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良いから何も言わずにGYROAXIAの話を聞いてくれ

実在する人をテーマにした記事は何度書いても慣れることがない。
すくい上げた言葉は適切か、書き上げた文章は想いを踏みにじるものではないか、不安で不安でたまらなくなる。

それでも、雷に打たれたような衝撃を言葉にしないのはいささか不誠実ではないかと思い、GYROAXIA(ジャイロアクシア)に囚われた半年をここに記そうと思う。



私は架空のアイドルを実在するものとして応援しているんだけど、そのアイドルが舞台に立つというので神戸に飛んだ。


「舞台が決まったら絶対観に行く」とは決めていたものの、セリフの緩急、ふとしたときの仕草、絶妙な間・・・。


ステージにいるのは自分が応援しているアイドルそのもので、たちまちえも言われぬ感情が渦巻き、3時間目が離せなかった。


なんて素敵な俳優さんに演じて貰えたんだろう、と胸がいっぱいになって、こっそりその俳優さんを追いかけるようになった。


そうしてはじめて触れた作品が『from ARGONAVIS』だったんだけど、私はARGONAVISプロジェクトをよく知らない。


なんか・・・バンドリの弟分というか、男性版バンドリ・・・?みたいなのがあるのは知っていたものの、GYROAXIAについては存在どころか名前すら知らなかった。


とはいえなんも知らね~~~もいかんのでとりあえず曲を聴く。


天才音源だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私もHIGHになりたい!!!!!!!


高いカリスマ性を持つボーカルを筆頭に、圧倒的な実力でねじ伏せる実力主義のバンド。
その設定もさることながら、鬱屈とした思いを根こそぎ焼き尽くすような力強い歌詞とサウンドが最高に気持ち良い。


元々EDMが好きなので、高揚感のあるメロディやフロアがひとつの塊になるような一体感のあるフレーズ etc. ライブで盛り上がること間違いなしのこの曲は心を掴んで離さなかった。

同じ様な 毎日のルーティン
生きてる 実感?ないだろ 実際
辛うじて なんとか… ただそれだけ
「なあ それで OK?」 んなワケねえよな!
もっと自由に 生きたっていいぜ
惑わされんなよ セオリー 常識
妄想 想像 超えてけ Goes on!!
わかったフリして ベロ出せ My way!!
この宇宙上の片隅で 塵ほどもない 
存在さ We are!!
ちっぽけなんだ 有象無象
蹴り飛ばし 笑えばいい

なにより、Edenよろしく天才が天才の力でのし上がりつつ苦悩する姿が大好きなので、孤高の天才ボーカルが『自分たちはちっぽけな存在だ』と自覚しつつ世界に喧嘩を売っていくような歌詞が最高にぶっ刺さった。


良すぎる


音、生で聴きたい!!!!!!


ので、ツアー愛知公演のチケットをすぐさま押さえ、とにかく追えるだけ追おうと決めた。
3月のことである。


旭那由多・ファーストインプレッション(4月)

アニメだとか小説だとかゲームのメインストーリーだとかを追っていくうちに、傍若無人唯我独尊ボーカリスト(旭那由多)がただの傍若無人ではないことを知る。

怒りや憎しみといった負の感情を原動力にしていそうと感じた第一印象。
しかし、彼の怒りは”ただあるだけの怒り”ではきっとない。


音楽を愛する気持ちとは裏腹に、致命的な病を抱えままならない身体への怒り、歌を愛する自分を見限っただけでなく、母と自分を見捨てた父への怒り、怒りつつ世界で活躍するバンドマンとしての父へのリスペクトは抱いており、父に認めて欲しかったと心のどこかで思っている怒り、父と同じ方法で父を超えようとするも、未だ未熟な自分自身への怒り・・・。



幾重にも重なった怒りの感情。そのきっかけが父親だったとしても今は那由多自身に矢を向けているように感じて、那由多の中で滾る様々なフラストレーションがGYROAXIAの音楽の根源のように感じた。



GYROAXIA 三種の神器

原作を追うのとほぼ並行してリアルバンドも追っていた。
とはいえどのライブから観ればいいのかまったくわからず、おすすめされた通りアニメを5話まで観たあとで、まずは『火花散ル』
そのあとひととおり原作に触れた上で『JUNCTION A-G』『IGNITION』の順に追った。


『火花散ル』は本当に楽しくて、こちら側がどこかに抱えた弱さも鬱屈も全部かっさらっていくパフォーマンスがあまりにも心地良かった。



キャラステイではあるもののメンバーの目がキラキラと輝いていて、ああ楽しいんだろうなあというのが伝わってきたし、『WORLD IS MINE』は
「GYROAXIAの世界じゃ旭那由多が法律ですわ・・・」
なんて思ったりして、とんでもないものを観てしまったと思った。それくらい楽しかった。


とはいえなんとなく違和感に近い気持ちもあり、この気持ちは一体なんなんだろう・・・と考えていたころ『JUNCTION』を観て、ハッとした。


GYROAXIA、キャラ設定とリアルバンドが真逆では?



