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タルボサウルスの喉袋

(メイン画像:WikimediaCommons,File:Tarbosaurus Restoration.png credit:PaleoNeolitie)

ケネス・カーペンター先生(ゴジラサウルスの記載者としても有名)は1997年に書籍『“Tyrannosauridae”. Encyclopedia of Dinosaurs.』の中で、モンゴルのティラノサウルス=タルボサウルスに喉袋があったことを報告しました。
それによると、風化した頭蓋骨周辺の皮膚印象は、顎の下に喉袋の存在を示しており、この喉袋は大きな獲物を飲み込むのに便利で、現生トカゲのように鮮やかな色をしていたかもしれないとされています。

カーペンター(1999)より、喉袋を有するタルボサウルスとグンカンドリ(ここではタルボサウルスはモンゴルのティラノサウルス扱いされている)

1999年の書籍『Eggs, Nests, and Baby Dinosaurs: A Look at Dinosaur Reproduction.』では喉袋を展げて求愛した可能性が言及され、ペリカンに似たつくりだったならば明るい色の喉袋を膨らませて、頭をやや後ろに傾けて見せびらかしたと考察されていました。

さて、カーペンター先生が報告したこの標本。なぜ表舞台に上がってこないのでしょうか?どこから得られ、そして現在どこにあるのでしょうか?

その答えは、2019年に明かされました。
ミッキー・モーティマー先生とコンスタンチン・ミハイロフ先生の交流の中で、その真実が明らかとなったのです。ミハイロフ先生はカーペンター先生の書籍の中で喉袋の情報源として挙げられており、喉袋の経緯についてよく知っている人物です。

ミハイロフ先生によると、この標本を発見したのはセルゲイ・クルザノフ先生で、発見場所はネメグト層であったといいます。この標本は、発見されたものの持って帰ることができなかったため、その場に放置されたようです。

この化石は現在はどうなっているのでしょうか。
野晒しの状態で放置されていたため既に侵食でダメになっている可能性があります。また、「地元の盗掘者によって破壊された、皮膚印象のあるタルボサウルスの化石」と同一であるともされ、これが本当なら人為的に破壊されているのかもしれません。

どちらにせよ、タルボサウルスの喉袋について研究するにはもう手遅れのようです。

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