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「叶うべき夢の跡」 ~オリックスと過ごした四半世紀~

※本記事は、「文春野球フレッシュオールスター2023」で、ベンチ入り賞をいただいた作品です。


野球ファンなら、すべてを投げ出してでも駆けつけるべき試合がある。
この日は、オリックスファンにとってそんな一日だった。

深夜のウィニングラン

2022年10月2日深夜。
間もなく日が変わろうとしている。
私はフリードのハンドルを握り、深夜の東北自動車道を走っている。
助手席に座る長男は、既に熟睡していた。

前後に走る車はなく、目の前に広がる暗闇に、思わずハンドルを握る手に力が入る。
街灯の光が滲み、幻想的な光景を作り出す。
私は今、泣いているのか。それとも、夢でも見ているのか。

ラジオから流れるニュースが、今日の「奇跡」を伝えている。
夢ではない。
この数時間前、オリックスバファローズは、杜の都・仙台で2年連続のリーグ優勝を決めた。
私はその歴史的瞬間をこの目に焼き付け、仙台から自宅のある埼玉まで車を走らせているところだった。

到着予定時刻は、深夜3時30分。
明日は仕事にならないかもしれない。

優勝前夜 ~マジック1からの奇跡~

日帰りでの仙台行きを決めたのは、その前日の夜だった。

2022年、パ・リーグの優勝争いはシーズン最後までもつれた。
残り2試合でマジック1としたソフトバンクだったが、この日の西武戦ではサヨナラ負けを喫し、優勝決定は翌日のシーズン最終戦に持ち越される。

サヨナラ弾を打たれた藤井と海野のバッテリーが、大粒の涙を流していた。
私はその姿をテレビで観ながら、オリックスの優勝を確信し、仙台行きを決意した。

「本当に行くの!?」

野球に興味のない妻は呆れている。
行かない訳にはいかない。
私は、この日が来るのを27年も待っていたのだから。

27年前のあの日、私はまだ中学生だった。

1995.9.19 所沢への一人旅

「本当に行くの!?」

中学生の私に、母が心配するように語り掛けた。

阪神大震災があったこの年、オリックスブルーウェーブは、「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げ、圧倒的な強さでパ・リーグを独走したが、マジック1とした9月13日からホームゲームでまさかの4連敗を喫した。
震災で苦しんだ神戸のファンの前での胴上げは実現せず、優勝はビジターの西武戦に持ち越された。
当時横浜に住んでいた私は、オリックス球団初優勝をこの目で見る千載一遇のチャンスと、心配する母親を説得し、単身所沢に乗り込んだ。

スマホはもちろん、携帯電話もない時代。
路線図入りの地図とテレフォンカードを握りしめた中学生にとって、それは「一人旅」だった。

試合内容は正直よく覚えていない。なにせ27年前の記憶だ。
ただ、大勢の大人に混ざり、9回のマウンドに向かう平井正史の背中に力一杯の拍手を送ったことと、
試合後の公衆電話がすごい行列だったことだけが、今も脳裏に焼き付いている。

当時の優勝記念テレフォンカード まだ屋根のない西武球場で見た初めてのオリックス優勝

2022.10.2 奇跡の逆転優勝

所沢での胴上げから、27年の時が流れた。
あの歓喜をもう一度味わうために、私は中学生になった長男を連れ、車で5時間かけて楽天生命パークにむかった。

オリックス優勝の条件はただ一つ。オリックスが楽天に勝ち、ソフトバンクがロッテに負けること。
仙台と千葉。遠く離れた2つの試合は、野球の神様に導かれるようにシンクロした。

仙台では、楽天キラーの田嶋が先制を許すも、5回表に福田のタイムリーでオリックスが逆転する。
千葉では、三森・柳田のホームランでソフトバンクがリードするも、6回裏にロッテ山口航輝が値千金の逆転3ランを放つ。

ロッテ逆転のニュースがライトスタンドを埋めるオリックスファンの間で一斉に広がると、全員がスマホを開き始めた。
楽天生命パーク付近の電波は、試合終了まで回復しなかった。

阿部が9回を締めくくり、オリックスナインが勝利のハイタッチを交わす中、ビジョンでは慌てるようにソフトバンク戦の映像が流れ始めた。
オリックスの優勝が決まったのは、そのわずか1分後のことだった。

初めて訪れた楽天生命パーク 奇跡の逆転優勝で27年ぶりの胴上げを目撃

27年の月日で変わったもの、変わらないもの。

私が目撃した2つの優勝の間に、時代は大きく変わった。

2駅隣の西友まで行かないと買えなかったチケットは、スマホ1つでどこでも買えるようになった。
翌日の朝刊を見るまでわからなかった試合結果は、リアルタイムで1球ごとに確認できるようになった。

オリックスは、95・96年の連覇を最後に、暗黒時代へと突入した。
球団合併でチーム名が変わり、成績低迷による監督交代を繰り返した。

中学生だった私は、就職、結婚、子どもも生まれ、気づけば40過ぎのオッサンになっていた。

オリックスの低迷と共に、球場から足は遠のき、オールスターの頃にはペナントレースの行方に興味を失うシーズンを繰り返した。

ただ、27年経っても、私の中に流れているオリックスへの想いは、何一つ変わっていなかった。
中嶋監督によるオリックスの再建が、私の失われた四半世紀を、取り戻してくれた。

1つの負けに苦悶し、1つの勝ちに歓喜する、他人から見たら実にくだらない日々の感情の起伏が、これほどまでに幸せなことだったとは。

もがき苦しみ、耐えに耐えた27年間の想いが、この日、仙台で結実した。

叶うべき夢の先へ

深夜のドライブを終え、自宅に着いたのは、朝の3時過ぎだった。
興奮のせいか、それとも、高速に乗る前に飲んだ栄養ドリンクのおかげか、眠気はない。

次の優勝は、また四半世紀後ぐらいだろうか。
その時は、孫でも連れているのだろうか。
いや、待てよ。
その日までオリックスバファローズはあるのだろうか…。

ひと眠りしたら、またいつもと何も変わらない1日が始まる。

今日の仕事は、はかどりそうだ。

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