甘々な彼氏は色んな意味で見えません 第6話・『現実は悲痛』



あの日、『僕』はずっと彼女きみを待ち続けていた。

「また後でね」と友達に呼ばれた彼女きみは『僕』に笑いかけ、友達の後を追っていってはどこかへと消えていく。
『僕』は彼女きみの言葉を信じて、ずっと彼女きみを待ち続けた。

花火が終わり盆祭り大会が終盤になり、先程までせわしかった来場客が次々とここから離れても――次の日も、次の週も、次の月も、翌年も。

けれど彼女きみはいつまで経っても、『僕』の元に帰ってくることはなかった。

そして『僕』が再び彼女きみの近況を友人から聞いたとき、『僕』は自身の耳を疑った。
友人の言葉を嘘だと思った僕は、すぐさま彼女きみへと会いに行く。しかし自身の目ではっきりと目にしたのはこの悲痛な現実を肯定に過ぎず。

彼女きみが――君が『僕』以外の誰かに笑いかけるなんて信じたくなかった。

信じたくたくなくとも、結果は既に出ている。

彼女きみは、あの時『僕』の元に帰ってこなかった。
笑って友達とどっかに行って、そのまま家へと帰ったのだろう。『僕』のことなど綺麗さっぱりに忘れて。

既に彼女きみに覚えられていないのだから、彼女きみが『僕』を思い出すことは絶対にない。
その現実が、異様なまでに痛くて。

だから『僕』は、気が付けば既にこの世からいなくなっていた。

彼女きみが愛おしすぎて、憎くて、どうにかしてやりたくて、毎日のように彼女きみを想い、その結果、僕は『ばけもの』になってしまった。

『僕』の抱いていた感情だけが浮き彫りにされて、それだけが僕を形成したのだ。

ただ僕は、誰にも認識されることなどない。
だって、僕は彼女きみへの愛憎の塊だから。

正に生霊が如く、ふわふわとこの世をさ迷って、僕は再び彼女きみの前に現れた。

しかし、だとだとしても。彼女きみは僕を覚えていない。それも当然のことだろう。

なにせ元あった姿などほど遠く、『僕』とはとてもかけ離れた容貌に生まれ変わっているのだから、どう見ても再会したとて「はじめまして」と挨拶を返されるのが関の山だ。

髪色も、髪型も、体格も、目元も、声も全てが違う。
正直気味が悪かった。
でも、彼女きみが気づいてくれるならと願って、僕は僕を変質しかえつづけた。

いつかきっと彼女きみが僕を見てくれるときがきたら――そしたら彼女きみは僕に振り向いてくれるだろうか。ただそう切に無力に願い続けて。

と未だ終わらない変質へんかを続けながら、あっという間に10年の月日が経っていた。

この10年の間に、僕はまた髪色も、髪型も、体格も、目元も、声も変わっていた。
ずっと彼女きみの理想になるためだけに、自身を捏ね繰り続けたその末路がこれなのだ。

幸いなことに、どれだけなにを弄ろうと僕の体は痛むことはなかった。
けれども、心だけは毎度痛んだ。

どうして気づいてくれないの——そうを恨んで。
きっと彼女きみが僕に気づいてくれたら、幸せだろうなぁ――そう彼女きみに語りかけては今を妬んで。
本当なら、今すぐ彼女きみを僕と同じようにしたい――そう憎しみと破壊衝動だけが募って。

だとしても、結局は愛情だけが育ってしまった。

この10年、僕は彼女きみを見守り続けていた。
彼女きみに視認されないことをいいことに、ずっと彼女きみの傍を離れることなく、いつだって一緒にいた。

だから、彼女きみがこの10年のうちに付き合っていた人の名前さえ知っている。
彼女きみが恋人と出かけたときも、失恋して泣いたときも、いつに如何なるときもその忌々しい恋愛遍歴を脳裏にしっかり焼いてある。

それは彼女きみの恋愛遍歴だけではなく、いつ何時何分何秒の出来事まで――家族に苦しめられて泣かされたときも、誰かに傷つけられて人を信用しなくなったことも、いつしか現実を見ることを諦めた理由だって知っている。

だからこそ、ああ言った。僕は何1つ嘘は吐いていない。
だって理解してわかっているから、分かりすぎているずっと傍にいたから。

だから僕は、あの女に感謝すべきなのかもしれない。

あの女が君の心を折ってくれたから、今こうして無事僕は彼女きみと会えた。

彼女きみには名前と自身の存在を偽ったが、それ以外に嘘はない。

雑貨屋に行ったときに、買ってくれた偽物の天然石のブレスレットをお揃いで持てたときの喜びも。
粉ものと白米の相性を疑って食べたものの、美味しかったという感想も。
仕事に疲れ切った君を抱きしめたとき、癒したいと思ったことさえ。

僕は正真正銘の狂気ばけものだ。
姿もない、彼女きみにしか見えない存在。

彼女きみ以外に愛しいものも憎いものもなく、害を加えることもない名前のない怪物。

僕が『僕』の存在を明かすときは、彼女きみがこっち側へ来てからだ。
彼女きみが全部いらないと、僕以外いらないと思ってからだ。

そうして僕に依存させて、愛という猛毒を思う存分に飲んだ後に明かすのだ。


「久しぶり、神代かみしろさん」


『レディ』などとそんな有象無象な形容詞で、彼女きみを呼ぶことなどない。
このときだけ、僕も時計の針を過去へと戻そう。

彼女きみの苗字を呼んで、『僕』がいたころの口調でまた君に話しかけよう。

全てを知ったら、彼女きみはどう思うだろうか。
きっと気持ち悪いと思うかもしれない。けれどそれ以上に、彼女きみは喜ぶはずだ。なにせ彼女きみはこうでもしないと愛を信じれない。

今まで偽物ばかりを見せられたから、いよいよ目が曇ってしまった。だから本物を感知することも出来ない。

「10年間、ずっと君のことが好きでした」といえば、きっとそれ素敵だろう。
彼女きみがずっと憧れた純朴な御伽噺のように、ありきたりだけれども現実には決して存在しえないような夢想。そんな下らないものに未だ彼女きみが憧れているのも当然ながら知っているのだから。

けれども僕の愛情は、僕という存在は、君の求める『本物』はそんな陳腐なものなんて求めてなどいない。
だから、その一言だけは言わない。

今日も、明日も、明後日もばけものは気を窺う。
君がいとも容易く僕の元へと堕ちてくるのを、虎視眈々と。
そのときまで、貌も名もなく、ただの見えない妄想なにかと自分を偽ろう。

―—なんて、ようやく痛みに悩まず眠る彼女きみを横目に僕は思っていた。

うっかり彼女きみの浮かべる苦痛の表情に胸が痛んで全て明かしそうになったが、僕はただ逸る気持ちを抑える。

「……まぁだ、だよ」

なんて、まるで悪魔のように笑い、歌うように呟いて彼女きみの――愛しい『僕』たちの恋彼女好きな人の黒髪を指で軽く梳く。
ああ、一体、彼女きみはいつになったら、ここまで堕ちてくれるのだろう。

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