自分らしく生きると社会不適合者は同じなのかも。
自分の気持ちに素直に生きる、嫌なことはやらない、を意識してから自分の日常生活大きく変わったな〜と思ったので、今の気持ちをまとめてみる。
今も基本的には早起きなんだけど、眠かったらいつでも昼寝はするし、動きたくなったら外へ出て散歩するし、食べたい時間に食べたいものを食べて、好きなことを好きなときにするっていう、少し前なら想像できないくらい自由に日常生活を送ってる。
お金に関しても、今までの貯蓄とかその他一時所得とかで何とかなってる。
意外と人生ってこんなもんでいいのかもしれないなーなんて将来のことはあまり深く考えない。
仕事に関しても、今は家の中でできて、半分遊びのようなものを、自分の気分が乗ったときにするくらいのマイペースな感じでやってる。この位の距離感で仕事をやるのが個人的に心地いいし、何なら働かなくても別にいい、とさえ自分は思ってるまである。
2、3年前まで自分が望んでいた生活を今の自分はほぼほぼ実現できてて、嬉しいし、素直に生きるって良いなと再確認してるこの頃。
実は、素直に生きるって決断するまでは、むしろ真逆の生き方してて、自分は、集団生活とか規則・ルールに縛られた生活が結構しんどくて、学校とか会社にはあまり馴染めないタイプだった。
まぁでも自分を叱咤激励もしくは責めて、気合いでなんとか乗り切る系だったけど。ていうか、それが当たり前だと思ってたし、自分はそれが出来ない側の人間にはなりたくないっていう意地もあったというか。
多くの社会人や大人たちは大体こんな風に自分を殺して頑張ってるんだろうけど、自分は、ふと途中でこの生活がずっと続くくらいなら死んだ方がマシ、くらいまで思うようになって以降、そこからは全く頑張れなくなった。頑張る意味が分からなくなってしまった。
自分がおかしいのかな?って思ったりしたんだけど、ミナミ•A•アシュタールの情報を知ってからは、自分は全くおかしくなく、むしろこの社会の仕組みがおかしい事に気付けて、自分主体で素直に生きるって決断が出来た。
あと、人はいつか死ぬ。
いつか死ぬ人生、いろんな常識とか倫理観とかに縛られて我慢して自分が我慢して生きるのって損でしかないとも思ったし。
それからは、我慢しないといけないような環境からは離れて、自分のやりたいように生きる、をモットーに心掛けてるんだけど、お陰様で現状に満足できる日常生活を送ることができている。
やっぱり、これでいいんだと腑に落ちる感覚がある。
自分は静かな所や自然の中で過ごす時間が好きなんだけど、自然の中に身を委ねると、風とか水とか生き物とかが、それぞれが自由に自分たちのペースで生きてる姿に心奪われるし、ただ存在してるだけで良いんだよ、と自然たちが全肯定してくれるような気がして気分が楽になるし、人間も本来はそんな生き方で良いのかもしれないと、気付かせてくれる。
まぁ、こんな価値観だもんで、ゴリゴリに今の社会の中で揉まれてる人たちとか無理して頑張ってる人たちとは根本的な部分で合わなくなってきてるけどね。
こうやって、社会不適合者と言われている人種は生まれてくるんだろう。まぁ、社会不適合者って言葉自体、おかしいんだけどね。
だって、おかしいのは自分じゃなくて社会の方だから。笑