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【木曜日】自分自身を楽しませようと考えた時

この10年ほど、ずっと家にいる。32歳で結婚してからずっとだから正確には12年くらいにはなる。

それでも最初の数年間は週に何度か働いていたし、子どもが産まれてからは子育てが仕事だと思ってきたし、実際激務だったし、育児と仕事の両立なんてエネルギーの無い私には到底無理な話なので、家の中でもなんでもその時々で一つ役割があれば十分だと思っていた。

格段に手が離れた事を実感したのは、娘が保育園に上がった時。突然その日から静かな昼間が手に入って驚いた。驚きついでにこんな夢のような時間を手にしたのだから何かやらなきゃと、焦るような気持ちで自分にできることとやりたい事を模索した。

心の仕組みを知りたくて高額セミナーに通った。一度通うとタカが外れる。今度はうまい儲け話に目がくらんで超高額セミナーに通った。株と仮想通貨でへそくり数百万円を溶かした。散々だ。同時に家を建てた。無責任で無能な設計士のおかげで死になくなった。死にたいって衝動なんだとこの時初めて理解した。

設計士は途中で仕事を投げ出し音信不通になるくらいには最底辺のクズだったけれど、それでも家は建った。むしろクズが居なくなった事で滞っていた物事がスムーズに進みだした。そうだ、ヤツは我が家のガンだったんだ。

新しい家に住んで1年になる。今のところ私は死んではいないし、死にたい衝動も消えてなくなった。嫌な記憶は風化してきたけれど無くなってはいない。

負の感情が鬱積しているこの家に住むことは不快ではあるけれど、気持ちの良い素材に包まれているのは心地いい。不快と快適は両立する。

我が家のキッチンと静かなところは気に入っている。
家の中にいると音がまるで聞こえてこない。耳をすませばシンシンと耳鳴りがする。冷蔵庫の音がほんの少しだけたまに聞こえる。鳥のさえずりはごくたまに聞こえてくる。それだけ。

雑音が苦手な私は静かであるという事がとても大事。だからこの無音な感じがとても心地良い。誰にも煩わされないひとり静かな環境が私は好きだ。


静かな環境を手にしたところで私は何をしているのか。

たとえば家から一歩も出ずに朝9時から夕方3時半まで海外ドラマを週5で観続ける事に、私はなんの苦痛もない。

お腹が空けば冷蔵庫を開けて食べる。自分で買ってきた私の食べたいものが並んでいる冷蔵庫なのだから、昨日の夕飯の残りでも心踊るし快適で仕方がない。

そう、私は家にいる事が恐ろしく快適な人なのです。

眠くなった時は日なたを求めてソファーに寝っ転がればすぐに夕方が来る。炭水化物は目の前の現実を夢の中に引きずり込むのに最適だ。お米を食べたあとの眠気はどうしてこんなに気持ちがいいいのか。家の中のすぐそこに天国があるのだから、幸せすぎてもうこれ以上他に何もいらないという気分になる。

私の勤務時間は、娘が学校から帰ってくる夕方3時半〜娘が寝る22時までだと思っている。

だからそれまで体力を温存している。

結論、静かな環境で体力を温存させる事が私の楽しみ。

ほんとかいな。




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