闇にたたずみ「風の音」を聞く――詩人・上林俊樹の再評価のために【付・著作リスト】
本noteでは、「壘」や「白亜紀」に寄稿した現代詩を採録し、あるいはゲームポエムの実作を掲載していますが、狭義の現代詩とゲームポエムを架橋する記事として、「フラジャイル」9号には「ゲームポエムへのいざない」を寄せました。主に現代詩の読者へ向けた「ゲームポエム」そのものへのやさしい紹介文で、「現代詩手帖」2019年12月の拙稿「現代詩よ、大いに遊べ!」と照応する内容です。これに対して、「グラフ旭川」で言及があったほか、本邦におけるゲームポエム紹介の第一人者・中村俊也さんから応答記事を頂戴しました。「ナイトランド・クォータリー」のVol.21、22にも現代詩が掲載されております。
【上林俊樹の文体】
「現代詩手帖」2020年11月号の拙稿、「もう一つの「二十世紀日本語詩」史を想起せずにはいられない」では、坪井秀人およびエティエンヌ・バリバールの仕事を主な参照項としつつ、今野大力・向井夷希微・郡山弘史・バチェラー八重子、そして上林俊樹について論じました。とりわけ上林俊樹については、主題的に「現代詩手帖」で論じた初の原稿になるかと思います。
本論では紙幅の都合上、割愛せざるをえなかった内容を、この場を借りて補完します。「もう一つの「二十世紀日本語詩」史を想起せずにはいられない」では、上林俊樹が編集に大きく関わった「熱月(テルミドール)」誌の創刊号(熱月社、1974)の折込に記された「わが魂の暗部から さらなる磁場の創出にむけて」というアジテーション文を紹介しました。以下のように始まるものです。
私たちはいま、奇妙に明るい闇の底辺にたちすくんでいる。なんという不分明な賑やかさ。そしてなんていうあいまいな混迷。そのなかで私たちは、それぞれみずからの生を、鈍感な棒切れのようにまさぐりながら生きている。いや生きているような気がするというべきであろうか。それほどまでに私たちは、状況のもつ悪意に圧倒的にとりこまれている。
これは上林俊樹の第一詩集『聖なる不在』(崇神淑人名義、1971)で綴られていた「夜明けの波しぶきを煌めかせる黄金色の太陽」のイメージと対比的に示される文脈にあるものとして読めます。上林俊樹の出発点には、学生運動に携わったことによる1970年の勾留体験と、その翌年に見た見神体験が根ざしています。ごく単純化して説明すれば、主体のうちでこれらを綜合するにあたって、『聖なる不在』以降の上林は超越的な信仰の領域に安住しようとはせず、逆に自らを太陽の照らさない闇へと追い詰め、そこから獲得できる〈視線(まなざし)〉に期待をかけるわけです。けれども、聞こえるのは吹きすさぶ、風の音ばかり……。
現在の私たちの手元に、確実な与件はなにひとつない。背後にはいつだって寒い風が吹きすぎていく。だが、状況と私たちが手がるによんでいるものは、実はつねに私たちひとりひとりの〈視線(まなざし)〉によってのみ成立しうるものの別名にすぎないとするならば、いまだ私たちは自身に可能な力のすべてをだしきっているとはいえないだろう。(「わが魂の暗部から さらなる磁場の創出にむけて」)
上林俊樹という主体が有した〈詩人的身体〉の内実で、その〈視線(まなざし)〉を求める思弁が徐々に深められていきます。結果、闇のなかにたたずむという感覚は、生前の単著として遺した二冊の批評集の一つ『吉本隆明 昏い夢と少女』(海王社、1985年)では、冒頭にスタンスとして明記されるにまで至るわけなのです(ヘッダーに写真あり、書き起こしは以下)。〈視線〉が遮がれた闇のさなか、ねぶりへの葛藤を軸に、吹きすさぶ風の音に耳を傾けるところから、〈詩人的身体〉は出発します。
光を孕んだ夜がほのかに解体してゆくとき、闇ではない闇と光ではない光が境界を溶け合わせている領域があらわれる。そこでは闇と光が溶けあい、諸々の物象はいまだ形をなさず、人もまた死者のように冥い世界をさまよっている。
(……)
闇のなかで眠る死者は世界と融和している。そこでは昼における〈わたし〉と外界の対立は取り払われ、〈わたし〉だけで一つの世界が成立している。〈わたし〉の外部のものは、やさしい闇となって〈わたし〉を包んでいるに過ぎない。しかし、やがて闇に融けている者に、夜明の前ぶれのような風の音が聴こえてくる。遠くからやってくる笛のような風の音は、〈わたし〉の擬-死者のような休息をおびやかす不安な響をともなっている。風の音に誘われて、闇と光の境界にさ迷い出た孤独な魂は、生(光)のほうには現実的な世界との抗争があり、《耐え難いもの想ひ》がある。死(闇)のほうには恍惚とした眠りがある。夜明の孤独な魂は、そのどちらにも行けないまま不安に慄えている。(『吉本隆明 昏い夢と少女』)
これらの引用を対比すれば、まさしく、「わが魂の暗部から さらなる磁場の創出にむけて」で示されたテーゼを、上林が批評で実践していたことがわかるでしょう。この吉本隆明論は、「詩を詩自体として読み込むことを唯一の方法」とするもので、それゆえ、批評でありながら〈詩〉たりえている、というわけなのです。「吉本隆明」という固有名を超えたもの(カッコに入れたもの)として、読むことが求められる、そういうテクストなのでした。そこから、もう一冊の批評集である『砕かれた鏡あるいはJ=P・サルトル』(海王社、1987)では、愛憎相半ばするサルトルの問題に決着をつけるべく――いわば、「文学」を介したアンガージュマンのあり方を、鉱物質なイマージュをもとに紡ぎ出していくという方法が採られます。このサルトル論は、サルトル研究が進んだいまなお新鮮で、それは別の機会に論じたいと思って準備を進めているところです。
上林俊樹は長らく、プロの編集者として実務に携わっていた都合上、傍目には明らかに上林の文体とわかるものであっても、表に名前が出ていないことが珍しくありません。ゆえに、その痕跡を追い、複数の証言を検証しつつ、文体の変化を的確に押さえていくことで、詩人のヴィジョンとパースペクティヴを見極め、再定位させる慎重な作業が必要となります。
こうした仕事の背景を知っていただくため、また、新たに上林俊樹に興味をもたれた方への紹介として、現時点で判明している上林俊樹の著作リストを以下に記します。
(※リストはSFユースティティアから刊行される『上林俊樹詩文集 聖なる不在・昏い夜と少女』に収録されたため削除)
※この場を借りて、資料・情報提供者各位に感謝します。