キャストとしての"じゃいろあくしあ"の仲が異様に良いらしいのは、最初に読んだインタビューですぐに察した(自粛期間中に椎茸栽培キットを繋ぐバンドって、何?)


生放送アーカイブを見たり、ほかのファンの方から聞いたりしても山のように面白仲良し/胸熱エピソードが出てくるので、ビジネスじゃなく、まるで長い間一緒に過してきたかのように仲が良くて信頼し合っている関係性なのがよくわかった。


でも音楽となると私は正直よくわからなくて、ただ、演奏中に映る悔しそうな表情や息が詰まる様子を見て、大変なことをやっているのだと思うと同時に衝動的に「がんばれ!」と思う気持ちもあって、「がんばれ」と思うってことはつまりそういうこと・・・・・・なんだろうなと思った。


生放送だったかインタビューだったか思い出せないけど、どこかで語られていた「音楽技術を磨いてもキャラクター達はどんどん先に行く」・・・みたいな言葉が頭から離れない。


キャラクターとしてステージに立ちながらも演奏や歌唱技術はキャストの力という点に2次元と3次元の境が曖昧であるように感じて、そこが非常におもしろくて魅力的に映った一方、絶対王者たるキャラクターとのギャップも存在していたのかと思って胸がギュッとなった。


とりわけGYROAXIAは時勢の影響でライブがなかなか行えなかったと聞いたし、最初のワンマンライブ(『IGNITION』)が無観客だったのもなかなかエモーショナルな歴史だ。


『IGNITION』のアンコールで那由多役の小笠原さんが「(ライブがなかなかできないので)トーク中心の面白集団」と発言したとき、軽いノリでの発言だと思うけどとんでもねえ自虐だ・・・と思ってしまって、返す言葉を失ったくらい。


しかし、この記事を書くにあたっていろんなファンの方と話していたけど「じゃいろがあるからジャイロがある」という言葉は、まさにその通りだなと思う。


曲と曲のつなぎはメンバーで考えたオリジナルだったり、ソロパートはメンバーが考案したものだったり、って”じゃいろ”の強い信頼関係があるからこそ成り立っているものだと思う​───

そういう話をお聞きして、なんだか私の方まで胸が熱くなってしまって、ああもう、ツアー、全力で受け取らなくちゃな、って気持ちでいっぱいになった。


8月14日、私はアイプラザ豊橋にいた。


在来線とローカル鉄道を乗り継ぎ、台風一過の蒸し暑い道を、セミの声を浴びながらてくてく歩いた。


豊橋は自分にゆかりのある街な分、好きなアーティストのライブのために行くとなると、見慣れた街も知らない街のように見えてなんとも不思議な気分になる。


もんやりと充満したスモークのにおいがつんと鼻をつく。
私ははじめてだけど、みんなジャイロのキャラや音楽やキャストが好きでここに集まったのかと思ったらなんだかじん・・・として、その上だいすきな地元でそれを迎えられるのが夢みたいで、バカみたいな話始まる前からちょっと涙ぐんでいた。


オープニングが流れ、暗転する。
ふっと、真っ白なスポットライトがドラムに当たる。ピン・・・・・・と張り詰めた空気を打ち破るようにスティックが振り下ろされた瞬間、全身にずしん!!と響く力強い重低音が衝撃波となって放たれた。


押さえ込んでいたものが爆発するように会場のボルテージは最高潮に達し、ワッと点灯したライトの中に5人の姿が浮かび上がる。ギターもベースもかき鳴らし、ボーカルは叫ぶ。



もう、ウワ~~~ッてなって、何も考えられなくなった。
『NEW ERA』って、そりゃない。ああ~~~これは、ジャイロが作る新時代、ジャイロ「の」新時代を見せられに来たんだ~~!!!!と思って!


一瞬で魂ごと鷲づかみにされて、熱狂する以外の選択肢は残っていなかった。

続く『火花散ル』も帰宅後こんなに違ったっけ?!と慌てて見返したくらい脅威の進化ぶりに衝撃を受けたし、それ以外の曲も驚くべき進化を遂げていた。


思わず「がんばれ!」と思ってしまうような瞬間のない、ずっしりと安定した磐石な音…旋律が旋律として一音一音はっきりと聞こえてきて夢中でペンライトを振っていた。


まさしくリアルバンドから本物のロックバンドへ大きく羽ばたく瞬間を目の当たりにしたようで、どうにかなってしまいそうだった。



『EGOIST』直前、那由多の煽りは今でも印象に残っている。

"こんな時代だからさぁ、ストレス溜まってんだろ、鬱憤溜まってるよな、それ今日全部ここに置いてけよ "


