《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜58/「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号】
(写真 中央・現在は23代になる中森俊介、左上から・初代は洋松から移籍の荒川昇治、ミサイル打線の核弾頭柳田利夫も入団時は4代56、右上から・左の巧打14代川島正幸、最長8年背負った後藤利幸)
※名前横の【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)、【殿堂】は野球殿堂入りしている選手
(58)「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
背番号56は短命の選手が多く、背番号16の24代に次ぐ、現在の中森俊介が23代となる背番号だ。しかし、その系譜を辿ると隠れた歴史が多い背番号でもある。4代の柳田利夫は背番号4を背負いミサイル打線の一角となったが、入団時は56を背負い2年で変更した。6代の新井彰は1年で退団となっているが4年間練習補助生として在籍し、5年目に正式契約を結んだ。
その後、助っ人ソロムコ、川島正幸と56で実績を積み背番号を変更した。56で最長8年背負った後藤利幸はケガで苦しんだものの56で一軍マウンドに上がった。
中森俊介には56で今までにない、新しい歴史を刻んでくれることを願っている。
----- 現在の背番号「56」 -----
★《23代》2021(R3)年〜・4年目 中森 俊介(なかもり しゅんすけ) 投手(在籍4年目)
2002(H14)年5月29日生(入団時18歳)、右投左打
兵庫・明石商業高−千葉ロッテ(21〜)
【中森 俊介 背番号変遷】56(4)
2020(R2)年のドラフト2位で兵庫・明石商業高校から入団した中森俊介が、背番号56を引き継いだ。
1年目は徹底した体作り、フォーム固めに終始し、二軍でも未登板に終わる。2年目は開幕から二軍でマウンドに上がるも4月に右肩痛を発症。リハビリに専念し、マウンドに上がることが出来ずにシーズンを終える。
3年目の23(R5)年はオープン戦で好投を見せ、開幕一軍入りを果たし、開幕戦で2番手として初登板を果たす。4月5日の日本ハム2回戦(ZOZOマリン)では2番手として登板。1回投げて1失点も打線が勝ち越して初勝利を飾る。その後、リリーフとしてマウンドに上がる。7月には二軍で先発として調整し、8月23日のソフトバンク18回戦(ZOZOマリン)に初先発し、5回4失点だった。最終的に13試合に登板(2先発)、2勝3敗、防御率は3.54だった。オフにはオーストラリアのリーグに参加して経験を積んだ。
(2023(R5)年終了時)
◆在籍時投手成績<13試合、3勝2敗0S0H、防3.54、2先発、0完封、10奪三振>
◇初登板<2023(R5)年3月31日・ソフトバンク1回戦/R(paypayD)/2番手/0.2回0失>
◇初勝利<2023(R5)年4月5日・日本ハム2回戦/H(ZOZOマリン)/2番手/1回1失>
◇初先発<2023(R5)年8月23日・ソフトバンク18回戦/H(ZOZOマリン)/先発/5回4失勝敗なし>
----- オリオンズ&マリーンズ「56」の系譜 -----
1950(S25)年〜1954(S29)年 空番
★《初代》1955(S30)年・1年 荒川 昇治(あらかわ しょうじ) 捕手(在籍1年)
1924(T15)4月15日生(移籍時30歳)、右投右打
滋賀・八幡商−昭和製鋼−太陽(47〜54)−毎日(55)
【荒川 昇治 背番号変遷】56(1)
洋松に8年在籍し、正捕手も務めていた荒川昇治が移籍して入団し、初代背番号56を背負った。
正捕手にはルイスがいたため、開幕から一軍ベンチ入りも代打が主な役割だった。しかし、打撃の状態も上がらず、6月には一軍を離れる。シーズン最終盤に再登録されたが、移籍1年目は24試合に出場、マスクを被ったのは3試合。打率も.095に終わり、オフには退団、引退した。
◆在籍時打撃成績<28試合、打率.095、21打数2安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
◇毎日初出場、初打席<1955(S30)年4月6日・東映4回戦/R(駒沢)/代打/1打0安>
◇毎日初安打<1955(S30)年5月8日・阪急6回戦/R(西宮)/代打/1打1安>
★《2代》1956(S31)年・1年 松本 春男(まつもと はるお) 手(在籍1年)
1935年4月12日生(入団時20歳)、右投右打
鳥取・境高−米子鉄道管理局−毎日(56~57)
【松本 春男 背番号変遷】56(1) ⇒ 44(1)
1956(S31)年に社会人・米子鉄道管理局から入団した松本春男が、背番号を56を引き継いだ。
6月に一軍登録され初登板を果たしたが、3番手として登板し4回7失点と打ち込まれ、一軍登板はこの1試合に留まった。オフには背番号を56から44に変更した。
→ 松本春男 背番号 44 へ(有料エリア)
◆投手成績<1試合、0勝0敗、防11.25、0先発、0完封、7奪三振>
◇初登板<1956(S31)年6月19日・阪急6回戦/R(西宮)/3番手/4回7失5自>
★《3代》1957(S32)年・1年 河井 学(かわい まなぶ) 内野手(在籍3年)
1936(S11)年8月21日生(入団時18歳)、右投右打
愛知・岡崎高−毎日(55〜57)
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