「月曜日のたわわ」の感想を述べたハートクローゼット黒澤代表の件について
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「月曜日のたわわ」から1ヶ月経とうとしている…
4月4日に日本経済新聞に「月曜日のたわわ」の広告が登場し、もう1ヶ月が経とうとしているにも関わらず、いまだにこの話題は絶えません。
1日掲載しただけの広告と考えると、ほんの少しの間だけ、不用意に触れていなければ、これほどの騒ぎにもなっておらず、同時に「月曜日のたわわ」という作品も今以上に知られることはなかったでしょう。
東工大の治部れんげ准教授に取材した批判記事を掲載した「ハフポスト」の記事が最初で、そこからは大して盛り上がることもなく、収束していくものかと想定していましたが、まさか「国連女性機関が日本経済新聞を非難する」まで発展するとは思ってもいませんでした。
これは私がどう考えるか以前に「客観的に分析してみよう」と思って書いたものですが、誰から見てもハッキリとわかるであろう情報は「タイトルが『月曜日のたわわ』」「4巻が発売される」「3巻まで連載中」「作者は比村奇石さん」「(断定できないが)女子高生」「(断定できないが)胸の大きな女性」というくらいでした。
つまり、論争の中心になっている「性的搾取」「女子高生を性的な目で見ていいというメッセージがある」などといったことは、結局は見た人が感じた主観であって、客観的にそのようなものであると断言するのは無理があると書きました。
それに一休さんの「屏風の虎」と同じ話で、この広告に関してもまた「描かれたもの」でしかないという指摘もしました。
屏風から虎が出てこないのとお同じで、広告から「性的搾取」が出てくるわけでもないどころか、描かれている「アイちゃん」ですらイラストの中から現実世界へ出てくることはありません。
見解と感想を述べたハトクロ黒澤代表
ファッションブランドのハートクローゼットの黒澤代表が「月曜日のたわわ」に言及したことについては、積極的に追う気にもなっていなかったので「別の方向に波及している」と感じただけに過ぎなかったのですが、後から見てみると「ブランドまで非難するほどですかね?」と思うばかりです。
神崎ゆきさんがTogetterでまとめられていました。このnoteはまとめ主である神崎さんによるバイアスが含まれていることが前提ですが、非難する側が極端な反応を示していると私には感じられます。
黒澤代表の発言の大きなポイントとしては「国連の抗議がわからない」と「月曜日のたわわの感想」についてです。
胸が大きい女性のためのファッションブランドの代表という立場だからこその考え方が見えており、非常に読み応えのある連ツイートだったように思えます。同時に「不快だなーと思う人もいるのも理解できます」というように、不快だと思われている人に配慮をするように、非常にバランスの取れるツイートをしていたと感じられました。その上で「どんな性でも性的な魅力で異性を応援しても良い」と個人的な見解を示されています。
同調圧力に迫られる
神崎さんが作ったTogetterに「月曜日のたわわ」の感想を書いた黒澤代表のツイートに対する反応がまとめられていましたが、「キモい」「女性失格」「名誉男性」「男の都合がいい女」など苛烈な誹謗中傷を受けていました。
「月曜日のたわわ」を読んで、人にとっては「キモい」と思う人はいるでしょう。私も少し読みましたが、決して自分にあっている漫画とは思いませんでした。苦手な人は苦手なのはわからないでもありません。
しかし、漫画でもファッションブランドでも、根本的には「自分は自分。他人は他人」ではないかと思います。
黒澤代表が月曜日のたわわに対して悪い印象を抱いていないことが、すべての女性の総意というわけではないので、黒澤代表を非難している方々は「黒澤さんはそうなんだね。自分は好きじゃないけど」というスタンスでいるものではないかと感じられました。別に黒澤代表が「月曜日のたわわ」を好意的に見ていたとしても、その人の命を取られるわけでも、痴漢に増えるわけでもないことは理解していただきたいところですね。
黒澤代表を非難しているアカウントは、どうやら「フェミニスト」を自称されている方が多いようですが、フェミニズム自体が本来「女性が主体的になって決断していく」というのがベースにあります。
上記ことから踏まえると、黒澤代表が自ら主体性を持って自分の考えを示した行動に対して、特定の女性像を押し付ける行為は、個人的には「アンチフェミニズム」になっていないかと思いますが、いかがでしょうか?
スペースで対話を試みたようですが…
その後にスペースを開いて、ハートクローゼットの顧客や、月曜日のたわわを擁護する人など、様々な立場の人とと対話を試みようとしている姿勢を見ると、彼女なりに「いろんな方々の意見を聞きたい」「バランスを取っていきたい」と考えられていたでしょう。少しだけ聞きましたが、黒澤代表は基本的に聞き手になろうとしていたのであって、決してスペースの視聴者に考えを押し付けようとしたり、非難するような姿勢を見せてはいなかったように思えます。
スペースでは「未成年を性的に見て何が悪いのか」という言葉を発せられたことが、多数の怒りを買った…とも言われますが、これまでの黒澤代表のツイートなどを振り返って見る限り、目に見える文字に感情を高ぶらせる前に、もう少し詳細に踏み込んでみてから判断するのでも良いのではないかと思いました。
謝罪よりも自己総括では?
黒澤代表が謝罪したことについては、黒澤さんを擁護するツイッターユーザーからは「謝る必要はない」「謝るべきではない」というコメントが多く寄せられていました。
「謝罪」が正解であるかどうかは、一つの企業のトップに立っている人間でないと把握できない部分はあるので、自分からは断言はできませんが、個人的には「残念」でした。
なぜなら、ツイートを見る限り、しっかり自分の考え方を持ってツイートされている主体的な女性であり、国連の抗議にしても、「月曜日のたわわ」を読んだ感想にしても、何かしら黒澤さん自身に引っかかるものがあったのだろうと考えられます。それならツイートという形ではなく、私のようにnoteで
これまでの経緯や自分なりの考え方をまとめてくださった方が良かったのではないかと感じられました。
ツイッターもスペースも共通して言えますが、脊髄反射的なりアクションが多く、落ち着いて熟読したり、ちょっとした言葉の言い違いなどで、相手の感情が高ぶらせたりすることもあります。
自分自身も正直そういったツイッターユーザーを嫌悪していることがあり、noteを中心に発信している面もあります。自分のスタンスから考えると、突発的に言いたい方だ言う人を相手にするのではなく、もう少し落ち着いた環境下で自分の考え方などを表すのも良いのではないかと思いました。
ただ、対話を試みるスペースを試みたり、謝罪文を書くあたりは、非人道的な誹謗中傷をしてくる相手であっても、黒澤さんは誠実に向かい合おうと考えてらっしゃったのかと感じる面もあります。
難しいと思いつつ、私には黒澤美寿希代表は誠実である印象をいだきました。
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