VOCALOIDの文化とは何か
※注
この記事は2023年の11月3日の文化の日に身内(VOCALOIDを知ってるだけの人)向けに「VOCALOIDの紹介」という体で書いていたものの加筆修正版になります。
ゆえに、紹介しやすいように私自身の主観によるものが見られます。
特に「黎明期」「最盛期」などの時代の流れの紹介については様々な意見が見られる箇所ですが、私が感じたものを書いているに過ぎませんので、これが正解というわけではありません。
それを踏まえた上でお読みいただけると幸いです。
VOCALOIDが好きです。
今日は文化の日なので大好きなボカロの文化について語りたいと思います。
今年2023年という年はボカロにとって少し大きな意味を持つ年です。
何故なら今年は初音ミクが発売されて16周年だからです。
16周年? 10周年でも15周年でも20周年でもなく? そんな中途半端な数字が?
そうなんです。
なぜ16という数字が大きな意味を持つのか?
それはボカロにとって欠かせない存在である「初音ミク」の設定年齢が16歳だからなのです。
設定年齢とは?
ボカロにはそれぞれ簡単な設定があり、たとえば年齢、得意な音楽ジャンル、身長、体重といったビジュアルなどは公式で設定づけられています。
逆にそれ以外に設定は特になく、性格などはとくに決められていません。
そんな16歳の初音ミクがこの世に誕生して16年という記念すべき年が今年、ということなのです。
初音ミクのことを「ボカロにとって欠かせない存在」であると言いました。
世の中にはボカロ=初音ミクだと勘違いしている人もいますが、ボカロ……VOCALOIDには少々複雑な定義があります。
そもそもVOCALOIDは株式会社ヤマハが商標登録している製品のことを言います。
さらにVOCALOIDを開発している会社があり、初音ミクはその中でも「クリプトン・フューチャーメディア」から発売されたVOCALOIDになります。
今現在、国内外を問わなければ100……はあるんじゃないかな……。数えたことないけどめちゃめちゃ増えてる。
しかし、「VOCALOID」と一口で言った場合、製品ではなくそのキャラクターや音楽ジャンルのことを指します。
例えば「重音テト」は厳密には「UTAU」もしくは「Synthesizer V」に分類されるものですし、「可不」は「CevioAI」に分類されるものですが、音楽ジャンルで言った際には「広義ボカロ」というVOCALOIDの音楽として親しまれています。
そんな多数あるVOCALOID……ボカロの中でも特に初音ミクは異彩を放つ存在と言えるでしょう。
実は初音ミクは初めて作られたVOCALOIDではありません。
これは国外にしても、国内にしてもです。
VOCALOIDをメインにした番組(プロフェッショナルとか)でたまに説明されていますが、そもそも音声合成の技術というのは2000年ごろから行われており(いわゆるDAISYプロジェクト)、初めてVOCALOIDが発売されたのは海外です(LEON/MIRIAM)。
日本では2004年にMEIKO、2006年にKAITOが発売され、初音ミクが発売されたのは2007年、ということになります。
VOCALOIDはそもそも現在のような使い方を想定されていなかったそうです。
DTMで使うものとして開発はされていたそうですが、メインボーカルではなくあくまでバックコーラスやデモ音源などの使い方を想定されていたようです。
確かに私も中学時代の音楽の授業で合唱のパートの音取り用CDに入っていた音源はMEIKOが歌っていたな、という記憶があります。
本来そのような使い方を想定されていたようなのです。
ただ、「初音ミク」発売直後から、初音ミクをメインボーカルに据えた楽曲が多数投稿されるようになります。
それ以降、VOCALOIDをメインボーカルに据えた楽曲がVOCALOIDの主な使用方法となりました。
その中心的な場所になったのがニコニコ動画です。
そう言った意味で、ボカロとニコニコ動画は切っても切り離せない関係であると言えるでしょう。
初音ミク発売を機に多数投稿されるようになったボカロ楽曲。
その発売になった年=2007年を起点として、16年。
VOCALOIDは様々なシーンを迎えました。
それをざっくりと紹介したいと思います。
まずは俗に「黎明期」と言われている時代。
有名な曲では「みくみくにしてあげる」や「メルト」など、ボカロの礎を築いた楽曲はこのときに投稿され、今もなお愛されています。
この時期は2007年~2009年までの3年間と、2009年~2011年までの3年間でざっくり分かれており、
前者はryoの全盛期であり、後者はハチやwowakaが台頭していた時代です。
