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女性に説教する男性フェミニストの存在意義はあるのか?

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男性フェミニストについて

男性でありながら、女性解放思想に賛同する「男性フェミニスト」という存在がいます。

有名なところでは、社会活動家の勝部元気さんが挙げられますね。

確かに性差別に影響されずに、男女が平等な権利を行使できる社会を形成していこうと活動することには、性別は関係はないでしょう。男性という立場であっても、女性の立場を向上させていくのは、素晴らしいことではないかと思います。

しかし、ツイッターでは、あまりにも苛烈な意見をいうフェミニストを自称する男性は見られます。よく「フェミ騎士」という言葉で揶揄されているのは見られますね。

女性の多くは問題なしと判断

最近の「月曜日のたわわ」の話題に関しても言えますが、この漫画に関しては「女性差別」「性的搾取」など非難する声は目立っているものの、この漫画に対しては好意的な女性も多く見られます。

実際にインターネットアンケート調査を行ったデータによると、10代、20代の8割以上が「特に問題がない」と答えています。この結果を考慮すると、Twitterで大騒ぎになっているように見えても、実際は多くの女性にとっては、ほとんど問題としていないと考えられるものです。

Twitterのような言語空間になると、積極的に騒いでいる人がいるだけで、いかにもそれが社会問題のように騒がれているように見えますが、逆に特に意見も言わずに黙っている人達の思考が見えないものです。ほとんどが無関心だと考えられますが、本当に広告に「性的搾取」「女性差別」があるならば、著名人も含めて、より多くの人間を巻き込んでいるべきでしょう。

要は多くが無関心である以上、個人的な感情で「許せない」と思うだけに過ぎず、全体的な観点では特に問題の無いこととも考えられます。

意見の違う女性を説教する男性フェミニスト

先日、ファッションブランド「ハートクローゼット」の黒澤代表のツイートが、多くのバッシングを受けていましたが、そのバッシングをしていた人の中で、とある男性フェミニストがしつこく非難していました。

どのような女性であっても、「月曜日のたわわ」に関して、どういった感想を述べるのかは、個人の自由です。これはファッションブランドの代表という立場であっても、感想を述べたり、書評をTwitterで表現するのも、本来ならば尊重しなければなりません。黒澤代表は特に法に触れた言動をしたわけでもないことを考慮すると、一個人の感想に対しては、もう少し冷静に向き合うことも大切ではないかと思います。

しかし、男性という立場であるにも関わらず、一人の女性の感想に対して、しつこく非難をし続ける人がいるのは、気味の悪さを感じざるを得ません。

本来、フェミニズムというのは「女が好きにミニスカ履いたり出来る世界を目指す」ものであり、女性が自由に物事を選んでいけるようにしていく運動のはずですが、主体的に発言を行った黒澤代表に対して、フェミニストを名乗る男性が押さえつけにいくのは、大きな矛盾が孕んでいると感じざるを得ません。

女性という括りを越えた自由を求めてこそ、フェミニズムの源流といえるものであり、男性でもフェミニストと名乗るためなら、自由な言動をサポートしていくのが筋だと思います。しかし、Twitterで見られる「男性フェミニスト」には、自由に主体性を持って発言している女性にこそ、説教をするように強い言葉で圧力をかけてくる人が少なくありません。

一定の支持と本人のやりがいが暴走させる

しかし、男性女性の括りは関係なく、自ら主体性を持って行動し、自己主張する女性に対して、フェミニストを自称する男性が「女性らしさ」などを押し付けがましく語るのは、とても滑稽なことですが、Twitterでは残念ながらそういったシチュエーションを見るのは珍しいことではありません。

それではなぜ、こういった現象が起きるのでしょうか?

大きく分けたら3つの理由は考えられるでしょう。

まずは、一定の女性からの支持があることが一つの要因と考えられます。一定の支持を得られるため、それを絶対的な正義として信じ込んでいる可能性はあるでしょう。「女性から好かれる男性でありたい」という願望があるのかもしれません。

そして、「女性のためになる言動に心がける自分がかっこいい」とも考えられるでしょう。異性との関わりが多いのか少ないのかわかりませんが、とにかく自分が女性のために役に立っていることに高揚感を得ているのかもしれません。ただ、それは漠然とした女性像にとらわれているだけであって、現実にある多様な女性を認識できていないだけとしか捉えられないでしょう。

そして、最後は「本当は表現を叩くことが目的である」ことも考えられるでしょう。気に入らない物事に対して、ただ「嫌い」というだけでは格好がつかないので、自分に説得力を持たせるために「フェミニスト」という肩書をつけていることも考えられます。

しかし、主体的な女性に対して、男性が「女性らしさ」などを押し付けるのは、とても滑稽なものには変わりありません。

果たしてこのような方々には、自分達の言動について矛盾を感じないものか不思議なものですが、ご本人たちはどのように自己総括されているのか気になるものです。

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