聞かなかったこと・話さなかったこと
1月19日日曜日に次の会がありました。
『たのしい授業』1月号に
●わたしたちの出会いとはじまり,そしてこれからⅡ
という若い三人の座談会が載っています。
座談会の記事もたのしいですが,会では質問なども入ってより深く話を聞けました。〈「たのしさ」で大変革〉というの実感できて,刺激的で面白かったです。
その案内にはこう書かれています。
また、講座が終わって、休憩後にnote「たのしい教師生活をはじめよう」の活動報告や必要に応じて説明会なども開催する予定にしています。noteという場を使って1年活動してきた運営側(高野・中村)からの話もそうですが、noteを表現の場をとして選んだ方の話も聞ければと思っています。具体的な話者としては、おりぞめの活動を精力的に行っている山本俊樹さんが、「伝達の場として2025年よりnoteを積極的に活用していく」ということなので、そんな話も聞けたらと思っています。
というわけで,〈no+eを表現の場として選んだ〉一人としてわたしが話をすることになりました。
●緊張するから
はじめに中村文さんから依頼があった時,断りました。2025年1月から始めたばかり,これからどうなるかわからないことを語りたくないと思ったのです。わたしは,いろいろな予想をして,それを確かめることはしますが,予想を表明することはほとんどしません。結果として,プランをつくったりしたときはそれを発表しますが,それより前の段階はこっそりと過ごしたいのです。なので,2025年12月に〈今年一年はどうでしたか〉というのなら話をできるけれど,今の段階では話したくないと思ったのです。
しかし,文さんから声がかかったのも一つのきっかけと思えば,自分からは選ばないけれど,それに応えるという選択肢もあると思い,受けました。
受けるときに,持ち時間を20分と決めてもらいました。まあ,最長で20分間という終わりを決めておけば楽です。
そこで,考えたのが,資料を作ることでした。それもno+eの記事にしました。
この資料を画面共有してもらって読んでいくということです。結果としては15分で終わりました。
わたしはとても緊張していました。緊張すると固くなり,行動範囲が狭くなります。
それで,あとから考えたら緊張していなかったらしていただろうけれど,今回〈しなかった〉ということが二つありました。
●聞かなかったこと
『たのしい授業』の記事の中に〈唯一おりぞめ〉という記述があり,しかも,今回の中で学年の3人で一緒に〈おりぞめをやった〉という話もありました。その話を三人から聞かなかった,というか,わたしが質問しなかったということです。わたしと直接かかわりのない人たちがおりぞめとどうかかわっているのか,気になります。
わたしが発表するという立場でなかったら,きっとたずねたと予想しています。まあ,予想なのでそれはどうかは分かりませんが。
●話さなかったこと
はじめに予定していて話さなかったのではなくて,途中でこの話をしようかと思ったのですが,踏み出しませんでした。
マガジンの話になり,雑誌というイメージより,記事を入れるフォルダーだけれど,マガジンとしているところに意図を感じるというようなことを今回の会の進行役の一人の高野さんから発言がありました。
雑誌つながりでその時に話をしたとしたらこんな話ということで書いておきます。
●〈雑〉のイメージ
〈雑(ざつ)〉というと「雑ではなくてていねいにしなさい」という風に,ダメだというイメージがありますが,実は,〈雑=だめだ〉というのがもとの意味ではありません。
雑のつく言葉をランダムに書いてみます。
雑誌・雑草・雑食・雑談・雑念・雑行・雑菌・雑魚・雑感・雑貨・雑件・雑種・雑穀・雑収入・雑費・雑学・雑多・雑事・雑然・雑文・雑務・雑用・雑録・雑木・雑巾・雑言・雑炊・雑煮・雑居・雑役
30個集めました。
〈雑〉の共通なイメージはダメということでしょうか。
では,質問を変えます。
〈雑〉の対義語はなんでしょう。
●〈雑〉とは
ネットの辞書で調べると〈まじる〉という意味で,対義語は〈純(じゅん)〉です。
例えば,雑菌という時,〈雑菌〉という菌があるのではなくて,いろいろな菌がまざっている状態を示しています。〈雑菌が入らないようにする〉という時,いろいろまざっている菌の中には,悪いことをするのもあるということです。雑菌の中から,役に立つ菌(純な菌?)を取り出すというのも研究です。
「雑ではなくて,ていねいに」というのは,〈いろいろ,余計なことがまざるとだめだから,きちんと分けなさい〉という風に考えれば,〈ていねいに〉というのは,何を取り出して,何をまぜないかということだといえます。
例えば,〈雑談〉の中には,どうでもいい話もありますが,重要な話もあります。それらがまざっているのが雑談です。
〈雑〉ということ自体は悪いことではなくて,いろいろまざっているからどうするかということだと思います。
ここからは雑談です。
おりぞめをしていると本当に思うのは,〈おりぞめは人を選ばない〉ということです。こんな人でなければおりぞめをしてはいけないということはありません。
〈ちがいはあってもまちがいはない〉という時,みんな正しいということではなくて,いろいろ混じっていていい,雑でいいということです。
それをわたしは「雑OK」といっています。
雑な話はこれで終わり。