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【読書】レトリックで反文明を主張する

こんにちは。ずっとやりたかった、読んだ本の紹介を始めたいと思います。
今回紹介する本はコチラ!

エーリッヒ・ショイルマン著、岡田照男訳、「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」、SB文庫、2009

あらすじ(Amazonより引用)
現代社会に警鐘を鳴らす歴史的名著。南海の酋長ツイアビは、はじめてパパラギ(=白人)たちの「文明社会」に触れた驚きを、島の人々に語って聞かせる。お金、時間、都会、機械、情報、物欲・・・・・・。その内容は、深い洞察と知恵、素朴にして痛烈な啓示に満ちた文明批評として、今なお輝きを失っていない。豊かさを追い求めてモノと時間を切り刻み、無辺の闇にたどり着いてしまった私たちが、今こそ真摯に受け止めるべきメッセージ。

電気も道路も貨幣もない民族の酋長が、ヨーロッパに留学した経験を語る内容です。ものすごーーくざっくり言うと、たくさんモノを持っていることが、果たして豊かであるということなのかという主張です。

この本の面白さとして強調したいのは、斬新な反文明の視点でも、現代社会への切れ味鋭い議論でもありません。この本が完全フィクションということです。前書きからずっとノンフィクション感があり、実際発刊当初はノンフィクションの作品として受容されていたそうですが、実際にツイアビがこのような手記を残したわけではありません。

この本を読んだ先進国の人間は、おそらく不愉快になったり、あるいは憤りを感じたりすると思います。我々の生活様式をことごとく批判する様子は、まるで自分たちの生活様式が”優れた”ものであるという文化絶対主義的な主張と受け取れるからです。社会に問題提起をするための批判として、扱っている論点と付随する分析がいささか稚拙ではないかと思います。

読者の中には、本の構成に疑問を持った方もいると思います(僕もその1人です)。各章が有機的に繋がっているようで、実際には繋がっていたりいなかったりします。例えば、先進国の過度に分業されすぎた職業群を批判する章がありますが、これは人生を時間で管理し、いつも生き急いでいる窮屈さを批判する章と結びつけて考えるべきです。なぜなら、分業の主目的は生産性の向上、すなわち同じ仕事を短時間で行うことだからです。100年前に原著が出版されたときから、時代の試練に耐えて100万部売れた本にしては、練られた構成だとは思えませんでした。

さて、ツイアビが書いたのでないなら一体誰が書いたんだという話ですが、この本は、発展したヨーロッパに住む人々の自己批判として、書かれたものです。反文明主義者の手記を公開したという飾りつけを施した、ヨーロッパ人による文明批判だったのです。

稚拙な分析、不十分な構成、アンバランスな議論、攻撃的な主張、これら全ては創作であり、著者の主張を飾りつけるレトリックだったと言えます。

ネット上では、「創作だからと言ってこの本の価値が損なわれるとは思わない。」という声が多いようですが、僕はむしろ逆のことが言えると思います。「創作であった方が、主張の内容・方法論を含めて価値がある」とは言えないでしょうか。ある主張をする際、事実に基づいて論理的であることが良いとされます。実際、再現性が重要な学術の場において、これは本当に良いこと、というか絶対に必要なことだと思います。しかし、時には情緒やフィクションで飾りつけられた主張にも耳を傾ける価値がある、と気づくことができました。

文明批判の主張そのものよりも、その主張がどれだけ巧みに飾りつけられ、その結果どれほど説得力を持ったのか。これこそがこの本の面白さではないでしょうか。気になった方はぜひ読んでみてください!

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