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なぜ「キモオタ」に直接批判しないのか?

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ハートクローゼット黒澤代表が非難される

1ヶ月経とうとしているのに、いまだに「月曜日のたわわ」の広告の件が、いまだに騒がれていますが、最近は「月曜日のたわわ」の感想を述べたファッションブランド「ハートクローゼット」の黒澤代表に対する激しいバッシングを受け、謝罪に追い込まれました。

黒澤代表は謝罪をされましたが、その謝罪のツイートに対して追い打ちをかけるように、更に攻撃的なツイートをぶつけているツイッターユーザーを多く見られます。謝罪したからには「許そう」という考えにはならないのでしょうか?納得をされないようであれば、疑問に思った部分や自分の考えについて、冷静にただ端的に送ればいいと思いますが、一度振り上げた拳を下ろせないという言葉の通り、いつまでも怒りをぶつけているのは、なんとも不思議なものです。

GoogleDocumentで公開したことに関して、ケチをつける意見も見られますが、非難している人にとっては、どういう謝罪の仕方なら納得されるものか、基準をきちんと示してほしいところです。

なぜ直接非難しないのか?

以前にも書いていますが、この手の非難については、ツイートを向ける相手について、果たして正当な行為と言えるのか疑問に感じます。

この手のツイートでいつも思うことですが、リプ欄や引用蘭にツイートしている人を「キモオタ」「害オタ」「巨乳でシコる男」など言いつつ、その引用している本人にツイートするのではなく、黒澤代表のアカウントを非難していますね。

本来ならば、その擁護している人に直接ツイートされたらいいと思いますが、なぜか黒澤代表めがけてツイートしているのは、私からすると「相手を間違えてツイートしている」ように見えます。

一つの仮説ではありますが、大量に非難されている相手ならば、反撃をしてくることはないと想定してツイートしているのではないかと疑ってしまいます。

自分達が「害」として考えている「キモオタ」というのは、直接言うことにより、注意をうながすことはできるので、むしろ直接言ってあげるほうが効果的だと考えますが、黒澤代表に絡み続ける方々は、直接ぶつけるようなことをせず、目立つアカウントに対して、サバクトビバッタのように向かっていく習性があるようです。

なぜ「キモオタという人に言わずに黒澤代表に言う」のでしょうか?

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