うまい”伏線”とはなんだろうか

脚本術にもさまざまなテクニックがあって、黄金律が存在するわけだが、正誤はともかくとりわけ語られる機会が多い「伏線」について、少し考えを改めたい。

友人曰く、作者がコントロールする情報は、「前フリ」、「布石」、「伏線」の3つに分岐する。それらを混同している視聴者が知ったふうに伏線ガーというのだ。

私自身、「布石」と「前フリ」の違いが説明を受けてもいまいち判然としなかった部分はあれど、「伏線」との違いでは意見が一致した。

要するに、一回目に受けた情報や印象が実は別のつながりとしてのちの展開に影響する、といったものが「伏線」である。

ある展開を想起させて、それに限りなく近い展開。想起したイメージから派生した展開というのは、伏線ではない。伏せてないし。

そういったものは前フリである。

うまい伏線は2回目に気づく

未来を想起させる”なにか引っかかる”情報は前フリなので、逆説的に「回収されなかった伏線」は存在しない。いや、存在はするのだが、観測できない。なにせ伏せているのだから。

ちょっとかじったアマチュア視聴者が物知り顔で嘯いているだけである。

そして、物語の後半になって「あれは伏線だったのか、気づかなかった!」となるのは、まっとうな伏線であるか、前フリに鈍感だっただけかに二分する。

では、テーマにも挙げた「ワンランク上のうまい伏線」はどこに存在するのか。2回目に再生したテープのなかである。

物語後半(である必要はない)に、「あれが伏線だったのか」と脳内に浮上すらしなかった小さな情報。それらが2回目に、物語の全貌を知ったあとに見ると明らかに違うかたちで、しれっとそこに佇んでいる。

これこそが、”うまい伏線”ではないだろうか。

re:おしまい

何を訴えたいかと言うと、面白かったものは2回観ようね、ってことです。

『女神の見えざる手』、Amazonプライムで観られるうちにどうでしょう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?