みたいな煽りからの『EGOIST』、その煽りがグサグサ刺さって大泣きした。


本来意図した文脈とは違うのだろうけど、自分の力ではどうしようもならない現実への嫌悪や将来の焦り、不安・・・そういうモヤモヤした気持ちを射抜かれたような感覚。


1回だけじゃなくて間奏でも強い言葉で煽ってくるのがものすごく嬉しくて、もう私の腕なんて吹っ飛んでも良い!!と思いながら振っていた。それくらい嬉しかった。




思えば、『WITHOUT ME』や『火花散ル』(ライブの方)の『IGNITION』の前のMCもそうだけど、那由多の中にリスナーの存在はちゃんとあって、それもただふるいにかけられて残った強者じゃない、それぞれに背景があり、それぞれに抱えているものもある、弱さもある存在だとわかっているような気がしていた。ステージに立つ旭那由多はとても優しい人に見える。


あの煽りが那由多の言葉なのか那由多に託した小笠原さんの言葉なのか私はわからないけど、その存在を認めた上で「あとはお前らの好きにしろ、ついてこれる奴だけついてきな」と言われている気に勝手になってぼろぼろ泣いた。



あっという間にセットリストすべての曲が終わり、アンコール。
たぶん、ツアーに参加したほとんどの人が感じていることだろうけど「えっ、もう終わり?」と思うくらい、本当に一瞬だった。


アンコールは”じゃいろ”の5人でゆる~いトークに終始笑いが絶えない1時間だった。


C100を豊橋で祝う小笠原さんとか、ちくわの穴を埋めようとする橋本さんとか、豊橋って市か・・・?と呟き豊橋市民を戦慄させる真野さんとか、ウォーミングアップのラジオ体操の仲間が増えない秋谷さんとか、会場にいるファンに箝口令を敷く宮内さんとか


まあ~~~書き切れないくらいの面白エピソードが溢れる中演奏された『FAR AWAY』はとてつもなくあたたかくて穏やかな時間だった。



『JUNCTION』で見た『FAR AWAY』は遠くにいる父親に向かって歌っているように見えたけど、ステージの端ぎりぎりまで近づいて各々お立ち台に腰掛け、しっとりと演奏し歌い上げる『FAR AWAY』はメンバーもしきりに観客席へ目を向けていて、まるで会場にいる観客ひとりひとりに向かって語りかけるやさしい歌で思わずどきっとした。


肝心のカーテンコールの挨拶は胸の奥がじんとあたたかくなって泣いていたのでおぼろげな記憶しか残っていない。


というのも、不安だったのだ。
GYROAXIAを知って半年そこらのペーペーで、過去は情報でしか追えない。どれだけ追ったところで”にわか”の引け目がある。


もちろんライブは超楽しみにしていたし、超楽しかった。
仲間内で「ジャイロっていいよね」と大切にするのがあまりにももったいなくて、もっとたくさんの人にGYROAXIAを知って欲しいと思った。


それでも、やっぱり、たいしてジャイロを知るわけでもない自分がこの場にいていいのかってずっと不安だったんだ。


だから、なんか、上手く言えないんだけど、私もGYROAXIAと一緒に成長する、GYROAXIAにあたたかな火をくべる一人になって良いんだとカーテンコールのメンバーひとりひとりの挨拶で思えて、すごく嬉しくなった。


プロジェクトから生まれたバンド、GYROAXIA。
キャラクターの深さも、キャラクターとして立つステージも、ひらがなじゃいろとして立つステージも、面白トーク集団のじゃいろも、どれもがキラキラと輝いていて魅力に溢れていて、どれを手に取っても最高に楽しい!



で、まあ、今週末、9月3日。ツアーファイナル、TDC。
配信が・・・あります。あります、ので是非覗いてみて欲しい。最高に楽しい2時間が待ってるから!私もおうちで見届けます。


辺境のちいさなアカウントなので、この記事はバズることもなく、インターネットに埋もれていく。
その中でもしも、この記事にたどり着いた誰かがGYROAXIAの音楽を聴き、もっと知りたいと思って貰えたなら、これほど嬉しいことはない。



🌟感想など🌟


おまけ|七種茨と里塚賢汰について

たぶん、読んでる人の中には七種茨を経由して里塚賢汰(メガネのなんかいけ好かない男)に辿り着いた人が1人くらいはいると思うので、所感を述べます。


七種茨と里塚賢汰が非常に近い存在なのが、正直とても面白かったです。


策士キャラで己の目的のためには手段を選ばない。複雑な背景があり、家族という概念にコンプレックスがありそう。あとメガネ。


でも、同じエゴイストでも目的は正反対。


茨は自分がのし上がることが第一目標だけど、里塚は旭那由多の歌を世界に押し上げることが最大の目的。


他者への心酔と崇拝のあるなしが大きな違いだと感じました。


とりわけ里塚はアニメだと弟との距離を測りかねつつ里塚なりに弟のことを考えているように見えるのに、小説だと180度違う表情を見せます。


かと思えばAIみたいな冷徹さを見せることもあって、媒体によって感じる印象がことごとく変わるのが非常に面白かったです。


けれどもどの里塚賢汰も根底に那由多の音楽への信仰があって、多面体のようなキャラクターだと思いました。

おわり

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