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オタクも「一人一派」では?

こんにちわ。
10011111001010010101110011010101111100001010111100です。
呼び方は任せます。

温泉地当事者からの苦情

温泉むすめの炎上の発信源である、仁藤夢乃さんが熱海へ温泉旅行へ行くツイートが流れた際に、熱海の温泉むすめが設置してある店舗である「バルバルATAMI」の情報を流したことに対して、迷惑を被っていることを、「バルバルATAMI」の公式ツイッターアカウントが発信していました。

温泉むすめを設置してある店舗としては、目の前の接客が大切であり、インターネットでの揉め事には巻き込まれたくないのは当然でしょう。ただ「温泉むすめ」のパネルを設置してあるだけで、炎上当事者を招くような出来事は避けたいでしょう。ましてや、本当に当事者が来てしまった場合は、対応に困ることは予想されます。

はっきり見ていないので誰の仕業かまでは把握しきれないですが、少なからず「温泉むすめ」のコンテンツ自体を、遊び道具のように扱って、当時を無視している方々は見られるものです。

賛成派、批判派問わず、当事者に対して迷惑をかけるのは避けるべきでしょう。

界隈全体に自浄を求める人

しかし、こういう出来事になるたびに、必ずファン全体に対して、矛先を向けて、自浄を求める声が出てきます。代表的な方はこちらですね。

これは非常に不思議な発言だと思います。

なぜなら、確実に「発言者はオタクである」と断定できないからです。「オタク」というのは、根本的には「サブカルチャー愛好者」のことを指し、

過去のコラボ作品での炎上騒ぎでも、何かと「オタク全体が悪い」ということに仕立てて、オタク全体の責任に押し付けたいのかな…と思いますが、ツイートしている人そのものの実態がしっかり把握できないと、まず「発信者がオタクである」と断定することはできません。そこにはエビデンスはあるのでしょうか?

おそらく上のツイートを行ったtomo氏は、このような出来事が発生するたびに「これだからオタクは」と、界隈全体を下げる発言を意気揚々に発言されるでしょう。嫌いな界隈を下げられるためなら、他人の不幸も利用したがる人はよく出てくるものですね。

発言していないことに責任は取れない

リプトンのごちうさコラボで検尿を見立てて、カップの中に検尿を入れた人が一部にいたからといって「オタク全体の責任」と決めつけるのは無理があるでしょう。

オタクの意味が「アニメ・漫画・ゲーム愛好家」という定義にしても、そのオタクと言われる人々の全てが「ご注文はうさぎですか」のファンであるわけではないですし、いくら熱心なファンであっても、あらゆる出来事に中止するほど視野が広いわけではありません。

リプトンを検尿カップに入れたことによって批判の矛先を向けられるのは、それをやった本人であって、界隈全体を批判するのは無理があるでしょう。

批判されたところで「本人がやっていない」のならば、責任の取りようがないからです。

あらゆる発言は、その発言した本人に責任はあるものには違いありません。しかし、その本人が発言していないことまでは、その個人が責任を負う必要はありません。

上のツイートを行ったtomo氏の発言は、「やっていないオタクも全員責任を取れ」と言っているも同然ですね。

では、サッカースタジアム内で発煙筒を焚いたり、乱入事件を起こしたりする過激な人が出たからと言って、同じチームを応援する大多数の善良なサポーターが、連帯責任を取らないといけないのでしょうか?それはないでしょう。

どういった界隈であっても、常識的に外れた行動を起こす人は、少なからずいるものですが、その人1人だけの行動で、全体が責任を取らないといけないことなどないでしょう。単純に「言ってないこと、やっていないことの責任は取れない」からです。

フェミニストもオタクも一人一派である

フェミニストの間ではよく「一人一派」と呼ばれます。

論争の中で「男女同権」や「女性解放思想」とは矛盾する追及をされた場合に、一種の言い逃れとして「一人一派」という言葉が使われがちですね。

私個人としては「フェミニズムは一人一派」と言うのは、別に問題もしません。

それは「どのような学問・思想・カテゴリー・界隈であっても、細部まで一人一派ではない状況がありえない」からです。むしろ、一人一派でない状況ならば、それは洗脳と変わりないでしょう。

よって「フェミニストが一人一派」ならば、「オタクも一人一派」で間違いはありませんね。

「フェミニストが一人一派」というのは、世代や環境などによって、主張も大きく変わるものであり、フェミニズムと言われるものでも「リベラル・フェミニズム」「ラディカル・フェミニズム」「マルクス主義フェミニズム」「セックス・ポジティブ・フェミニズム」「エコロジカル・フェミニズム」など多種多様のものがあるので、まあ一人一派でもおかしくないでしょう。

では「オタク」に関しても同じですよね。多種多様のアニメ・漫画・ゲームの作品には、それぞれの「オタク」が存在していますし、声優オタクに関しても、声優の数だけ多種多様のオタクがいるとも考えられます。

「フェミニスト」よりも「オタク」の方が一つに括るのが難しいのが分かるでしょう。むしろ、オタクの方が「一人一派」とも言えるでしょう。

個々の発言の責任は自分にある

インターネット環境で、フェミニストとオタクが対立するのはよく見られますが、個人的には本来は発言した一個人同士で対立でしかないと考えています。

ただ、似たような意見を持つ人達が勝手に分裂して、「フェミニストvsオタク」の構図が出来上がってきているのかと感じられます。

そういった構図ができていても、どちらの界隈にしても、細部に至るまで意見が統一しているわけがなく、同じ「オタク」と括られる人達であっても、大なり小なりの意見の違いは必ずあって当然です。その微妙に存在するであろう違いを無視されて、まるで「0か1か」の違いのように、2つの界隈に分けられる展開になりがちです。

なぜそうなるかなあ…といろいろ思っていますが、個人的には「自分の発言に責任を取りたくないけど、言いたいことは言いたい」という人達が多いからかな…と感じられます。


人は自分のやった言動に関しては自分で責任を取るべきでしょう。しかし、やっていないことまでは責任は取りようがありませんし、説明するのも無理があるでしょう。

ということで、どちらにしても一人一派なので、「フェミニスト」やら「オタク」やらの看板を外して、一個人で責任持って、やり合えばいいのかなと思います。人の発言したことを責任を取るなんて無理なことなんで。

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