ウマ娘はなぜライブをするのか

ウマ娘のゲームが流行っていると聞いてプレイし始め、アニメの1話を観て真っ先に湧いてきたこの疑問、というか違和感。

レースに勝つためにはトレーニングをするべきで、歌やダンスの練習時間は無駄では?

作中でも、ライブがお粗末でも「恥ずかしい」以外のデメリット・ペナルティは無いようだったし、「ライブは捨ててトレーニングに集中する」みたいな作戦を立てる人も当然出てくるであろうこのシステムに、納得できる理由が無いかここ何日か考え続けてました。

結論:ライブをするのは「オタクにウケるから」

何だその身も蓋もない結論は、とブラウザを閉じる前にもう少しだけお付き合いください。最初は私も、必然性の無いご都合主義的な設定だとは思いたくなくて色々考えていたんですが、アニメの7話を観て、そしてサイレンススズカのWikipedia記事やレース映像を観て考えが変わりました。

サイレンススズカをもう一度走らせたいという想い

全てWikipediaの受け売りですが、実際のサイレンススズカはとにかく圧倒的なスピードで他を寄せ付けないケタ違いの馬だったようです。
「前半に飛ばしてリードしておいて、終盤に失速しても前半に作ったリードの分で勝つ」というのが一般的な「逃げ馬」の作戦ですが、サイレンススズカは終盤も失速せず、最後まで後ろの馬が追いつけず差が縮まらない(この辺り、アニメでも忠実に再現されています)。

そんな圧倒的な実力を持ちながら、その後レース中に骨折し、安楽死の処置となってしまいます。サイレンススズカに負けたエルコンドルパサーやグラスワンダーはその後輝かしい成績を収めたこともあって、「もしサイレンススズカが生きていたら」という思いを皆が持っていたようです。

ウマ娘は人気コンテンツでなければならない

ウマ娘の話に戻りますが、現実の競走馬の名前を冠した「ウマ娘」がレースをするという作品、この設定だけで、フィクションとはいえサイレンススズカを走らせる“場所”は作れます。ただし“舞台”は整っていない。

例えばゲームセンターの競馬のメダルゲームや、家庭用ゲームなどで、同じように“場所”を作ることはできるでしょう。ただ、失礼ながらごく一部のゲーム好きや競馬ファンだけがプレイするようなコンテンツでサイレンススズカという名前を出したところで、それがサイレンススズカ活躍の“舞台”かと言うととてもそうは思えません。

1998年当時の映像を見ると、広大な競馬場に人がギュウギュウのすし詰め状態になっていて、大観衆の中サイレンススズカは走っていました。本当の意味でサイレンススズカをもう一度走らせるには、ウマ娘というコンテンツは「リアルな設定で競馬ファンが思わずニヤリとする作品」で収まってはいけなかった、大勢の人たちが熱狂するものにしないといけなかった。

そんな覚悟があって、人気コンテンツになる工夫なら何でもやってやろうという気概があったんだと思うと、「ライブ」という要素を取り入れて設定に無理が生じようとも、結果的にこうしてブームとなって多くの人に感動を与えている以上全肯定したいと、そう思うようになりました。

アニメでもサイレンススズカは骨折してしまいますが、現実の馬であれば安楽死の処置をするしかないところ、「ウマ娘」なので人間と同じようにギプスをしてリハビリをして、きっと復活してくれるんでしょう。ご都合主義と言う人がいたとしても、私はそれがとても嬉しいと思いました。

余談

現実問題ではなく世界観に沿って解釈するとすれば、ウマ娘の世界には「馬券」という概念が無いと思われ、レースの観戦料というだけでは興行が成り立たないため、ライブも行って高い入場料やグッズで収益を確保してると、考えられなくも無いでしょうか。

なお、筆者はアニメ1期の8話途中まで観て号泣して勢いのままにこの記事を書いているため、上記の乱文がその先のアニメの展開などから矛盾している可能性があります。それがわかったときにはそっと消すか修正しますので、生暖かく見守っておいてください。(ネタバレは勘弁な!)

追記

アニメを観終わりました。
トレーナーさんが夏合宿でスペシャルウィークとサイレンススズカに「俺はお前たちが一緒に走っているところを見たいんだ!!」と絶叫するシーンがありました。飄々としてどうにもやる気や情熱が感じられない風に描かれていたトレーナーさんが急に叫びだして、アニメだけ観ていたらちょっと唐突に感じたかもしれません。ですがこれが競馬ファンの、制作陣の熱い思いだと解釈すれば納得できるし、上記の乱文も的外れではないのかなと思います。

「何故スペシャルウィークが主人公なのか?他にも有名な馬は沢山いるのに……」という観始めた頃の疑問も解けました。サイレンススズカと同じ父を持つ1歳年下の強い馬で、もしサイレンススズカが生きていたら絶対すごい対決になっただろうと、きっと当時の誰もが思っていたんでしょうね。

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