鬼滅の刃についての一考察2
〜上弦の陸 獪岳の満たされない承認欲求〜
「鬼滅の刃」の一ファンです。
読むたびに様々な示唆を得られると感じています。
私が「鬼滅の刃」から感じたこと、考えたことを気ままに書いてみたいと思います。
※ご注意ください
1.あくまでも個人的見解であること
2.ネタバレになる可能性があること
以上2点を予めご了承ください。
今回は「新上弦の陸 獪岳」から承認欲求について考えてみたいと思います。
●「承認欲求」はだれもが持っている
「誰かに褒められたい、認められたい」という思いは人間誰しもが持っている思いではないでしょうか。
自分が頑張っていることや自分の良さなどを誰かが認めてくれる。
それは自己肯定感にも繋がりますし何より嬉しいことです。
ですが、最終的には自分の努力や良さを自分自身が承認しなければ、本当の意味での自信にはならないのかもしれません。
●善逸の兄弟子 獪岳の苦しみ
獪岳は、善逸と同じ育ての桑島慈悟郎(じいちゃん)の下で雷の呼吸を修行します。
壱の型しか出来ない善逸と壱の型以外出来る獪岳。
二人で一人とも言える状態が獪岳にはどうしても耐えられなかったのです。
獪岳も努力を惜しまず自分を鍛えぬき、修行に励んでいました。
その努力を師匠のじいちゃんに見てもらい褒めてもらいたかったのかもしれません。
ですが、じいちゃんは善逸の世話に追われて獪岳まで手が回らなかった。
獪岳に対する師弟愛はもちろんあったのですが、それが伝わっていませんでした。
●「俺を正しく評価し認める者は“善"!!低く評価し認めない者が"悪"だ!!!」
これは善逸との対決で、獪岳が叫んだ言葉です。
他者の評価を求める獪岳を端的に表していると思います。
人からの評価ばかり求めても、どこまで行っても満たされることはありません。
そのような獪岳について善逸は「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてる」と言っています。
獪岳は本当は誰に認めて欲しかったのでしょうか。
このように考えると、獪岳のこのセリフは悲しみにあふれた叫びのようにも聞こえます。
●自分を受け入れること
獪岳は壱の型だけができませんでした。
壱の型ができない自分を認めることができず、他者からの評価を求めて、終わりのない承認欲求の迷路から抜け出せなかったのかもしれません。
もし獪岳ができない自分を認め受け入れることができていたら、壱の型以外は習得できた自分も、自分で承認できたかもしれません。
●まとめ
上限の陸になれても、心のどこかでいつも不安な気持ちがつきまとい、善逸に嫉妬し続けていた獪岳。
自分と向き合い、弱さを認めることで幸せを入れる箱の穴が塞がっていたかもしれないですね。