もう会うことはできない20歳の君たちへ 夢は叶いましたか?
※東日本大震災についての記載があります。
今から12年前。
その時、私は高校2年生。
西日本に住んでいた私は、ニュースでそのことを知った。
同じ日本で起きているのにも関わらず、
何もできない自分にもどかしさを感じ、帰宅部だった私はJRC部に入った。
JRCとは、Junior Red Cross、青少年赤十字を意味する。
遠く離れた被災地に行くことはできなかったため、
募金活動を行い、少しでも力になれればと思っていた。
赤十字というワードは耳にしたことはあったが、
どのような活動を行なっているのかそこで初めて知ることができた。
これから話す内容はそれから3年後の看護学生の頃のこと。
その後も私は赤十字の活動に興味があり、
何かできることはないかと日々考えていた。
そしてとある企画に目が止まった。
それが
『平成25年度東日本大震災復興支援事業 「日赤キッズクロスプロジェクト」 サマーキャンプ 2013 in クロスヴィレッジ』
だった。
日本赤十字社が主催となり、
被災地で生活する児童・生徒に対して心身のリフレッシュに加え、
「将来の視野を広げるプログラム」や
「仲間との協調・助け合いを学ぶ機会」を提供することにより、
次世代を担う子どもたちの将来の基盤作りを支援することを目的としていた。
そこで運営スタッフのボランティアを募集されていたのだ。
私は看護学生の友人にも声をかけて一緒に応募し
青年赤十字奉仕団の1人として無事に参加することになった。
飛行機に乗り、はるばる北海道へ。
そこで東日本大震災によって被災した岩手、宮城、福島の市町村に住む小学5・6年生、中学1〜3年生に出会った。
参加者は2337名、8つの枠に分けて1ターム3泊4日だった。
1チームにスタッフ2人、
子どもたちは10人。
東京での事前研修や、現地での直前研修である程度の流れは把握した。
看護学生の友人とは同じタームだったが、ペアのスタッフはもちろん、チームも違っていたため、社会人に紛れて、関係構築をするのに必死だった。
それは、私だけでなく、子どもたちも。
出身地も年齢もバラバラの子どもたちでチームを組まれるため、
最初はテーブルを囲って座ってからも無言が続いていた。
どうにか仲良くなってもらえるように声をかけ、
事前に記入したフレンドブックで自己紹介をしたり、キャンプでの目標を模造紙に書いて作成することで次第に和やかな雰囲気になっていった。
特に女の子たちは私を慕ってくっついてきていたため、
年の離れた妹ができたみたいでかわいくてたまらなかった。
「将来をみつめるきっかけづくり」として、
子どもたちは10年後の自分に手紙を書くことになっていた。
そのイントロダクションとして、
私は看護師になりたいと思った理由を伝えた。
10人の真っ直ぐな目が私に向けられて、とても緊張したが、
一生懸命に聴いてくれているのが伝わった。
可能性に満ち溢れた彼らの目はキラキラしていた。
正直、ある程度の年を重ねてから
小学生とこんなにも密に過ごすことがなかった。
自分が小学生の時は
本当にわがままで自分勝手だったので
勝手にそんなイメージを抱いていた。
でも彼らは違った。
フィールドワークをしていた時。
大自然のなかのチェックポイントを回り、
最終的にポイントが高いチームが表彰されることになっていた。
私たちのチームの男の子の1人はもともと足を怪我していた。
残り男4人、女5人。
誰か1人、「もっと早く行こうよ!」と言ってもおかしくない。
しかし、誰ひとりあわてることなく、
怪我をしている男の子のペースに合わせながら
「大丈夫だよ」と声をかけていた。
最下位に近いポイントだったが
「楽しかったね」と声を掛け合っていた。
また、選択プログラムのキャンドルクラフトで
1人の女の子がオリジナルキャンドルを5つ作っていた。
細かい作業が必要なのに、とても上手に作られていた。
「すごいね」と話すと、
「もらって欲しかったの」とそのうちの2つを私に手渡した。
「残りは私と妹とお母さんの分」と。
そこにもう1人のスタッフが通りがかった。
彼女は話が聞こえたであろうそのスタッフに
私と同様にキャンドルを2つ手渡した。
後から「いいの?」と私が尋ねると、
「1つのキャンドルを妹とお母さんとゆっくり眺めれるから
よりこのキャンドルに思い入れを持つことができた」と答えた。
小学5年生。こんなことが言えるだろうか。
自分が頑張って作ったキャンドル。
きっと妹とお母さんにプレゼントしたかっただろう。
私は何度も断ろうとしたが
彼女の好意を無駄にしないように受け取った。
これは当たり前にできることじゃないと思う。
「僕の家は農園だったけど、津波で流されたの」と
悲しそうに笑って話す男の子。
昼間はニコニコしていても、
夜になると、フラッシュバックして泣き出してしまう女の子。
私には想像できない
壮絶な日々を過ごしてきたのだろう。
日常が日常じゃなくなった。
多くのものを失っただろう。
行き場のない怒りや悲しみを
まだ10歳やそこらの子どもたちが抱えているのだと思うと
胸が苦しくてたまらなかった。
それでも彼らは、それを乗り越えて。
前に向かって進んでいる。
辛い思いをしてきた子たちだからこそ、
人の痛みがわかり、人に優しくできるのだと学んだ。
最終日のお別れパーティー。
3日間を振り返るスライドショーを観ながら楽しいひと時を過ごした。
スライドショーの最後に突然
「僕たちからのサプライズ」という文字。
振り返ると、チームの子どもたちが
にこにこしながら私をみつめている。
小さな手のひらの上にあるのは
子どもたちからのメッセージが詰まった1冊のノート。
「喜んでほしくて一生懸命書いたよ」
嬉しそうにする女の子たちと
照れくさそうにする男の子たち。
涙が止まらなかった。
たった3泊4日。
1週間前まで顔も名前も知らなかった子たち。
つい数日まで
緊張してまともに会話もできなかった子たち。
その子たちが
1冊のノートを私のために作り上げてくれた。
自分たちが楽しむために来たサマーキャンプで
私のために時間を割いて作り上げてくれた。
嬉しくて
嬉しくて
苦しくて
嬉しくて たまらなかった。
何度も「ありがとう」を伝えた。
部屋に戻ってから、ノートを開いた。
「○○のおかげで本当に楽しい4日間だったよ!
このグループでよかった!」
「わたしもかんごしさんになりたい
ゆめをかなえるね」
「かんごしになりたい理由を教えてくれてありがとう」
夢をかなえてください」
「これまでつらいことばかりだったけど
たくさんわらってすごすことができたよ
ありがとう」
一生懸命書いているのがわかる文字。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
あれから9年。
一番ちびっこだった彼も彼女も
今年で20歳を迎える。
もちろん、今何をしているのか
どこにいるのかもわからない。
あの時抱いた夢でも、
違った夢でもいい。
どうか夢が叶っていますように。
そしてどうか笑っていてくれますように。
あの日にもらった1冊のノートと
2つのキャンドルは
今も私の机に飾ってあります。
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