SHIROBAKOこそフェミニズムを体現している
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SHIROBAKOの女性の描き方がアップデートされていない?
大晦日に劇場版「SHIROBAKO」の作画が話題になっていました。
映画評論家の小野寺系さんのツイートが多く拡散されていました。「劇場版のSHIROBAKOがTVアニメ版から数年経っても、女性の描き方がアップデートされていなかった。男性キャラは年齢も体型も様々なのに、女性はある種の規格に収まらなければ存在価値がないことにされるという、業界の空気をリアルに映し出しているのでは?」と苦言を呈していました。
これは制作会社のピーエーワークスにきっちり取材をしたり、きっちり裏を取っているのでしょうか?「SHIROBAKO」の多くのファンならご存知だと思いますが、ほとんどのキャラはモデルが存在しており、そのモデルを忠実に表現するのは有名な話ですね。
私には男性も女性も描き方は様々だと思いましたが、小野寺系さんが個人的にそう思っていなかっただけに過ぎないのではないでしょうか?
小野寺系さんの個人の好みとしては「女性キャラも多様性があればいい」と考えているようですが、SHIROBAKOの作画に多様性を感じるのか感じないのかは、個人の主観でしかありません。それに小野寺系さんの好みに合わせて、ピーエーワークスがアニメを作るというわけではありませんね。
特定のイデオロギーによるバイアスがかかっていて、表面的な評価しかできていないように感じられます。
P.A.WORKSのお仕事シリーズ
自然が豊かな富山県南砺市を本社に置く、アニメ制作会社「ピーエーワークス」には、人気シリーズとして「働く女性」にクローズアップした作品をこれまでリリースしています。
石川県にある架空の温泉宿「喜翆荘」を舞台とし、住み込みながら働く3人の女子高生を描いた「花咲くいろは」
アニメーション業界に入り、夢を追う若い女性5人を中心に、作品の完成を目指して奮闘する「SHIROBAKO」。
富山県の架空の田舎町・間野山市のミニ独立国「チュパカブラ王国」の国王を務めることになった少女を中心に、町おこしに奮闘する「サクラクエスト」。
老朽化した沖縄県の架空の水族館「がまがま水族館」を舞台に、2人の少女を中心に、絆や葛藤、成長を描いていく「白い砂のアクアトープ」
この4作品のシリーズは、「働くこと」「生きること」「夢を追うこと」について、若い女性たちが頑張っているのが、共通の特徴です。仲間たちと葛藤しながら、絆を強め、成長していくストーリーを描いています。
日常的な「働く」をテーマとしている作品だけに、社会人にとっては「お仕事シリーズ」を通して、自分の働き方を考える機会になったり、またはアニメから勇気や活力をもらっているファンは多くいます。
自分のやりたいことはなんだろう?
仕事は辛くて大変だけど楽しいこともある。
周りの人たちの協力を得ながら、成長していく
実現したい目標のために、悩みながらも頑張っていく
また、お仕事シリーズは「社会科見学」をアニメを通して体験できることが醍醐味の一つです。「旅館業」「アニメーション業界」「地域おこし」「水族館での仕事」など、それぞれの大変さを包み隠さずに、丁寧に描写しているのが、人気を博している点とも言えるでしょう。
フェミニズムに通ずるのでは?
ピーエーワークスの「お仕事シリーズ」に共通して言えることは、女性が主体的に仕事に取り組んでいることでしょう。
主要登場人物の全員がアニメーション業界に夢を抱いていた「SHIROBAKO」以外は、すべての登場人物が最初から取り組んでいる仕事を望んで行っていたわけではないですが、仕事や仲間たちとの関わりによって、仕事に誇りと愛情を抱くようになっていきます。
「SHIROBAKO」の場合は、主要登場人物が大好きなアニメを作ることを夢を見て、アニメーション業界へ進出していく姿を描いています。時には大きな失敗をしたり、理不尽な出来事に遭遇することもありますが、その中でも主体的に「好きな仕事」で健気に頑張っている姿は、多くの女性を勇気づけるものではないでしょうか?
フェミニズムとは「女性が着たい服を着られる、やりたい仕事が出来る世の中にする」ことが一つの目標ですが、ピーエーワークスの「お仕事シリーズ」は通じるものがあると言えるでしょう。
表面的な評価しかできていない小野寺系氏
「SHIROBAKO」のみならず、ピーエーワークスのお仕事シリーズを振り返ってみると、いかに映画評論家の小野寺系さんが「表面でしかモノを語っていないのか」が明確に分かるでしょう。
実際に作品を見ている人にとっては、作中に登場している女性キャラは、個性に溢れており、中には日本語でのコミュケーションが難しそうなキャラクターもいます。その彼女たちがありのままの個性を出しつつ、
「SHIROBAKO」のように、架空のアニメーション会社「武蔵野アニメーション」という社内が舞台となっている作品で、登場人物も社内の人間を中心に動いていきますが、他の「お仕事シリーズ」には、おばあさんキャラは登場しますし、太った女性も、褐色の女性も登場する作品もあります。たまたま小野寺系さんにとっては、「SHIROBAKO」がそこまででもなかっただけでしょう。
つまり、小野寺系さんは「SHIROBAKO」しか見ないで、アニメ全体を語っているも同然です。これは「木を見て森を見ず」というのも同然でしょう。
以前にも書きましたが、「字面」「絵面」といった表面的な部分だけを見て、ケチをつけるような人に配慮した作品など作るのは非常に難しいでしょう。「お仕事シリーズ」はどのシリーズも24話前後ありますが、ワンシーンだけを切り取って語ること自体は、それは作品を見たことになるのでしょうか?
しかし、小野寺系さん。この方は映画評論家なんですが、本当に表面的な部分でしかものを語らないでいいものなのでしょうか?
映画評論家は映画作品の論評を行うのが仕事と言いますが、映画評論家もプロとして活動している以上は、第三者からの評論を避けられない立場です。まるで作品もきっちり見ていないだろうと思われても仕方ないほどの浅薄い論評を行ってしまうと、彼らもまた厳しく指摘される存在であることを、小野寺系さんを始めとする映画評論家のみなさまには、肝に銘じていただきたいと思います。
1/7に「映画評論家・小野寺系を批評する」を書きました。
是非こちらもお読みくださいませ。
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