「誰も言ってない」と言った時点で負け
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よく見る「誰も言ってない」という表現
とあるTwitterユーザーが発言していました。
この件については、すでにAV新法反対の活動を行っている活動家の方々が発言しているため、こちらの「広く表現の自由を守るオタク連合」さんこと新橋九段さんの「誰も主張していない」というツイートは、デマであることが明らかになっています。詳しくは手嶋海嶺さんのnoteをご覧になるといいでしょう。
このように簡単に「誰も言ってない」こと自体がデマであることが証明できてしまうので、個人的には「誰も言ってない」という表現は、安易に使えるものではないと考えています。
これはどのような人でも同じことを言えるのですが、人は基本的に自分の視界に入ったものだけを基準として物事を判断するものです。「○○した人はいない」「誰も○○を言ってない」など発言する人はいますが、それはあくまでも自分の視野に入ったもので判断していることであり、自分の視野の外にあるものがどうなっているのかまでは気をかけているとは言い難いでしょう。
客観的に「誰も言っていない」というならば、全世界…いや全宇宙の森羅万象を網羅した上での発言しなければならないでしょう。この世界の全てが見えるほどの視野を持ち合わせている立場でない一個人が、とても真顔で発言できるような言葉ではありません。
自ら弱点曝け出していませんか?
この「誰も言っていない」という発言は、個人的には自分から弱点を曝け出す自爆行為にしか見えません。しかし、発言している人達は、気づいてらっしゃらないように感じられます。
なぜ「弱点を自ら曝け出している」のか、理由3点上げておきます。
弱点①視野が狭い
まずは「視野が狭い」ということを自らバラしているということでしょう。
「誰も言ってない」と発言しつつも、少し検索すれば出てくる情報はあるものです。ツイートしている人が一人でもいれば「誰も言ってない」というのは嘘になってしまいますが、安易に「誰も言ってない」と呟いてしまう人は、自分が「Twitterの検索機能やGoogle検索さえもまともに使いこなせない」ことを曝け出しているも同然です。
この「誰も言ってない」と発言を見ただけで、発言者は「視野が狭い」「検索機能を使いこなせない」ことが露呈してしまうだけです。
弱点②表現力が乏しい
先程の弱点と重なる部分ですが、この「誰も言ってない」というのは、自らの表現力の乏しさを曝け出しているも同然だと考えられます。
「誰も言ってない」が成立する条件は、誰一人も発言していないことが最低条件になります。一人でもツイートしている人がいたら、この発言の説得力はゼロになります。
しかし、ちょっとした言葉遣いを変えるだけでも、発言そのものを台無しにならなくすることは可能です。
「自分の観測範囲では誰も言ってない」
「○○と言っている人は私は見えなかった」
「誰も言ってない(※個人の主観)」
「○○というのは極めて少ないと思う」
「そんなことを言う人はほぼいない」
このように言うだけでも、説得力を台無しになるわけではありません。ただ「この人には見えなかったのね」だけで済みます。ちょっとした言葉遣い一つで説得力も大きく違うものです。
弱点③自分を大きく見せたい
もう一つは「一人称をでかく見せたい人」にしか見えないことです。
神崎ゆきさんのツイートから引用しましたが、一人称で言えば良いことを「みんなが言っている」ことにしたい気持ちが先行しているようにしか見えません。
よほど自分に自信を持てない人なんでしょうか?自分一人しか発言していない状況であるのが怖い人なんでしょうか?一個人の発言であることも、みんなが言っているようなことにしないと不安な気持ちになってしまう人でしょうか?
まさに「自分に自信がない」という弱点を、自ら曝け出しているようにしか見えません。
それでも言い続けるのはなぜか?
しかし、「広く表現の自由を守るオタク連合」さんこと、新橋九段さんは、頑なに「誰も言ってない」という表現を使用することを正当化しています。
理由は「強調するため」と発言しています。
個人的には、指摘されたことに対しては素直に対応すればいいと思いますが、新橋九段さんはそういう方でないようですね。
「誰も言ってない」を強調するために使う…など言ってますが、それは嘘情報に説得力を持たせることが目的であると読み取れるでしょう。自らの発言に説得力を持たせるためには、「自分の観測範囲では」などの言葉を挟んでいては、自分の発言に説得力が欠けてしまうと考えているように思えます。
別に他の人がどういう発言をしていようが、「誰も言ってない」など強調する必要性なんて、どこにもないと思います。むしろそれは「自分に自信を持てない」「自分の発言に責任を取れない」人間であるように思えます。
「自分は○○と思う」で説得力が失うわけでもないので、不特定多数を示す「みんなが〜」「誰もが〜」に頼らず、もっと自分に自信を持てばいいのにと感じます。
嘘を強調して得することもないので、もっと素直になったら良いと思います。
拙い表現までも「広く守る」のか?
「誰も言ってない」という発言は、自分の説得力を台無しにする自爆行為にしか過ぎないが、新橋九段さんは「誰も言ってない」というのを「強調する」という目的なら成立すると考えているようです。
自分が表現を少し工夫して、「私は見ていない」や「私の観測範囲では誰も言ってなかった」などと言うだけで、発言の説得力を台無しにするようなことはないだけに、そこまで意地になって「誰も言ってない」を正当であると言うのはなぜでしょうか?
それはアカウント名に答えがあるといえるでしょう。「広く表現の自由を守るオタク連合」と名乗っている以上は、自分が多少拙い表現であっても、それは守られるべきであり、正当化されるべきと考えているからと推測できます。
別に「拙い表現」というのは、人は誰しもあり得ることで、もし発言したとしても恥ずかしがる必要もなく、意地になることもないと思います。自分を顧みて今後は発言しないようにしていくなど、自分自身の表現力向上のための糧としていけばいいでしょう。拙い表現をすることで、突っ込まれる要因を自ら作るだけにしか過ぎないので、自分に隙を作らないように、素直に表現力を磨いていけば良いのではないかと思うものです。
ただ「広く表現を守る」というのは、自分自身の拙い表現を守るために、このようなアカウントにしているのではないかと感じさせられます。
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