自己紹介①演劇オタク少女が大学で中国語を学びゲーム開発者になるまで
はじめまして!
香港仕込みのほっこり系陰陽五行マスター・ゆみたんです。香港で陰陽五行を教えたり、個性の生かし方や人づきあいのコツをアドバイスしたりしています。
「アメリカと中国に住んだことがあって、どっちの国の言葉も理解できて、米中新冷戦の激戦地・香港に住んでいるゆみたんが、陰陽五行という東洋哲学を通して今の世界を観たらどう見えるかをつづったらおもしろいんじゃない?」
そんな友人のふとした言葉がきっかけで note を始めることにしました。
まずは自己紹介から。ということで、これまでの足跡を簡単にまとめてみようと思ったら、半世紀を超える歴史は長すぎて!
今回は「岐阜育ちの演劇オタク少女が大阪の大学で中国語を学び、ゲーム開発者になるまで」という行き当たりばったり人生の前半部分をお届けします。
生まれと育ち
大阪生まれ、愛知&岐阜育ちです。
幼稚園の頃からお絵かきが大好きで、将来の夢は漫画家。
それからアニメ全盛期を迎え声優にあこがれて演劇部に。中学・高校は地味に演劇に打ち込む青春でした。
文系なのに理数科で赤点と格闘する日々。進路は美大か外大かで悩みましたが、「美大卒じゃ食べていけない」という世間の声に押され外大を志望することに。
3人姉弟の一番上で国立しか目指せない⇒国立の外大は東京か大阪にしかない⇒祖父母のいる大阪なら許してもらえるかも
という流れで大阪外国語大学を選択。学科は模擬試験の結果を受け、スペイン語か中国語かの二択に。
「うーん、世界的に見てどっちもしゃべる人口が多い言語だけど、中国の方が近いし中国語かな?」
当時の中国といえば、パンダとシルクロードとNHK人形劇『三国志』ぐらいしかない近くて遠い国でした。
先見の明でもなんでもなく、ただなんとなく中国語を選んだのでした。この時もしスペイン語の方を選んでいたら、今の私はなかったでしょう。人生とは、こんな風になにげないところで分かれていくものなのですね。
大阪で大学生活
晴れて合格し、夢の下宿生活を大阪でスタートさせた私。
中国語専攻だけど、英語も話せるようになりたいとサークルはESSに入りました。演劇も続けられるドラマセクションで英語でミュージカルに挑戦。
SF研究会にも所属し、カルトムービーなどサブカルの世界のおもしろさを知りました。
世はバブルまっさかりの女子大生ブーム!社会人との合コンでちやほやされる。そんな恩恵を一切受けることなく、箕面の山奥で猿とたわむれる相変わらずのオタク少女でした。
卒論のテーマは、「魯迅の夢十夜とフロイトの夢診断の比較」。中国文学のゼミで最後までテーマを自分でみつけることができなかった落ちこぼれの私に、先生が提案してくれたテーマの一つです。
その後は自分なりになんとか書き上げ、ドキドキで迎えた口頭試問。
「出色の出来だ。学会に発表してもいいレベル」と思いがけず指導教官の大絶賛を受けることに。そして、卒業式で中国語学科の総代として卒業証書を受け取る栄誉を授かったのです。
会話の授業では万年Cだった冴えない私が首席ということで、さぞかしクラスメートは驚いたことでしょう。
思えば、「文章を書くことは意外と好きかもしれない」とこの時初めて思えたのでした。
そして、「目的意識が希薄で自分で目標を定めることができないダメな自分と、逆にお題やプロジェクトを与えられたら期待以上の成果をあげようとがんばる自分」という今にも通じる私らしさがすでにそこにあったということがわかります。
憧れのゲーム開発者になる
空前の売り手市場と言われた時代ですが、就職活動は結構苦労しました。自分にあまり自信がなく、アピールの仕方もわからず、もらった内定は一つだけ。
男女雇用機会均等法が施行され、初めての「女性総合職」として採用された国際貨物の輸出営業の仕事でしたが、3年で辞めました。
なんとなく就職したけど、なんとなく合わなかったというぼんやりした理由で、次の仕事も決まってないのにです。
「どうしようかな~?仕事みつからなかったら実家に戻るしかないか」と思いながら、ふと目にした『アルバイトニュース』。そこには、「デザイナー募集。初心者歓迎」というゲーム会社の募集広告が載っていたのです。
スーパーファミコン全盛期で、夏休みともなれば寝る間も惜しんでFFやドラクエを夢中でプレイしていた私には夢のようなお仕事!絵を描いてお金をもらえるなんて最高!
ダメ元で応募したら即採用。アルバイトで初心者を採用し、一からツールの使い方を教えてくれるありがたい会社でした。オタクばかりの楽しい職場で気の合う友達もでき、飲み会やカラオケや麻雀で盛り上がる日々。
唯一の問題は、貯金がどんどん減っていくこと!この収入では一人暮らしはきつい。
でも正社員になれるのはごく一握り。2~3年でみな他社へ転職していくのです。若いゲームクリエイターを育てる養成所のような位置づけでした。
「このままじゃじり貧だ~」とお正月に帰省した折にコンビニでふと手にした『DODA』。そこには、「正社員募集。経験者優遇」という地元のゲーム会社の広告が!
こうして行き当たりばったりながらも、節々でわらしべ長者のように幸運を掴み、地元のゲーム会社にUターン就職したのでした。
この時点では「やっぱり美大に行っておけばよかったのかな?外大を卒業したことや、中国語を学んだことは無駄だったのかも」と思っていたのですが...
「人生に無駄なことは一つもない」、今はそう確信しています。
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【ゲーム開発者になりたい方への一言アドバイス】
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さて、この後のゆみたんの人生は?アメリカ進出から上海を経て、陰陽五行と出会い香港へ。さすらいの旅は「自己紹介②初めての海外生活はアメリカ!アメリカンドリームなゲーム会社で共同開発」へと続きます。
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