雪の小説

雪の街と私の相性の良さを知ったのはいつからだろう。
大学で先輩から雪原のような人だと言われたことが始まりかもしれないし、ショスタコーヴィチと妙にウマが合った時からかもしれない。


私は今、一人暮らしを始めた東京の隅で、雪原に襲われている。
雪原は何も語りかけない。ヘッドフォンを付けても、帽子で耳を塞いでも、冷えが私に何かを照らし返してくる。

身体はどこか踊り出したいような感情を湛え、ふと、マンションの駐輪場のスクーターが頭を過った。
スクーターなんかで雪原から逃げられたら良いけれど、スリップ事故を起こして音もなく雪に還るか、タイヤが埋まってまた逃げられなくなるだけなのだろう。雪の中に埋もれたまま、何故かその中に生まれた今のままの自分を想像する。白い空。



雪は水である。しかし、海の波のようにこちらを飲み込んでくるわけではない。
冬の北の海を想像してほしい。あの中に飛び込もうとしている人は、相当な死ぬための勇気があるだろう。それを別にすれば、真っ当な誰かは、あのどこか黒く暗く、無言のうろの中に入ろうなんて思わない。

それと元々は同じはずなのに、冬の雪は白く、美しい。これには誰の否定も、かないっこない。それでもあれは、誰もその中に飛び込んでもいないのに、既に我々を飲み込んでいる。
気付けば我々を取り囲み、最初から居たかのように問いかけてくる。しんしんと、という言葉しか似合わない降りてくる雪は、決して我々を押し潰しはしないのに、四肢は動くのに、まとった雪が、身を守るための防寒具がどこか邪魔をする。そこに人は居るのに、気がつけば私は一人である。前を歩く人との間には無限の距離がある。雪の結晶と雪の結晶の淡い結合が、私たちを一人にする。


私は雪に取り憑かれている。無音が私を限界まで小さくして、私は雪の結晶になった。


どれだけそうしていたのか、私は酷く冷えた身体にインターホンが鳴る音を聞いた。
惚けた頭は一瞬で、考えない頭が手を一歩前に出し、まだ冬にいる動きの悪い身体が這い始める。その時どっと汗が出た。汗に濡れた身体が今に気付いてやっと本来の動きを取り戻す。

インターホンは覚えのない荷物だった。
正確に言うなら、半ば惚けた頭では思い出せなかった。

配達員さんはなんと言っていたっけ。
差出人は、見覚えのない名前だった。


記憶に吸い込まれていく。


ああ、吹雪がまた耳の裏を掠めている。

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