、「努力して能力を伸ばして成功する」というのが人として生きる上での大前提となっていますが。彼ら無能の人はそのラインから大きく逸脱しています。まず、意欲というものが欠けている人が多く、一つのタスクをこなすのにおそろしいぐらいの時間がかかったりします。そして、興味のないことはできないという特性が努力の邪魔をします。
おそらく、集団で現れる社会的弱者というのは、その時々で社会問題化して一般人の認識の書き換えを促すのではないかと思うのです。だから、人類は彼らを前にして人に対する認識を改める必要が出てくると思うのですね。
無能な人を目の前にして帰るべき価値観とはなんなのか。上手く言えないのですが無能の受容だと思います。努力することを強制していた今までの常識から外れて「無能なままのあなたでいい」と考え方を変え、無能な人が生きられるような社会整備をすることになるのではないでしょうか。
それだと、普通の人も怠ける口実を与えてしまう事になり、努力の尊さを捨ててしまいかねないので難しい話です。でも、人の中にはいくら努力しても成果を出せない人もいるので、彼らを責めても心を折らせるだけだと思います。
それに、人は好きな物を見つけてしまうと勝手に努力するので問題はないと思います。問題があるとすれば、人を戦力として企業または組織の歯車として使っていた人たちが困るというだけです。ただ、努力して能力を高めて企業に就職する方が人生設計で有益だと感じてる人は努力の道をつづけると思います。その生き方を無能な人に強制するのは酷だと思います。
知的に優れていても働けない人は大勢いるし、これからも出てくるでしょう。無能な人を受け入れる時期がもうすぐ来ているのだと思います。