実はまだ貨幣のプールの中にいる人たち
実に厄介極まりない、貨幣を物質と見做し、その物質がAのプールからBのプールへと移動することで価値が移動する、という貨幣プール論(商品貨幣論)ですが、事の始まりはアダム・スミスどころではありません。
実はこの貨幣プール論は
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの時代、つまり紀元前4世紀から、一貫してこの貨幣プール論で貨幣を考えることがなされてきました。
アリストテレスは一貫して貨幣は交換の手段としてのみ容認され、利益を得る手段としては、つまり投資という手段自体は否定しています。
アリストテレスは信用取引的な「膨張」を一切否定しており、これは正に貨幣を用いた最古の共産主義的思想の萌芽、と言っていいでしょう。
逆説的に、人類は哲学が意識された古代のその瞬間から、共産主義を、或いはこれまで何度も言ってきた、共産主義や主流派経済学の下地の貨幣論である商品貨幣論(貨幣プール論)をベースとして貨幣を考える下地があったわけです。
この覆しがたい固着した空気の中、よくもまぁ、人類は「信用貨幣論」という鉱脈を探し当てれたものだ、と感心します。
しかしながら、いくら探し当てた、としても見つけてまだ100年も満たない年月しか経っていないわけですから、どうしても人は、その思考のベースに商品貨幣論的な色彩を色濃く残しているのです。
「私は信用創造を理解した!」
「信用貨幣論を理解した!」
「私は貨幣プール論の呪縛から脱した!」
と思い込んでいる人ほど、理解した、という瞬間に思考停止をしてしまっているため、「実はまだまだ理解していない」という状態にあったとしても、それに気づかずに留まっている、という状態が往々にしてあるのです。
しかもその人たちは、長年の不況という自分たちの経験、しかもその不況の原因が不心得な政財界の富裕層による失政によるものだ、ということが明るみになればなるほど、その攻撃の矛先は
「富裕層の貨幣のプールを如何に壊そうか?」
ということが主目的の議論となってしまいます。
しかし、富裕層の貨幣のプールは私たちが簡単に壊せるものではないのです。何故なら
彼らは政府と癒着して、私たちでは壊せない貨幣のプールを作り上げているからです。
そして、気づいているでしょうか?
そのように「敵の貨幣のプール」に注目している時点で、私たちはその脳裏に「商品貨幣論的な貨幣論をベースに今後の対策を展開している」ことに。
敵の貨幣のプールに注目する、これが信用創造、信用貨幣論を知って、なるほど!と理解しても、いざ考える時、マルクス経済学的な思考パターンや主流派経済学的思考パターンから抜け出せない、原因となるわけです。
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