次に「最盛期」と言われている時代。
2011年~2013年。じんのカゲロウプロジェクトやkemuなどが現れ、「ボカロっぽさ」が確立してきた時代になります。
また「千本桜」もこの時期の投稿楽曲です。
次に「衰退期」と言われている時代・
2013年後半~2015年末まで。この時期にn-bunaやorangestarが現れ、今につながっています。
この時期に有名な曲や名曲は多数ありますが、ただ、「年内ミリオン達成楽曲」が一番少ない時代でもあり、確実に「ボカロはオワコン」と言われていた感覚が当時にもありました。
次に「復興期」と言われている時代。
2016年から明確には決まっていませんが、おそらく2018年ごろになるでしょう。
このあたりでナユタン星人などが登場し、現在も活躍しています。
復興のきっかけになったのはDECO*27の「ゴーストルール」という楽曲だといわれています(3週間ほどボカロランキングを席巻した)。
それ以降は「第二世代」と言われているらしいです。
2007年から大体3年区切りで時代が分かれていることがわかります。
また、2017年が初音ミク10周年であり、ハチやwowaka、ryoなど黎明期の代表的なボカロPが復活したこともあり、いわゆる「古参P」も「新参P」もひっくるめて盛り上がった時代もありました。
「第二世代」以降が一言で言い表せないのは、衰退期以前とはボカロの機運が変わってきたからだと思います。
きっかけは「砂の惑星」という楽曲でした。
既に米津玄師としてデビューし、その前年には「Lemon」でヒットしていた「ハチ」が初音ミク10周年の記念にボカロPとして楽曲を投稿したのです。
「砂漠になった惑星を憂う」という内容でした。
私はこの曲が大好きではありますが、また少し複雑な気持ちにもなる曲です。
なぜなら、米津玄師が、ハチが憂いた「砂の惑星」にはまだ人が住んでいたからです。
その中には私もいたんだと思います。
米津玄師やYOASOBIに代表される「元ボカロPの有名アーティスト」。
もともとボカロPだったけれど、メジャーでデビューし、自分で歌うようになったり、人に楽曲を提供するようになった人たちがもうすでに数えきれないほどいます。
そもそも、ボカロPのままではテレビなどにほとんど出られない・楽曲提供可能にならないという現状があります。
例えば紅白歌合戦で「千本桜」や「命に嫌われている。」は歌われましたが、歌ったのは初音ミクではなく小林幸子やまふまふといった人間でした。
ワンピースの映画で登場した歌姫であるウタの3Dが可能だったところを見ると、初音ミクで歌うことは不可能ではなかったはずですが、ボカロ曲を大勢の前で披露するときにボカロが前に出ることはほとんどありません。
YOASOBIの「夜に駆ける」のミクバージョンはデモ音源ではなく、ミクバージョンであるのに、ikuraさんが歌ったバージョンのみが完成版であるように言われることがあります。
そう、「衰退期」以降、ボカロPのアーティスト化が進行しており、「ボカロ」は「メジャーアーティスト」になるための踏み台として使われることが増えているのです。
こう言ったことが理由なのでしょうか、「昔のボカロは好きだけど今のボカロは全然知らない」という人を私はたくさん知っています。
ボカロは今やお金を稼ぐための道具である、のかもしれません。
もうかつての「黎明期」の空気は全くないと言っていいでしょう。
そこで私は改めて考えるのです。
『VOCALOIDの文化とは何か?』
実は今現在(2023年11月3日現在)ニコニコ動画ではVOCALOIDの楽曲投稿イベントが開催されています。
「無色透明祭」というお祭りです。
今回で2回目になるこのイベントは、無色透明の名の通り楽曲動画を「匿名で」投稿するイベントです。
あの大好きなボカロPが参加している! けれどどの動画かはわからない。
イベントで投稿されたたくさんの曲を聞いて、新たに好きな曲を見つけたり、新たに好きなボカロPを見つけたり、私が好きなボカロPの曲はこれじゃないか? と探してみたり。そう言ったことが楽しめるイベントになっています。
こうしたニコニコ動画主催の楽曲投稿イベントは昔からあったわけではなく、年に2回行われている「ボカコレ」も含めて2020年に入ってから行われるようになりました。
もう新しいも新しいイベントです。
ただこういったイベントを行うことで間違いなくボカロ全体が盛り上がっているのです。
「ボカコレ」や「無色透明祭」で有名になる人は間違いなくいます。
イベントで盛り上がるから、ボカロ全体も盛り上がるのですが、その反面、イベント中以外の投稿曲数や楽曲ランキングの変動というのは多くありませんし、大きくありません。
