見出し画像

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜59/「57」57のイメージ残した佐藤幸彦

割引あり

(写真 中央・57を背負って4年目の17代小川龍成、左上から・参謀として支えた7代土屋弘光、現役11年コーチとしてもチーム支えた9代筒井良紀、右上から・57を顔として印象残した10代佐藤幸彦、トレード移籍した15代香月一也)


※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)

(59)「57」57のイメージ残した佐藤幸彦

 背番号57の系譜を語る時、まず欠かせないのは10代佐藤幸彦の存在だ。今でも佐藤をイメージするファンも多いと思う。
 毎日、大毎時代は栗本光明、永田善一と短い期間背負い若い番号に変更した。大沢啓二、土屋弘光とコーチが背負い、初めて10年背負ったのが筒井良紀だった。引退後はブルペン捕手、ブルペン担当コーチとして18年間チームを支えた。その筒井を継いだのが佐藤だった。入団当時は川崎だったが、千葉に移転してご当地選手となり13シーズン57を背負いチームの顔となった。マリンから車で30分の花見川区の出身。「川崎の球団に入団したけど、気がついたらマリンから一番近くで育った地元出身になってた」と笑った。
 小川龍成には佐藤にあやかり、息の長い選手を目指して頑張って欲しい。

----- 現在の背番号「57」 -----

 ★《17代》2021(R3)年〜・4年目 小川 龍成(おがわ りゅうせい) 外野手(在籍4年目)

  1998(H10)年4月5日生(入団時22歳)、右投左打
  群馬・前橋育英高−国學院大−千葉ロッテ(21〜)

 【小川 龍成 背番号変遷】57(4)
 2020年のドラフト3位で國學院大学から入団した小川龍成が、背番号57を引き継いだ。
 ルーキーながら21(R3)年はキャンプからオープン戦と一軍に帯同する。しかし、オープン戦で右ヒザを痛めて出遅れる。それでも8月に一軍登録され、17日の西武15回戦(ZOZOマリン)に初出場。以降、一軍に帯同し代走、守備固めで出場。ルーキーイヤーは出遅れながら、20試合に出場、打席は6打席でヒットは出なかったが2盗塁を決めた。
 2年目の22(R4)年は開幕一軍入り。開幕戦で代走として出場する。以降、一軍に帯同し初安打、初本塁打も記録した。一、二軍を往復したものの、最終的に安定した守備力で守備固め、代走として68試合に出場したが、打率は.109と低迷。盗塁も4盗塁と物足りない数字となった。
 23(R5)も前年と同様の役割を果たす。しかし、打撃の状態が安定せず、このシーズンも一、二軍を往復する。シーズン中盤には外野陣にケガ人が発生したこともあり、外野も守った。最終的に52試合に出場、打率.150、盗塁も3盗塁に終わった。

 (2023(R5)年シーズン終了時)
 ◆在籍時打撃成績<140試合、打率.111、81打数9安打、1本塁打、5打点、9盗塁>
 ◇初出場<2021(R3)年8月17日・西武15回戦/H(ZOZOマリン)/途中遊撃/打席なし>
 ◇初スタメン、初打席<2021(R3)年8月24日・日本ハム11回戦/R(札幌D)/8番遊撃/2打0安>
 ◇初安打<2022(R4)年4月23日・オリックス5回戦/R(京セラD)/9番遊撃/4打2安>
 ◇初打点<2022(R4)年5月24日・広島1回戦/R(マツダ)/途中遊撃/0打0安/犠飛>
 ◇初本塁打<2022(R4)年8月25日・西武22回戦(ZOZOマリン)/9番遊撃/2打1安/松本航から>

----- オリオンズ&マリーンズ「57」の系譜 -----

1950(S25)年〜1954(S29)年 空番


 ★《初代》1955(S30)年・1年 萱原 一美(稔)(かやはら かずみ(みのる)) 外野手(在籍1年)

 ※1954(S29)年〜55(30)年一美、56(S31)年稔に登録名変更

  1930(S5)4月5日生(入団時24歳)、右投右打
  大阪・堺市立商業高−大阪大丸−常磐炭鉱−近鉄(54)−毎日(55)−高橋(56)

 【萱原 一美 背番号変遷】57(1)
 前年近鉄に在籍していた萱原一美が1955(S30)年に移籍し入団、初代背番号57を背負った。
 55(S30)年は開幕は一軍を外れたものの、4月中旬にベンチ入りすると、いきなり出番が回る。4月24日第1試合の大映2回戦(駒沢)で3番の山内和弘が死球を受けて退場。急遽萱原が移籍後初出場し3安打1打点1盗塁と穴を埋める活躍でオリオンズデビュー。第2試合でも3番でスタメン出場し1安打3打点を記録する。山内復帰後もスタメン、代打で一軍に定着する。しかし、徐々に打撃の状態を落とし、最終的に47試合に出場し、打率.235に終わる。オフには出場機会を求めて高橋に移籍した。

 ◆在籍時打撃成績<47試合、打率.235、86打数16安打、0本塁打、10打点、2盗塁>
 ◇毎日初出場、初打席、初安打、初打点<1955(S30)年4月24日第1・大映2回戦/R(駒沢)/途中左翼/5打3安>
 ◇毎日初スタメン<1955(S30)年4月24日第2・大映3回戦/R(駒沢)/3番左翼/4打1安>


1956(S31)年 空番
※一部資料には川口正英入団とありますが、オフィシャルガイドでは入団に至らず空番となっているので空番としました。


 ★《2代》1957(S32)年〜1959(S34)年・3年 福塚 勝哉(ふくづか かつや) 捕手(在籍5年)

  1939(S14)年1月5日生(入団時18歳)、右投右打
  和歌山・和歌山商業高−毎日/大毎(57〜61)−阪神(62〜64)−阪急(65〜66)

ここから先は

12,439字 / 4画像
この記事のみ ¥ 200〜

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?