noteを書く理由
こうやってnoteを書き始めた理由ですが、普段なかなかできない自己表現の場所を作りたかったからということと、あとは単純な話です。
エッセイ本を出版する芸能人に憧れています。
ぺーぺーの大学生のくせして一丁前に憧れています。
憧れるのに一丁前もニ丁前もありませんが。
じゃあ三丁前はあるのかって?“ない”ということの証明は悪魔の証明です。聞かないでください。
なんで憧れるようになったかというと、一番の理由はオードリーの若林さんだったと思います。
「社会人大学人見知り学部卒業見込」「ナナメの夕暮れ」「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」、これらの本の存在を知り、思い立ってすぐに購入して、あっという間に全て読んでしまいました。
ここまで自分を突き動かしたものは一体何なのか。それは若林さんのことをもっと知りたいという気持ちでした。お笑い芸人として面白いことは既に知っている。でもまだ表面しか知らない。奥底にある考え方を知りたい。
気づいたら虜になっていました。
「こんなに面白い文章が書けるのか」「このとき若林さんはこんなことを思っていたのか、じゃあ自分はこれからの人生こうしたいな」「本に書いてあるこれ面白そうだな、今度やってみようかな」「楽しそうだな、あそこ行ってみたい」とか。
思いっきり影響を受けました。自分もこんな文章が書けるようになりたいなんて思い始めるようになってしまいました。なんてことしてくれたんですか。若林さん。
そんなこんなで今に至るのですが、残念ながら僕は、芸能人でも、若者に絶大な人気を誇るインフルエンサーでもありません。
となると、面白みのない日常をつらつら書き連ねても全く需要なんてものは存在せず、誰の目にも触れず、日記という名のデジタルタトゥーを彫り続けることになるのは目に見えてるわけです。
せっかくnoteを書くのだから、自分の欲を満たすためだけではなく、何かしらの意義をそこに見いだしたい。
これは全然関係ないですけど、普段ぺっぺけぺーに見える若者インフルエンサーが、若林さんみたいな文章書いてたらめちゃくちゃバズりそうですよね。ギャップってずるいよなあ。
文章が読みづらくなる脱線をしました。反省です。次回からは安全装置を付けてnoteを書くようにします。
というわけで、たまたま目にした人が最後まで読んでくれるような文章、人となりに興味を持ってくれるような文章、読むことでひとつ為になるような文章、面白いと思ってもらえるような文章を書けるようになりたいなあってぼーっと考えています。
面白い文章が書けるようになるには、やはりその瞬間自分が面白いと思ったものを拙いなりにも表現し続けるしか方法はないのかなと思うので、頑張りたいですね。
自分に、可愛らしい女子大生という肩書きがあったら、少しはこういう自己開示日記にも需要があるんだろうなと思いますが、残念ながら目細モサ髪男子大学生。
もうここまで細胞が分化、成熟してしまった以上、性別が決まる受精卵の頃には戻れません。
なので、他人に興味を持ってもらえるような面白い多細胞生物になるために、諦めて腕を磨いていきたいと思うのです。
なんてカッコつけたこと言ってますが、
この数週間、noteの存在を忘れてたんですけどね。
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