職務経歴についてまとめて見た
一つ、仕事について決断したので、これまでの経歴をアウトプットします。
2003年、新卒で福岡に本社を置くITベンダーのフォーサイトシステム株式会社に入社。いわゆる中小企業である。就活は敢えて中小企業を絞ったこともあり、5社目の面接で内定を得た。
当時は超就職氷河期だったが、5社受けて2社内定をもらうことができたのは幸運だった。
2003年4月、内定者研修の為2ヶ月間福岡県の天神で寮暮らし。
この時点で大学で学んだことが一つも役に立たないことを痛感。大学は情報システム学部である。
2003年6月、品川区の世界的企業Sに常駐し、補修用部品管理システムのヘルプデスク業務に従事する。今はレガシーとなった汎用機に触れた機会はこの時期だけなので、良い経験になった。
2012年、志願し別の現場へ。今では当たり前となっているが、テレビでオンデマンド配信を行うA社へ。ここではJavaを初めて学ぶ。
2014年、北区にある大手印刷会社のT社へ常駐。ここでもJavaを継続的に学ぶとともに、印刷についての知識や、EPUB(電子書籍)なんかも手掛けることに。
2016年、大阪のガス会社で新規商談の話があり、競合他社との入札争いの為2週間大阪へ出張。無事入札を勝ち得た。それよりも関西を堪能した。観光地は全て回った。大阪を飛び出し、甲子園は淡路大橋などにも足を運んだ。
戻ってきてからは、横浜の最近TVCMを見るようになったI社に常駐。社内に雇用を生み出す為の切り込み隊長として乗り込み、仕事を社内に持ち帰りチームを組む事に成功。功績が認められる翌年管理職へ昇進する。
2017年、この歳が転機になる。
管理職へ昇進、そして結婚。
順風満帆かと思ったが、抱えていたプロジェクトの多忙さにより適応障害を発症する。朝起きれなくなり、4日間仕事を休んだ。一旦その仕事のリーダーは降りたが、仕事を継続し、何とか終了まで頑張った。
2018年、新宿区の家賃保証会社L社へ常駐。ここでは福岡、大分、東京での分散開発をするための東京の拠点リーダーとして従事する。
順調かと思えた仕事だが、度重なる仕様変更、進まない進捗により徐々にボリュームが増加。この年、第一子が誕生し、1ヶ月育休を取得した。仕事復帰後も仕事の状態は変わらず。。
2019年3月、この状況に耐えられず、休職を決断。
2ヶ月で復帰の予定だったが、親や家族と相談し、とことん休むことに。
復帰は2020年4月、丸1年休んだ。
この1年を振り返ると、とても有意義な一年だった。
子供の成長を目の当たりにすることができたし、仕事に対する考え方も変わった。
オンラインサロン #西野亮廣エンタメ研究所 に入ったのも休職期間中だった。
復帰後は、しばらくは総務で自己学習の日々。新型コロナウィルスの影響により自宅でもくもくと作業する日が続く。
病状も落ち着いている為、11月から現場復帰を果たす。
しかし2021年1月末。
自分の作業がボトルネックになったことにより、病状が再発する。
医師に相談し、残業はさせないよう作業量を調整してもらうことになった。
再発を一番心配していただけに、今回の出来事はショックだった。
そして、今年中に仕事を辞める決断をした。
18年勤め上げた会社を離れるのは心苦しいが、この先も同じことが繰り返される可能性もある。そして自身のライフスタイルの変化により、仕事が第一でなくなったことなど、要因は色々ある。
今はただ目の前の作業をこなし、心穏やかに過ごせるよう仕事に取り組んでいる。
駄文ですが、読んでくれてありがとうございます。