7年目にして気づいたこと。
先日、NHKの『ゲームゲノム』にて、ゲーム『ニーアオートマタ』の回が放送されました。
内容は、1周目2周目にフォーカスしつつ、『罪と罰』というテーマでオートマタがプレイヤーに投げかけるものについて深堀りする、といったものでした。
ゲストもスタジオセットや映像などもすばらしく、楽しく見られた30分でした。
詳しくは、以下の記事をどうぞ。
さて、本日はこの放送を見て、わたしが7年目にしてようやく気づいたことについて、書いてみたいと思います。
それは、オートマタのEエンドは循環のエンドなんだな……ってことです。
Eエンドに進むためには、プレイヤーは自らの全プレイデータを犠牲にしなければなりません。犠牲にすれば、他のプレイヤーを助けることができます。一方、データを消去する・しないに関わらず、ここではプレイヤーは他のプレイヤーに助けてもらうことができます。
つまり、プレイヤー同士が助け合う形になっているわけです。
7年前、『ニーアオートマタ』をプレイした時、わたしはこのシステムについて、特に何も感じませんでした。
いや、データを全消ししてまで他人を助けられるってすごいな……とは多少は思いましたが、プレイする前にゲーム実況を見ていたこともあって、これといった感慨はなかったのです。
しかもわたし自身は、やってないサブクエストをやりたかったこともあって、全消しはしませんでした(;^ω^)
それもあって、よけいに何も思わなかったのかもしれません。
ですが、今回の番組を見て、このシステムのすごさに気づくと共に、ニーアシリーズとしては、進化しているのでは? と思ったこともあって、この記事を書くことにしたわけです。
……ということで、まずは、1作目の『ニーアレプリカント/ゲシュタルト』から、バージョンアップ版の『ニーアレプリカントver1.22……』までの全消しエンドについて語りたいと思います。
1作目『ニーアレプリカント/ゲシュタルト』において、セーブデータの全デリートが選択肢に現れるのは、Dエンドです。
主人公が旅の仲間だったカイネを救うために、自分の存在を消すか否かを迫られます。
そう、ここではゲーム内のストーリーとしての選択なのです。
主人公が自分の存在を消すことを選ぶと、プレイヤーの全てのセーブデータが消され、ラスボスはカイネが倒したことになります。
ただ、カイネも主人公の妹(娘)ヨナも、なんとなくそのことに違和感を抱えた雰囲気のまま、エンディングのムービーが流れて終わります。
続く『ニーアオートマタ』では、Eエンドに向かうルート上で、セーブデータの全デリートを行うか否かの選択肢が現れます。
ただこれは、『レプリカント/ゲシュタルト』のDエンドとは違い、どちらを選んでも、ゲーム進行とストーリーには関係ありません。
敵を全滅させられればクリアできますし、全消ししなくても、他のプレイヤーに助けてもらうことは可能です。
最終的な結果も同じで、エンディングのムービーも同じものが見られます。
そして、『ニーアレプリカント』のバージョンアップ版である『ニーアレプリカントver1.22……』では、Dエンドのあとに、カイネが主人公を取り戻すEエンドが追加されました。
これによって、主人公の存在は戻り、データも戻って来ます。
つまり、『レプリカント/ゲシュタルト』ではストーリーを動かすためのものだったセーブデータの全デリートは、オートマタではストーリーの外で動くメタ的なものとなり、レプリカントのバージョンアップ版ではストーリーを動かすと共に、メタ的視点でも救済となっている、ということなのです。
わたしはこれを、一種の進化ではないかと感じました。
救いのなかった物語・システムの中に、徐々に救いの要素が足されて行っているように思えるのです。
そして、ここで注目なのが『ゲームゲノム』の番組内で掘り下げられた『罪と罰』というテーマです。
プレイヤーが機械生命体を破壊しまくるのが罪で、2周目において彼らに自我があることを知って迎えるBエンドが罰なら、Eエンドのデータ全消しは『償い』でしょうか。
ですが、その『自己犠牲』とも言えそうな『償い』は、他のプレイヤーたちを助ける道へとつながっているわけです。
プレイヤーはEエンドを迎えるために、他プレイヤーたちの自己犠牲によって助けられる。そして、そのプレイヤー自身もまた、見知らぬ誰かのためにデータを消す……。
そこに現れるのは、消滅と救済の循環であり、レプリカントのバージョンアップ版でもこの形が生かされていると、わたしには思えるのです。
ちなみに、番組内で取り上げられた『罪と罰』の構図は、実は1作目からずっとゲーム内に流れているものです。
1作目の敵となるマモノも、実際には主人公たちが思っているものとは全然違う存在で、2周目でその真実を知ったプレイヤーは、きっとうしろめたさを感じながらゲームを続けることになるのではないかと思います。
……というわけで、オートマタ発売から7年目にして、わたしは改めてこのゲームのすごさを知ることができたのでした。
名作・神ゲーと呼ばれるものは、掘っても掘っても新たなすごさが現れるのだな……と今更ながらに思ったことです。
以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました!