私とベガルタ
ゼロックスカップのハイライトを横目にこの文章を書いている。小林悠エグいわ。いつかベガルタもこのステージに立ってくれると嬉しい。
Twitterで最初にファンになった選手、みたいなタグがあり、各々好きな選手について語っているのを見た。自分は?と考えたところ特にない、というか思い出せない。多分誰かいたんだろうが、どちらかというと自分の生まれ育った街にプロチームができ、J1で戦っているのを見て、応援したのが最初だったと思う。
今の若いサポーターに言っても信じてもらえないかもしれないが、私が小学校のとき、仙台にプロチームなんてなかった。いや、厳密に言えばあったのかもしれないが、そもそも人気を集める国内のプロスポーツが野球しかなかったのである。
そして関東より北に野球チームを持っている都市はなかった。北海道日本ハムファイターズが札幌に来たのは2004年だし、イーグルスの最初のシーズンは2005年だ。それまで、自分の育った街にプロチームがあるというのは贅沢な話だったのである。東京から来た転校生がジャイアンツの勝利を我が事のように喜んでいるのを見て、羨ましく思っていたのを覚えている。仙台に住む僕らはプロ野球ファン、いやプロスポーツファンの「外様」だった。
仙台という街も、東北最大の都市であることはずっと変わらないが、政令指定都市(昔はそれほどなかった)の中で唯一100万人を超えない規模という状態だった。大きな産業もない、企業もない、極端に言えば住みやすいことだけが取り柄の街だったのである。
仙台はそこそこ大きくて住みやすいので、ずっと仙台に住む人も多い。ただそれだけに外から仙台を見ることが少ない。私も父親が転勤族で、日本では高校まで仙台より大きな街に住んだ経験がなかった。日本のメガバンクが七十七銀行のことだと思っていたぐらいだ。お茶といえば伊藤園でなく、井ヶ田だった。
大学時代の福岡出身の友人に「正直仙台はもっと都会だと思っていた、ここまで田舎だとしらなかった」と言われたときにはショックを受けた。その後福岡、大阪、東京に遊びに行ったときにそう言われた理由がわかったが。東北は経済的にも文化的にも日本の中で恵まれている方ではないのだ。仙台という街も日本の「外様」だったのだ。そりゃ伊達政宗は紛うことなく外様大名だったのだからしかたないが。それでも生まれ育った街だし、愛着はあるので、仙台という都市の持つ価値がもっともっと大きく、メジャーになるといいなぁ、となんとなく考えながら過ごしていた。
そのタイミングで仙台にサッカーチームが誕生した。名前はブランメル仙台。
といっても、華々しく開幕したJリーグにはその姿はなかった。JFLのチームとして産声を上げたため、チームができたとは知っていても、友達の中で話のネタになるようなことはなかった。チームがあってもトップリーグにいなければ興味を持たない。チームができても相変わらず僕らはプロスポーツファンの「外様」だったのだ。
そこからベガルタ仙台と名称を変え、2001年、東北のチームとして初のJ1の舞台に登場する。このときの監督は清水秀彦。エースストライカーのマルコス・現日本代表監督の森保一を擁し、J1開幕5連勝を上げ、「仙台旋風」と全国ネットのテレビにも取り上げられた。ベガルタ仙台を応援すべき対象として認識したのはこの辺だったと思う。
仙台生まれとしてこれほど嬉しかったことはない。これまで日本のプロスポーツの熱狂に全く乗れなかった地元のチームがトップリーグを席巻しているのだ。しかも仙台サポーターの熱量に強豪チームが「押されて」いた。待ち望んだ景色だ。すぐにチームのファンになった。
残念ながら翌年仙台旋風は終わってしまう。開幕ダッシュに失敗したチームはフロントが未熟なこともあり、清水監督を解任。後任にベルデニックを迎え、チームのエースである岩本輝雄を不慣れなポジションで起用していまい、監督との信頼関係に亀裂が入る。悪くなった流れを戻せず、J2降格。ここから暗黒期に入る。
途中登板のベルデニックと何故か長期契約を結んだフロントは翌年もこの体制で戦うが、J2の舞台で全く結果を出せず、シーズン終了後解任。このとき契約を残していたため違約金がどうのこうのとなっていた気がする。奮闘していた佐藤寿人もオフに広島に移籍。
その後都並敏史監督(采配も戦い方もあまりピリッとしなかった)を経て、ジョエル・サンタナ監督をとる。このシーズンはボルジェス(後のブラジルA代表)、チアゴネーヴィス(同じく後のブラジルA代表)、ロペスといった超豪華な攻撃タレントを揃えて昇格を狙った。セレソンが二人もいるのは後にも先にもこのシーズンだけではないだろうか。しかし、結果は4位。強化部の昇格への強い意志を感じるシーズンだったが、惜しくも届かなかった。
大枚を投じて補強したベガルタだったが、J1昇格ができなかったことで、経営方針を変える。豪華な補強ではなく、現有戦力を中心に身の丈の戦力補強でチーム作りを始める。望月達也監督は04年入団組のレジェンド梁勇基や関口、富田など起用して前年と同じ4位でフィニッシュする。
この方針でフロントは手応えを掴み、望月監督に続投要請をするが、何故か固辞される(理由わかる人いたら教えて)。そこでコーチである手倉森誠監督が繰り上げ就任。1年目は惜しくも届かなかったが、2年目で悲願のJ1昇格。
そこからベガルタはずっとJ1にいる。
このクラブ規模で降格なく10年以上もトップリーグにいることは凄いことだと思う。これはベガルタ関係者、サポーター、ファンの20年、いやそれ以上前からのエネルギーがそうさせているのだろう。そんなベガルタが債務問題を始めとした様々な問題で存続すら危ぶまれるのを見るのは辛い。ただ、私はこのチームはもっともっともっとできるはずだと信じている。
手倉森監督、もう一度、「仙台旋風」を、仙台人が自慢できるようなチームを作り上げてほしい。仙台には素晴らしいスポーツ文化もあるんだぞとベガルタから、杜の都から発信してほしい。あの頃とは違い、野球もバスケもあるが、あの熱量は蘇るはず。
2021シーズンの開幕がせまってきた。テグさん、期待してます。
〆