つまり、誰かが引っ張って盛り上げていかなければ盛り上がりきらないし、ランキングに入る曲やボカロPも決まったものになってしまう、ということです。
以前は違いました。
ニコニコのノリと言ったらその通りなのですが、例えば
「般若心経」の曲ばっかり投稿された時期(おにゅうPの「般若心経ポップ」をきっかけに多くのボカロPが般若心経をアレンジした)、
「P名言われたか戦争」(MARETUの「P名言ってみた」という楽曲でP名が言われたP/言われなかったPがアンサーソングを投稿した)、
「あったかいんだからあ」のアレンジ合戦、「自爆」という曲名で楽曲を投稿する……など、ひとつの切っ掛けで悪ノリをして楽曲を投稿する、といういわば「お祭り」は「最盛期」あたりまでは頻繁に行われていました。
そこには「きっかけ」のみがあり、人工的な「主催」はいませんでした。
そう、今のボカロの楽曲投稿イベントの盛り上がりはなるようにして出来た盛り上がりで、どこか人工的なにおいがするのです。
それは誰かが文化としてVOCALOIDを残さなければならないと思ったみたいに……。
人間が歌ってないからなかなか表には出せないけど、残さなくてはいけないと思わせる。
不思議なものですが、それがVOCALOIDの文化なのではないでしょうか。
私がボカロを好きになったのは小学校5年生のときで、2008年~2009年という黎明期も黎明期の時代でした。
ボカロは大好きになった。
けど「変な曲」だと言われたことは今でも鮮明に覚えています。
私は今でもボカロは変な曲だと思っているし、車の中で聞いていても、ボカロを聞いているときは窓を開けることには躊躇します。ヨルシカなら躊躇わずに開けられるのに、です。
たぶん、生まれた時からボカロがあって、それが当たり前だと思って育った、ボカロのことなんか何にも知らないのにボカロを聞いている少年少女のほうが、私よりもずっと健全にボカロを聞いているのだと思います。
それが新世代なのだと、言われればそうなのでしょう。
ボカロはニコニコ動画とともに育ったと言えます。
しかし、現在メインはyoutubeに移ろうとしています。
ボカロ黎明期をryoとともに支えたkzの楽曲投稿、ボカロ「復興期」の代表的なボカロPナユタン星人の楽曲投稿、初音ミク誕生祭リアルイベントライブ「マジカルミライ」のテーマソングが投稿される場所はすでにyoutubeに移動しています。
ライブに行くほどボカロが好きな人たちはすでにニコニコ動画だけではなくyoutubeで楽曲を追ったり、聞いたりしなければ、テーマソングさえもほとんど聞くことが出来ない状態にあるのです。
しかしそれもまた新世代、新時代ではあるのでしょう。
「砂の惑星」は「砂漠になってしまった惑星を憂う曲」だと紹介しました。
その惑星がボカロを示すことも、ニコニコを示すことも、わかっています。
米津玄師が当時の界隈を見て憂いたのもわかります。
それほどボカロの世界は変わってしまったし、これからどうなるかもわからない。
それでも、その文化を、多少変わっても消えてほしくないと願う人たちがいる。
それは一人や二人ではない。ボカロが好きで、続いていほしいと願っている人、全員なのです。
そこには私もいます。
『VOCALOIDの文化とは何か?』
コトバンクによると、「文化」とは「学問・芸術・道徳・宗教など、人間の精神の働きによってつくり出され、人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの」と定義づけられています。
先に紹介したVOCALOIDの楽曲投稿イベントは歌舞伎などの伝統芸能や織物や作刀などの伝統工芸などが衰退しないように、積極的に守っていく運動とよく似ています。
今、ボカロは「文化」であろうとしている。
今のメインカルチャーの裏側にボカロが存在していて、16年前から続いてきたその文化の変化を受け入れながら、愛する文化であり続けようとしているのです。
ここからは余談になります。
「砂の惑星」以降、ボカロの中で「惑星」という単語は特別な意味を持つようになりました。
「君が今も生きてるなら応えてくれ僕に」
という歌詞に答えるように、たくさんのアンサーソングが作られました。
それを少しだけ紹介したいと思います。
今年の「マジカルミライ」テーマソングの「HERO」(Ayaseの楽曲)にはこのような歌詞があります。
「水を撒け、ここは愛の惑星」
また、今年の「マジカルミライ」で発表された「ブループラネット」(DECO*27の楽曲)にはこのような歌詞があります。
「一番に輝く星であってくれ」
ボカロを愛し続けている人がいる限り、この惑星はきっと愛に溢れた輝く星になっていくのでしょう。
ボカロが好きです。
VOCALOIDが好きです。
ボカロが好きな人たちが好きです。