見出し画像

No.1 束縛によって得られる自由もある

束縛されると不自由,束縛がなくなると自由という風に束縛と自由は正反対のイメージですが,仮説実験授業・たのしい授業の発明者の板倉聖宜さんは,そうではなくて,不思議な関係のときもあるというのです。
それが「束縛で得られる自由もある」というのです。
板倉聖宜著『ものの見方考え方シリーズ2 発想法かるた』(仮説社発行)にこうあります。

97ページ
人間はあまり自由すぎると何もできないことが多いものです。ある程度の束縛があった方が,その束縛条件の下で大いに創造性を発揮できることが多いです。

板倉さんはスポーツのルールを例に挙げています。確かに,サッカーは手でボールを運ぶことを禁止することで,ではどうするかと工夫できます。ラグビーは手で運んでいいけれど,前に投げてはいけない,蹴るのはOKだけれど,ボールは楕円形だからコントロールが難しい,ではどうするか。確かにルールという束縛のおかげでたのしめているというのは実感できます。
板倉さんの発明した仮説実験授業では,問題があり,それに対する予想の選択肢があります。
普通に考えたら,自由に予想させる方がいい,選択肢を与えるとそれで束縛されて自由に考えられないと思うかもしれません。しかし,実際は,選択肢があることで,考えが深まって,もりあがるということが起きてきます。ただ,想像できるかもしれませんが,〈どのような選択肢〉ということが重要で,ただ選択肢をつくれば,自由に考えられるかというとそうではありません。
どう束縛するかが重要なのです。〈束縛すれば自由になる〉とは言っていません。〈束縛によって得られる自由もある〉というわけです。すなわち,束縛によって奪われる自由もあるし,束縛によって得られる自由もあるという不思議な関係というわけです。

わたしの〈おりぞめの授業のプラン〉のパターンの一つに,〈見本を見せる〉というのがあります。
好きなように染めればいいのですが,「好きなように染めなさい」とは言いません。見本をいくつか見せて,マネをしてもいいし,ちがうこともいいといいます。「好きなように」というのではなくて,マネをするしないも含めて〈好きにできる〉という風に授業を組み立てています。
これは仮説実験授業から学んでいます。〈選択肢〉を示すことでやってみる気になるというわけです。ちなみに,見本以外は〈選択肢 その他〉というわけで一つの選択肢です。
【ヘビの足的ツケクワエ】
束縛の典型として〈自分〉を考えます。
性別,年齢,住んでいるところなど,〈自分〉には様々な束縛があります。束縛によってできないこともあります。しかし,束縛によって得られる自由もあるかもしれないと思えば,見えてくることがあるかもしれません。もちろん,ないかもしれませんが。

いいなと思ったら応援しよう!