三点監視の応用.7 ―統合政府.4(統合された後どうなるか?)―
「統合政府論」で三点監視が崩壊するとどうなるか?
これは歴史的必然なのですが、
統合政府は「モズラーの名刺の父親の立場」、
つまり「独裁者」になります。
前回と前々回示した図解ですが
この「E.統合政府」と「B.民間銀行」の間のやり取りですが、この図解は
「E.統合政府」から「Ⓔ当座預金」が「B.民間銀行」に行き、
「B.民間銀行」から「Ⓔ当座預金」が「E.統合政府」に戻ってきています。
「E.統合政府」と「B.民間銀行」の間で「Ⓔ当座預金」というメモ帳(貨幣)が無意味に行ったり来たりしているわけです。
ここでも政府と日銀の合併と同じように「省略」が発生します。
それは
「民間銀行から当座預金を回収せず、一方的に統合政府が当座預金を発行し、民間銀行に渡すだけ」
と、いう変化になります。
これは「政府の信用創造」という貨幣に信用を与えるために敢えて紡がれる「虚構の物語(むらさき枠)」が「真実になってしまった」状態、なわけです。
「貨幣の虚構の物語」と「真実」については、過去記事を読んでもらいたいわけですが、
「ディマンド(赤枠)」で作られた「民間で信用創造された貨幣」が優先され、「三点監視で信用が保障された当座預金(むらさき枠)」が後から「貨幣の信用」を付与する、というスタイルが、
「政府の貨幣発行者(供給)としての信用」が優先され「ディマンド(赤枠)に信用を与える、という行為が無視されている」わけです。
なぜ、こういう状態になるのか?
統合政府は貨幣を発行することができ、しかも「武力」があるからです。
中世ヨーロッパなどで、貨幣鋳造権限を独占した武断的世俗領主が、領民へ生殺与奪の権を行使しなかった例など存在し得ません。
統合政府は、貨幣という価値あるものを発行できる権力を乱用して「貨幣という価値を受け取りたい」、と思っている民に飴玉のように配り、そして最終的に馬の目の前に人参を吊り下げ、餌が欲しければ働き走り回るように仕向けるでしょう。
そして実際に貨幣を得られるのは、政府の内部の政治家にとって利益があるように対応した人物であり、それは結果として
「『貧富の格差』が増大する『身分社会』」へとつながる
わけです。
つまり、
「統合政府」を
「現実に誕生させること」は
「財政上の民主主義否定」であり、
「経世済民の否定」であり、
「格差拡大社会」の実現です。
因みに、先ほど述べた国民に貨幣を飴玉のように配る方法は、
「リフレ派」
も同様です。
リフレ派は「統合政府」の下「貨幣を発行」し「国民に配る」ことを目標とします。
国債廃止論を唱えるMMTerも、国債廃止した後「統合政府」の下「貨幣を発行」し「国民に配る」ことを目標とします。
つまり、
「国債廃止論」を唱えるMMTerと
「財政ファイナンス」を唱えるリフレ派は
「統合政府」で一致してしまった以上、
「政府・政治家の独裁権力の容認」という点に
おいて完全に一致しているのです。
財政ファイナンスと国債廃止。
このどちらが実現しても
必ず「独裁権力の確立」が確立するだろう、と
私は確信します。
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